ゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
祖父のΓεώργιος Παπανδρέουはゲオルギオス・パパンドレウを参照のこと
ゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ(ギリシャ語 Γιώργος Ανδρέας Παπανδρέου, 1952年6月16日 - )はギリシャ共和国の政治家。1999年から2004年までギリシャの外務大臣を務めた。祖父と父がギリシャの首相である一家の後継者であり、2004年に全ギリシャ社会主義運動(PASOK)の党首に就任した。
目次 |
[編集] 前半生
パパンドレウはアメリカ合衆国ミネソタ州のセントポールに生まれた。当時彼の父アンドレアス・パパンドレウは当地の大学の教官を務めていた。母はアメリカ出身のマーガレット・パパンドレウ 。彼はカナダのトロントにある学校を卒業した後、アムハースト大学、ストックホルム大学、ロンドン政治経済学院(LSE)、ハーバード大学で教育を受けた。アムハースト大学から社会学学士号を、LSEで発達社会学修士号を授与されている。ストックホルムでは移民問題について研究を行っている。1992年から1年間はハーバードで外交研究に関するフェローを務めている。ギリシャ語、英語の他にスウェーデン語にも堪能である。
父のアンドレアスは1939年にギリシャから亡命した後1959年まで祖国に戻ることはなかった。父の勤務先がかわるたびに一家は住まいを転々とすることになった。ゲオルギオスは1974年にギリシャの軍事政権が倒れるとギリシャに戻り政治活動を開始した。父の率いるPASOKに属し、党首の息子として1984年には中央委員会のメンバーとなるなど急速に昇進したが、彼の能力を疑う者はいなかった。
[編集] 政治経歴
パパンドレウは1981年に国会議員に選出された。同時に彼の父アンドレアスはギリシャの首相に任命されている。1985年には文化省次官、1988年には教育・宗教相、1999年には外務大臣に任命された。アテネオリンピック招致を担当する国務大臣も務めた。
パパンドレウは人権の尊重に対する功績から様々な賞を授与されている。また外務大臣としても評価が高く、父のように刺激的な言動をせずトルコとの関係を改善し、関係が悪化していたアルバニア、ブルガリアとも交流を促進した。キプロス問題についてはギリシャの基本的な立場を崩すことをせず、成功には終わらなかった。1990年代前半のマケドニア問題にも対処した。
2003年12月22日、雑誌「ヨーロッパの声」において彼はその年を代表するヨーロッパ人に選ばれた。フランスの新聞ル・モンドは彼を希土間関係の立役者であると讃えた。
[編集] PASOK党首
ギリシャの政治においてはしばしば政治家の子が親の後を継ぐ光景が見られる。祖父と父に大政治家を持つ彼もPASOKの党首に就任することが期待されていた。2004年1月7日に時の党首コスタス・シミティスは辞任を表明し、2月8日にパパンドレウが後継のPASOK党首に任命された。新党首のもとで新民主主義党からの政権奪取を狙ったが2004年の総選挙には敗北した。彼は現在でもPASOKの党首を務める。