コンスタンス1世
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コンスタンス1世(Constans I, 320年 - 350年)は、ローマ帝国の共同皇帝(在位:337年 - 350年)。
コンスタンティヌス1世とファウスタ(マクシミアヌス帝の娘)の間に三男として生まれるが母親は不義密通の罪で処刑された。宦官が取り仕切る宮廷内で他の二人の兄弟とともに育てられ、337年に死去した父親の葬儀はコンスタンティノープルで行われたが、滞在地の距離から参加しなかった。葬儀のしばらく後で、コンスタンティノープルにいる親族は粛清されることとなる(首謀者はおそらく次男コンスタンティウス2世)。この後、3人の息子は会談を行い揃って即位した。主に、イタリア本土、パンノニア、ダキア、北アフリカなどを統治していたが、後に、長兄のコンスタンティヌス2世から北アフリカの割譲を求められる。しかし、340年、侵攻してきたコンスタンティヌス2世をアクィレイア近くで打ち破る。
コンスタンティヌス2世が統治していたブリタニア、ガリア、ヒスパニアなどを引き継ぐが、自身も、配下の将軍、マグネンティウスに反旗を翻され、350年、捕われ殺害される。
[編集] 関連作品
- 塩野七生 『ローマ人の物語XIV キリストの勝利』(小説)2005年
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