トロント
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トロント | |||||
(写真:トロントのCNタワー) |
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標語: "Diversity Our Strength" | |||||
オンタリオ州内の位置 |
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座標:北緯43度40分西経79度25分 | |||||
基礎データ | |||||
国 | カナダ | ||||
州 | オンタリオ州 | ||||
行政区 | トロント | ||||
都市名 | トロント | ||||
英語名 | City of Toronto | ||||
地区 | イーストヨーク、エトビコ、オールド・トロント、スカボロ、ノースヨーク、ヨーク | ||||
創設日 | 1793年8月27日(ヨーク設立) 1834年3月6日(市制) 1998年1月1日(合併) |
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面積 | 630.18 km² | ||||
- 広域圏 | 5,903.63 km² | ||||
標高 | 海抜 77 m | ||||
人口 | (2006年[1][2]) | ||||
- 市域 | 2,503,281 人(国内1位) | ||||
- 人口密度 | 3,972.4 人/km² | ||||
- 広域圏 | 5,113,149 人(国内1位) | ||||
時間帯 | 東部標準時(EST)、UTC-5 | ||||
夏時間 | 東部夏時間(EDT)、UTC-4 | ||||
郵便番号 | M | ||||
市外局番 | +1-416、+1-647 | ||||
公式サイト |
トロント(英語:Toronto)はカナダ最大の都市で、オンタリオ州の州都である。オンタリオ湖岸の北西に位置し、2006年統計で人口およそ250万人。大都市圏(CMA)の人口はおよそ511万人。州の設定エリアであるグレータートロント(GTA)の人口は連邦政府の統計(CMA)と違い、約556万人で北米第5位の大都市圏を形成している。
オンタリオ湖西岸を囲むゴールデン・ホースシュー(Golden Horseshoe)と呼ばれる都市化された地域の人口はおよそ810万人[3]とされ、トロントはその経済の中心を成している。
カナダ経済の商都であり、世界的に知られた国際都市であることから、金融や経済、電気通信、航空宇宙、運輸、メディア、芸術、映画、テレビ局、出版、ソフトウェア、医療研究、教育、観光、スポーツなどの産業基盤が発達している。国内企業の本社や多国籍企業が多く入っており、世界第6位の規模を持つトロント証券取引所(TSX)がある[4]。
トロントには一流のプロチームが本拠を構えており、トロント・メープルリーフスやトロントFC、トロント・ラプターズ、トロント・ブルージェイズ、トロント・アルゴノーツなどがある。
世界で最も高い建物であるCNタワーがあり、トロントの風景を象徴する建築物になっている。文化面でも国際的に重要な役割を果たしており、世界クラスの博物館や美術館、劇場、フェスティバルなどが多くある。
カナダに入ってきた移民を多く受け入れていることを反映して、トロントは世界中から人が集まっており、人口構成も国際色豊かである。犯罪発生率が低く、各種機関によって世界で住みやすい都市のひとつにランクされている [5][6][7]。その反面、2006年、トロントはカナダ国内で最も生活費が高い都市にランクされた。[8]
また、トロントに住む人々を「トロントニアン」(Torontonian)と呼ぶ。
目次 |
[編集] 歴史
- 詳細はトロントの歴史を参照、主要記事:Toronto's name
ヨーロッパからの入植が見られる以前からトロント周辺地域には紀元前1500年前にイロコワの部族から土地を占領した先住民ヒューロン族が定住していた。
「トロント」の地名は、ヒューロン族の言葉で「人が集まる場所」を意味する言葉に由来するとされる説が一時有名であったが、本来、言語学的にはモホーク族の言葉で「水の中に木が立っている場所」を意味する「tkaronto」を由来とし、フランス人探検家や地図制作者を介してトロントになったとされる[9]。地勢的にはトロント北部のシムコー湖にヒューロン族が魚を囲い込むために苗木を植えたオリリア市の辺りを起源とする。当時、オンタリオ湖からヒューロン湖の陸路輸送ルートであったこの辺りでは広く使われていた地名であった。
1750年にフランス人商人によって交易所「フォート・ルイユ」(Fort Rouillé[10])が設立されたが、1759年には使われなくなった。アメリカ独立戦争の際、英国王党派の流入が多く見られ、まだ未入植の地であったオンタリオ湖岸の北部への入植が進んだ。1787年、イギリスはオンタリオ湖北部の土地を所有するミシサガ族と交渉し、わずかな資金で購入することに成功した[11]。
1793年、アッパーカナダ初代副総督であったジョン・グレイブス・シムコー(John Graves Simcoe)によってすでにあった入植地の上に町が設立され、ヨーク・オールバニ公の名から町名をヨークと名づけられた。そして、シムコーはアッパーカナダの首都をニューアーク(現在のナイアガラオンザレイク)よりアメリカからの攻撃にさらされにくいであろうと考えられたヨークに遷都することを決めた。砂浜が続く天然港であった町の入り口に要塞である「フォートヨーク」が建設された。町の入植は現在のパーラメント通りとフロント通りの近く、半島の背後にあたる港から東部の辺りに設立された。
1813年、米英戦争の最中、ヨークの戦い(Battle of York)でアメリカ軍に町を占拠された。町の明け渡し交渉は、ジョン・ストラッチャン(John Strachan)によって行われたが、アメリカ軍の兵士は5日間の占領期間の間にヨーク砦を破壊し、国会議事堂に火を放った。
1834年3月6日、人口わずか9,000人であったがヨークの町は市制となり、名称を「トロント」へ改称した。初代トロント市長は急進的改革派の政治家ウィリアム・ライアン・マッケンジー(William Lyon Mackenzie)が就任した。彼は後の1937年に起きたアッパーカナダの反乱で、イギリス植民地政府であるアッパーカナダを相手に武装蜂起し、反乱軍を指揮したがあえなく敗退し、アメリカへ亡命することとなる。19世紀、トロントはカナダの代表的な移民先となり、急速に発展を見せた。最初の大きな人口流入は1846年から1849年に起きたアイルランドのジャガイモ飢饉によるもので、カトリック系のアイルランド人が多く移り住んだ。
1851年には、トロント市内でアイルランド生まれの人口が単独で最も大きな民族グループとなった。数少ないプロテスタント系のアイルランド移民は、すでにいたスコットランド人とイギリス人に歓迎され、プロテスタント系の組合であるオレンジ結社はトロント社会に大きな影響力を持った。
トロントは短い期間だか2回、最初の1849-1852年と2回目の1856-1858年の間、連合カナダの首都であった。カナダ自治領が誕生する1867年の前年に首都は現在のオタワとなる。1793年以来、アッパーカナダの首都であったが、1867年にオンタリオ州が設立された際、州都となった。首都であったことから市内には王室の名代である副王が住む総督官邸があった。
19世紀中頃、トロントでは急速に産業化が進んだ。大規模な下水処理施設が建設され、通りにはガス灯によって定期に明かりが灯されるようになる。長距離鉄道が建設され、五大湖北部とトロントを結ぶ路線が1854年に完成した。グランド・トランク鉄道とグレート・ノーザン鉄道は市街地にあった初代ユニオン駅の建物を共有していた。鉄道の出現で劇的な数の人口流入と商業の発展が見られ、同時にオンタリオ湖を航行する蒸気船とスクーナー船の入港も見られた。トロント鉄道会社が市政府より交通機関を運営する権利が与えられた1891年、輸送機関は馬車鉄道から電力で走る路面電車へと代わった。この会社は後に、北米の公共交通網としては3番目の規模をもつ現在のトロント交通局となる。
1904年のトロント大火で市街地の大部分は焼失したがすぐに再建された。この火災で1,000万カナダドル以上の被害を被り、この経験からより厳しく安全な消防法が採用され、消防署の設置を増やすに至った。
19世紀後半から20世紀初期にかけて東ヨーロッパの広い地域からドイツ人やイタリア人、ユダヤ人を中心に新しい民族グループの移民が見られるようになった。この後、続いてすぐに中国人やロシア人、ポーランド人のほか、東ヨーロッパ諸国からの移民が目立った。そして、これらの新しい移民の多くは先のアイルランド人移民のように掘っ建て小屋のようなスラム街に密集していた。1920年代、早いペースで成長していたにもかかわらず、カナダ国内におけるトロントの人口と経済力はより歴史あるモントリオールに甘んじて2番目だった。それでも1934年には、トロント証券取引所が国内最大の証券取引所となる。
第二次世界大戦後、戦争で荒廃したヨーロッパ、特にイタリアとポルトガルからの難民が流入し、これらの移民は建設労働者として働いた。1960年代後半までは人種をベースにした特定民族を排除する移民政策をとっていたが、以降、世界中から移民を受け入れるようになった。大規模な郊外ができ始めた1951年にトロントの人口は100万人を超え、1971年には倍増し200万人を突破した。1980年代、トロントの人口はモントリオールを抜いてカナダ最大となり、カナダ経済最大の拠点となる。この時期、ケベック州で再び独立の動きが強まったことで政治不安が広がり、多くのカナダ企業と多国籍企業は本社をモントリオールからトロントやカナダ西部の都市へと移転させた[12]。
トロント市は1954年に発足した地方自治体メトロポリタン・トロントの一都市として組み入れられた。戦後のブームで郊外の急速な発展が進み、メトロ政府は市町村の枠組みを超えた公共サービスを提供する役割を担った。これは高速道路の建設や公共交通機関の整備、上水道の整備などがある。1967年、メトロポリタン・トロントはメトロ内の7つの小さな町や村をより大きい都市へと統合し、トロントとその周辺の都市、イーストヨークやエトビコ、ノースヨーク、スカボロ、ヨークの6つの都市で構成されるようになる。1998年にメトロポリタン・トロントは解体され、この6つの都市を合併し、現在の新制トロント市が誕生した。州の地方行政区では単一層自治体に位置づけられ、大きな行政権を持つ。現在の市長はデイビット・ミラーが務めている。
[編集] 地理
- 詳細はトロントの地理と気候を参照
トロントの面積は630.18 km²(243.21 sq mi)で、東京23区の面積621.49km²とほぼ同じである。南北の長さは最大21km、東西の長さは最大43kmある。湖岸の長さは46kmあり、西はエトビコ・クリークとハイウェイ427号線と、北はスティールズ通り(Steeles Ave.)と、東はルージュ川と接しており、それぞれが境界線となっている。
[編集] 地形
トロント西部を流れるハンバー川と、市街東部を横断しトロント港湾の端に流れ込むドン川の2つの川があり、加えて数多くの支流が流れている。
小川と川が多いことから森林密度の高い峡谷が広がっており、公園や娯楽ハイキング用のトレイル(小道)を楽しむ理想的な場所になっている。しかしながら、峡谷は都市を格子状に設計することを阻んでおり、いくつかの通りは峡谷によって通りが分断されている箇所がみられる。これらの深い峡谷は集中豪雨の際、雨を排水する役割を果たしているが、ドン川の近くなど、いくつかの地点では大きな洪水になりやすい。しばしば川から大量の水が下水処理場の貯水タンクに流れ込み、処理しきれずにあふれ出すことがあり、汚水を未処理のままオンタリオ湖へ排出することがある。
最終氷期の時代、現在のトロントは氷河前縁湖であるイロコワ氷河湖(Glacial Lake Iroquois)に覆われていた。今日、イロコワ湖岸(Iroquois Shoreline)で知られる氷河湖岸の跡を断層に見ることができる。これはスカボロの断崖(Scarborough Bluffs)を形成した断層でビクトリアパーク通り(Victoria Park Ave.)とハイランド・クリーク(Highland Creek)の河口の間に沿ってよく見ることができる。そのほか、セントクレア通り(St. Clair Ave.)に沿ってバサースト通り(Bathurst St.)とドン川の間にも見ることができる。
トロントは高低さがあまりなくオンタリオ湖岸の海抜75mに対し、市内の北端に位置するヨーク大学近くの海抜は270mである。トロント港にある現在の湖沿岸の土地は人工よってできた埋め立て地で、19世紀中頃の湖岸は今より1kmほど内陸にあった。
[編集] 気候
国内では南部に位置し、オンタリオ湖に接していることからトロントの気候はカナダの中では穏やかである。湿度の高い大陸性の気候でケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Dfa)に分類される。夏は暑く湿度があり、冬は一般的に寒いが、カナダ北部やアメリカ北西部の内陸と比べると温暖である。
四季がはっきりしているが、日々の気温に差があり、冬の寒い時期は特に気温差が大きくなる傾向にある。オンタリオ湖や他の五大湖の影響を受けやすく、湖に起因する降雪も見られる。
トロントの冬はときおり短期間ではあるが最高気温が-10 ℃(14 °F)以下に下がることがあり、冷えた風の影響で体感温度がさらに寒くなることがよくある。スノーストーム(吹雪)は時折、氷や雨が混ざって降ることもあり、雪の影響で仕事や旅行のスケジュールが大きく狂うこともある。10月末から4月中旬までの期間であれば積雪の可能性がある。しかしながら、冬の期間に降り積もった雪が解けるほど気温が上がり、5~14 ℃(40~57 °F)あるいはまれにこれ以上に暖かいこともある。
夏のトロントは長期に渡って湿度が高いことを特徴とする。時には日中の気温が35 ℃(95 °F)を超えることもあり、通常それほど長い期間ではないが、気温に加え、湿度が高いと不快と感じるほど暑い天気になる。春と秋は季節の移り変わりの時期で、一般に穏やかで涼しい気温になる。天気は乾燥したり雨が降ったりを繰り返す。同じ緯度にある内陸の地域と比べ、オンタリオ湖の影響を受けることから春や秋の訪れは遅く、気温は低めである[13]。
降水量は年間通じて分散しているが、通常、夏から秋にかけてが最も降水量の多い時期で、集中豪雨によって多くの雨が降る。年間降水量の平均は793mmで、降雪量は115cmである。年間日照時間の平均はおよそ44%の2,038時間で、日照時間は暖かい季節に多い。
[編集] 都市の景観
[編集] 人口動勢
年度 | 市域 | 都市圏(CMA) |
---|---|---|
1861年 | 65,085 | 193,844[14] |
1901年 | 238,080 | 440,000[14] |
1951年 | 1,117,470 | 1,262,000[14] |
1971年 | 2,089,728 | 2,628,000 |
1976年 | 2,124,295 | |
1981年 | 2,137,380 | 2,998,947 |
1986年 | 2,192,721 | |
1991年 | 2,275,771 | 3,893,933[15] |
1996年 | 2,385,421[16] | 4,235,759[16] |
2001年 | 2,481,494[17] | 4,682,897[17] |
2006年 | 2,503,281[17] | 5,113,149[17] |
- 詳細はトロントの人口統計を参照
カナダ統計局による最新の国勢調査の統計によると2006年の人口は250万3,281人で2001-2006年の人口増加率は0.9%であった。国際連合開発計画によると、トロントは国外で生まれた移民の割合がマイアミに次いで世界で2番目に多い都市となっており、マイアミでは移民の出生地の多くはキューバや他の南米諸国であるのに対し、トロントはひとつの国や文化が圧倒的な割合を占めることがなく多様性に富んでいる。
2001年統計によると、トロントの最も大きな民族グループはヨーロッパ系で全人口の62.23%を占める。その内訳の多くはイギリス人、スコットランド人、アイルランド人、イタリア人、フランス人である。有色人種では中国人(10.6%)、南アジア系(10.3%)、アフリカ系(8.3%)、フィリピン系(3.5%)、南米系(2.2%)が多い。この多様性が多くのエスニックタウンを生んでおり、リトル・イタリーやリトル・ジャマイカ、リトル・インディア、中華街、コリアタウン、グリークタウン、ポルトガル・ビレッジ、ケンジントンマーケットなど多岐にわたる。
トロントではキリスト教が最大の宗教で、2001年統計ではカトリック教会(31.1%)、プロテスタント(21.1%)、東方正教会(4.8%)、他のキリスト教宗派(3.9%)となっている。他の宗教では、イスラム教(6.7%)、ヒンドゥー教(4.8%)、ユダヤ教(4.2%)、仏教(2.7%)、シク教(0.9%)、その他(0.2%)となっており、無宗教の立場の人々も18.7%いる。
トロントの人々の間では英語が圧倒的に優勢であるが、フランス語やイタリア語、中国語、スペイン語、ポルトガル語、タミル語、パンジャーブ語、ヒンディー語、ウルドゥー語などもかなり多く話されている。職場で話される言語としてはイタリア語および中国語が2番目に多い言語とされる[18][19]。その結果、救急サービスの911番では、150以上の言語に対応できるようになっている [20]。
[編集] 行政
- 詳細はトロント市行政、トロントの政治を参照
[編集] 経済
- 詳細はトロントの経済を参照
世界を代表する経済と金融センターのひとつで、カナダの金融機関が集中している。ベイ通りに銀行と証券会社が軒並み集中しており、トロントの金融街を成している。時価総額で世界第6位の規模をもつトロント証券取引所があるほか、カナダの五大銀行すべてがトロントに本社を構える。
マスメディアや出版、電気通信、情報工学、映画製作業界の重要な拠点で、トムソンコーポレーション、CTVグローバルメディア、ロジャース・コミュニケーション、アライアンス・アトランティス、セレスティカが本部を置く。そのほか代表的なカナダ企業にフォーシーズンズ・ホテル、ハドソン湾会社(HBC)、マニュライフ・ファイナンシャルがある。
製造業の多くは市外に拠点を置くが、それでも卸売りと流通産業においてトロントは重要な拠点となっている。 ケベックシティとウィンザーを結ぶ道路と鉄道路線網は、沿道の自動車産業や製鉄、食品、機械、化学、製紙業の生産において重要な要素を担っており、1959年に完成したセントローレンス水路は五大湖と大西洋を船で航行することを可能にしている。
[編集] 教育
- 詳細はトロントの教育を参照
[編集] 文化
- 詳細はトロントの文化を参照
五大湖のひとつであるオンタリオ湖に面し、ナイアガラの滝から車で1時間半ほどと近いため、ナイアガラ観光への拠点にもなっている。日本からは秋の紅葉シーズンを中心に「メープル街道」への拠点として、東部カナダへ入る玄関口ともなっている。
[編集] 見どころ
- CNタワー:世界最高(553m)の地上建造物
- ロジャース・センター:世界最大級の開閉式ドーム球場。メジャーリーグチーム「トロント・ブルージェイズ」の本拠地。旧称:スカイドーム(Skydome)。ロジャース・コミュニケーションズ(Rogers Communications)の買収により2005年2月以降、現行の名前となった。
- トロント市庁、旧市庁:映画撮影等でよく使用されるユニークな建物。
- エキシビション・プレイス(Exhibition Place):カナダ最大級の見本市会場。建物は歴史を感じさせる物も多い。CART(カート、Championship Auto Racing Teams)の自動車レースの一つ、モルソン・インディー(Molson Indy)の会場になる。
- ロイヤルオンタリオ博物館(ROM)
- トロント大学
- オンタリオ・アートギャラリー(AGO):美術館
- チャイナタウン
- イートン・センター(Eaton Centre):店舗面積州内最大のショッピングモール。
- ハーバーフロント(Harbourfront)
- フォート・ヨーク(Fort York)
- ブラッククリーク開拓者村(Black Creek Pioneer Village)
[編集] メディア
- 詳細はトロントの報道各社一覧を参照
[編集] スポーツ
- 詳細はトロントのスポーツチーム一覧を参照
トロントを本拠地とするプロスポーツチームは以下の通りである。
- メジャーリーグ(MLB)のトロント・ブルージェイズ
- ロジャーズ・センターを本拠とする。
- アイスホッケー(NHL)のトロント・メープルリーフス
- エアカナダ・センターを本拠とする。
- バスケットボール(NBA)のトロント・ラプターズ
- エアカナダ・センターを本拠とする。メープルリーフスと同じオーナーグループが球団を所有している。NBA唯一のカナダにフランチャイズを置くチームである。
- カナディアンフットボール(CFL)のトロント・アルゴノーツ(Toronto Argonauts)
[編集] 社会基盤
[編集] 健康と医療
[編集] 交通
- 詳細はトロントの交通を参照
[編集] 公共交通網
- 詳細はトロント交通局、GOトランジットを参照
一般にTTCと呼ばれるトロント交通局は、北米の公共交通網としてはニューヨーク市都市交通局とメキシコシティ・メトロに続いて第3位の規模を持つ。TTCはトロント地下鉄を基幹としており、U字型をした南北を結ぶヤング・ユニバーシティ・スパダイナ・ラインと、東西を結ぶブロア・ダンフォース・ライン、北部の東西を走るシェパード・ラインがある。これに加えてスカボロRTラインが東部のスカボロを走っている。また、バスとストリートカーによる広範囲な路線網を運営している。
オンタリオ州政府によって運営されているGOトランジットは鉄道とバスの広範囲な路線網をもち、トロントとその郊外の周辺都市とを結んでいる。7つの鉄道路線をもち、毎日およそ16万人の利用客がある。
[編集] 空港
カナダ最大の空港であるトロント・ピアソン国際空港(IATA:YYZ)が市内西部、ミシサガ市との境界にまたがった場所にある。2つのターミナルがあり、24時間運営している。
商業ベースでは限られた範囲でサービスを提供しているトロントシティセンター空港(一般にはアイランド空港)がトロント島にある。空港の規模が小さく、アメリカ及びカナダ国内の短距離線のみに使われている。マークハムのバトンビル空港は定期便がほとんどないが一般的な航空設備をもつ。ダウンズビュー空港は市内北部にあり、ボンバルディア・エアロスペース社の航空機製造工場を兼ねている。
[編集] 道路
高速道路ではモントリオール、オタワ、ナイアガラ、バッファロー方面、デトロイト、ウィンザー方面など各方面からつながっている。特にハイウェイ401号線(Highway 401)は市内では片側8車線のところもあり、トロント周辺の物流の大動脈となっている。
[編集] 鉄道
すでにカナダでは鉄道は市民の長距離交通としては一線を退いているが、ダウンタウンにあるユニオン駅(Union Station)では長距離鉄道(カナダ国鉄の運営を引き継いだVIA鉄道、近郊鉄道のGOトレイン(GO Train)、地下鉄・市内交通の主要な駅として機能している。
[編集] その他
[編集] 夏季オリンピックへの立候補
- トロントは1996年、2008年の夏季オリンピック開催都市に2度立候補しているが、2度とも最終選考まで残りながら、惜しくも落選した経緯がある。2016年大会にも立候補の意向があり、現在、1976年大会を開催したモントリオールと国内代表都市を争っている。
[編集] 姉妹都市・友好都市
トロントは以下の都市と「国際パートナー」関係を締結している。
姉妹都市
- シカゴ市 (アメリカ・イリノイ州):1990年
- 重慶市 (中国):1986年
- フランクフルト市 (ドイツ・ヘッセン州):1991年
- ミラノ市 (イタリア・ロンバルディア州)
- サンパウロ市 (ブラジル・サンパウロ州)
友好都市
- アムステルダム市 (オランダの首都):1972年
- ワルシャワ市 (ポーランドの首都):1990年
- 相模原市 (日本・神奈川県):1991年
- キエフ市 (ウクライナの首都)
- キト市 (エクアドルの首都)
- ホーチミン市 (ベトナム)
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ "2006 Community Profiles | Community Highlights for Toronto"
- ^ "2006 Community Profiles | Community Highlights for Toronto (Census Metropolitan Area)"
- ^ "Portrait of the Canadian Population in 2006: Subprovincial population dynamics, Greater Golden Horseshoe" Statistics Canada, 2006 Census of Population. 2007-03-13. .
- ^ "City of Toronto | Toronto economic overview"
- ^ "Statistics Canada | The Daily, Thursday, July 21, 2005. Crime statistics"
- ^ "CNN.com | Vancouver is 'best city to live'"
- ^ "Mercer Human Resource Consulting (2006) | Mercer 2006 Quality of Living Survey"
- ^ "CanWest News Service | Toronto pegged as priciest place to live in Canada"
- ^ "Natural Resources Canada | The real story of how Toronto got its name"
- ^ "Jarvis Collegiate Institute | Fort Rouillé"
- ^ "Jarvis Collegiate Institute | Toronto Purchase"
- ^ "Journal of Canadian Studies | Westward ho? The shifting geography of corporate power in Canada | Winter 2002 | William K Carroll"
- ^ "Environment Canada | Canadian Climate Normals 1971-2000"
- ^ a b c "Toronto history FAQs: What was the population of Toronto in various years?" City of Toronto Archives. .
- ^ "Population and Dwelling Counts, for Census Metropolitan Areas in Decreasing Order of 1996 Population, 1991 and 1996 Censuses - 100% Data" Statistics Canada: 2001-04-17. .
- ^ a b "Population and Dwelling Counts, for Canada, Census Metropolitan Areas, Census Agglomerations and Census Subdivisions (Municipalities), 2001 and 1996 Censuses - 100% Data" Statistics Canada. .
- ^ a b c d
- ^ Language used at work by mother tongue in Toronto CMA, Statistics Canada (2001).
- ^ Language used at work by mother tongue (City of Toronto), Statistics Canada (2001).
- ^ "City of Toronto: Emergency Services - 9-1-1 = EMERGENCY in any language" City of Toronto. .
[編集] 外部リンク
[編集] トロント市
- トロント市公式サイト (英語)
- トロント観光局公式サイト (日本語)(英語)(韓国語)(中国語)
[編集] 政府関連
- 在トロント日本国総領事館 (日本語)
- オンタリオ州の地方行政区画
-
単一層自治体: オタワ市 | カワーサレイクス市 | グレーターサドバリー市 | チャタム・ケント市 | トロント市 | ノーフォーク郡 | ハミルトン市 | ハルディマンド郡 | ブラント郡 | ブラントフォード市 | プリンスエドワード郡 地域: ウォータールー地域 | オックスフォード郡 | ダラム地域 | ナイアガラ地域 | ハルトン地域 | ピール地域 | マスコーカ地域 | ヨーク地域 郡: ウェリントン郡 | エセックス郡 | エルジン郡 | グレイ郡 | ストーモント・ダンダス・グレンゲリー連合郡 | シムコー郡 | ダファリン郡 | ノーザンバーランド郡 | パース郡 | ハリバートン郡 | ピーターボロ郡 | ヒューロン郡 | ブルース郡 | プレスコット・ラッセル連合郡 | フロンテナック郡 | ヘイスティングス郡 | ミドルセックス郡 | ラナーク郡 | ラムトン郡 | リーズ・グレンビル連合郡 | レノックス・アディントン郡 | レンフルー郡 地区: アルゴマ地区 | ケノーラ地区 | コクレーン地区 | サドバリー地区 | サンダーベイ地区 | ティミスカミング地区 | ニピシング地区 | パリーサウンド地区 | マニトゥーリン地区 | レイニーリバー地区 郡の管轄外 ウィンザー | オリリア | ガナノク | キングストン | クインテウエスト | ゲルフ | ストラットフォード | スミスフォールズ | セント・メリーズ | セント・トーマス | バリー | ピーターボロ | プレスコット | ブロックビル | ペンブローク | ベルビル | ロンドン
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