ゲーリー・レーシッチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゲーリー・レーシッチ(Gary Louis Rajsich , 1954年10月28日 - )は昭和後期から末期(1970年代後半~1980年代)のプロ野球選手。
目次 |
[編集] 球歴
- 1978年にドラフト11位でヒューストン・アストロズに入団。
- 1981年にニューヨーク・メッツにトレードで移籍。
- 1984年にセントルイス・カージナルスに移籍。
- 1985年にサンフランシスコ・ジャイアンツにトレードで移籍。
- 1986年に中日ドラゴンズに入団。登録名はゲーリー、背番号は4。
- 1987年には出場辞退したボブ・ホーナーに代わってオールスターゲームに出場。
- 1988年限りで中日を退団。この年、3番・ライトとしてチームの優勝に貢献した。
[編集] 通算成績
- 打撃成績:317試合出場 打率.283(332安打) 76本塁打 189打点
- タイトル:なし
[編集] その他
- 兄のデヴィッド・レーシッチ(David Christopher Rajsich, 1951年9月28日-)は1984年に広島東洋カープで左サイドスローのリリーフ投手として23試合に登板し、1敗1セーブの成績を残している。
- 彼のヒッティングマーチは山本リンダの「狙いうち」が元ネタであり、その後、ジョージ・ヒンショー、ベニー・ディステファーノ、マーク・ライアル、アロンゾ・パウエルの応援歌として流用され、現在は中日のチャンステーマに使われているほか(主に、7回以降の場面)、高校野球や社会人野球でもヒッティングマーチの定番としてよく使われている。
- 当時ドラゴンズの4番を打っていた落合博満の神主打法を真似るなど、努力して日本野球に対応した。
- 中日時代の通訳を努めた足木敏郎とは今でも電話などで交流があるらしく、彼の話によれば現在は相当太ったらしい。