ケヴィン・ブラウン
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ケヴィン・ブラウン(Kevin Brown , 1965年3月14日 - )はアメリカ合衆国ジョージア州出身の元メジャーリーガー。投手。右投右打。
1986年にテキサス・レンジャーズから全米4位指名で入団。その年中にメジャー昇格を果たし、初登板・初先発を初勝利で飾る。その後は再昇格に2年を要するも、1989年からは先発ローテーションに定着。1992年に21勝で最多勝利。1995年はボルチモア・オリオールズへ、1996年はフロリダ・マーリンズへ移籍し、エースとして活躍。防御率1.89でリーグ最優秀防御率を獲得した。翌1997年はノーヒットノーラン、ワールドシリーズ制覇を経験。1998年にサンディエゴ・パドレスへ移籍すると、ここでもエースとして気迫溢れるピッチングを披露。チームをリーグ優勝に導くなど『優勝請負人』ぶりを見せた。1999年は当時史上最高の7年1億5000万ドルでロサンゼルス・ドジャース入り。2000年に2度目の最優秀防御率を獲得した。しかし2001年以降は怪我もあり不調。ニューヨーク・ヤンキースに移籍した2004年は4月に月間最優秀投手賞を受賞し復活を果たしたかに見えたが、背筋痛で投球フォームを崩し、結局10勝を挙げるのが精一杯。2005年も背筋痛に悩まされ、7月に故障者リスト入りし、そのままオフに引退した。
キャリア全体でも、10回を超える故障者リストに入っている。
上半身を反らし気味にして投げる独特の投球フォームからの重いツーシームと鋭いスライダー、シンカーを武器にした。1996年~2000年の5年間は平均242イニングで16勝、防御率2.50という抜群の安定感を誇り、間違いなく90年代後半のメジャーを代表する投手の一人だった。感情の激しさも有名で2004年9月には自分自身への苛立ちから降板後に壁をパンチし、右手の指を骨折した。