コミ
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コミ、コミ出しは、囲碁のルールの一つ。ゲームの性質上先手が有利であるため、地の計算の段階で与えられるハンデを指す。現在の日本のルールでは互先(たがいせん)の場合、先手(黒)が後手(白)に対して6目半のハンデを負う(「コミを出す」と言う)。 つまり盤上で黒が3目の勝ちであったとしてもコミを計算すると白の3目半勝ちとなる。
コミに「半目」がついているのは勝敗を決するためで、コミがない碁の場合には両者の地が同じになると持碁(じご)と呼ばれる引き分けとなる。コミを用いない対局は先(せん)と呼び、先の手合い割りを定先(じょうせん)と呼ぶ。また通常、置き碁にはコミは用いない。
プロアマ戦など力量に大きな差がある場合、後手がコミを出す「逆コミ」と呼ばれるルールを採用する場合もある。「逆コミ」のことを(「コミ出し」に対して)「コミもらい」と言うこともある。
黒が盤上で7目のリードを得る(つまり最初の6目半のハンデを取り返して勝っている状態の)ことを「コミが出る」といったり、逆に盤上でリードしていても7目に達しない場合「コミが出ない」といったりする。
正式な対局の場合、「6目半コミ出し」のようにコミが明示される。
[編集] 歴史
江戸時代には座興で打たれる碁のような場合を除き、基本的にコミというものはなかった。当時は棋士の数が少なかったこともあり、個人対個人で複数回の対戦(番碁)などを行い、手合割を決めていた。連碁などでコミが採用される場合には先番5目コミ出しのケースが多かったことから、当時から先番の有利さはこの程度と見られていたことがわかる。
大正から昭和に入って棋士の数も増え、またタイトルマッチが碁界の主流を占めるようになるにつれ、一番で勝負を決める必要性が生じてきた。このためコミの必要性が議論されたが、「勝負の純粋性を損なう」として反対意見も強かった。本因坊戦の開始に当たって4目半のコミが導入されたが加藤信などはこれに抵抗し、「コミ碁は碁に非ず」という論文を毎日新聞に載せることを参加の条件としたほどだった(なお加藤はコミ碁の本因坊戦で活躍し、第1期本因坊の座を関山利一と争っている)。
コミの導入によって碁の性質も大きく変化した。コミなし碁では黒は先着の有利を保つためゆっくりと打ち、堅実にリードを保つ打ち方、逆に白は激しく仕掛け、局面を動かす打ち方がセオリーとされていた。コミの導入後はこれが逆になり、黒は石数の少ないうちに主導権を握るべく積極的に戦いを挑み、白がゆっくりとした局面に導こうとするスタイルに変化している。
タイトル戦が増えるにつれてコミ碁は当たり前のものになり、コミなし碁は大手合のみになっていった。その大手合も21世紀に入って廃止となり、現在は全ての対局がコミ碁となっている。
[編集] コミの変遷
当初4目半であったコミは、黒番の勝率が高いという理由で徐々に改められていった。
- 1939年 本因坊戦で初めて4目半のコミが採用
- 1974年 黒が有利なため、コミを5目半に改める
- 2002年 黒が有利なため、また国際棋戦との整合性のため、タイトル戦ごとに順次コミを6目半に改め始めた
コミ5目半の時代には、4目半のコミを「小ゴミ(こごみ)」、5目半のコミを「大ゴミ(おおごみ)」と呼んでいたが、コミ6目半の採用によりこれらの呼称は廃れる方向にある。