サターン (自動車)
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サターン(Saturn)は米国、GM(ゼネラルモーターズ)の100%子会社、「サターン・コーポレーション」が生産する乗用車である。一時期、対日輸出を行っていたために、日本では『小型車メーカー』として記憶されているが、本国ではSUVやスポーツカー分野にも進出する等、フルラインメーカーへの道を歩んでいる。
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[編集] 概要
1980年代まで、信頼性が低く、日本車に自国市場を侵略されていたアメリカ車の挽回策として、GMはサターン(アポロ計画で使用されたロケットからの命名)のために35億ドルの投資を行い、中南部テネシー州、スプリングヒルに工場を新設した。この工場建設に当たっては敷地内にあった木を別の場所に植え替えるなど、環境保護に最大限配慮した。また個人の創造性とチームワークを重視した独自の開発/生産システムを導入していた。これは現地に大挙して進出していた日本メーカーの影響と、UAW(全米自動車労働組合)との協議の産物である。 1990年、最初のモデル『Sシリーズ』が発売された。鋼板モノコック上に架装されたドアやボディーの一部を、ぶつけても復元する樹脂製にし、エンジン(本国向けは1900ccのOHCとDOHC4気筒)も生産性を考慮した独自の製造方法で造られていた。バリエーションは4ドアセダンと2ドアクーペで、後に5ドアワゴンも追加された。このSシリーズは、当初こそリコールの続発で販売不振が続いたものの、販売店(サターンでは販売店のことを「ディーラー」とは呼ばず、「リテーラー」と呼んでいる)の親身になったサポートが口コミで評判となり、業績を好転させて行った。その自信を元にSシリーズは1996年モデルチェンジされ、右ハンドル仕様が開発された。その一方、より上級のクラス進出が『Lシリーズ』によって1999年実行された。これは第2世代オペル・ベクトラの基本骨格を活用したモデルで、2200ccの4気筒と3000ccのV型6気筒エンジンを搭載した。このモデルも対日輸出が計画されたが、実行されなかった。
[編集] 現在
Sシリーズは2003年、より大型のION(アイオン)に代替され、今後はオペルアストラのサターンバージョンに代替される(サターンでもアストラを名乗ることが決定済)Lシリーズも2005年秋、新型車Aura(オーラ)に代替される。また小型SUV・VUE(ヴュー。ホンダ製エンジン搭載車がある)が2002年、『ミニバン』Relay(リレイ)が2004年に、スポーツモデルSky(スカイ)が2005年秋に発売され、大型SUV・Outlook(アウトルック:2007年型として登場)も事前発表されている。
[編集] 日本で
日本へは1997年に進出。ラインナップは日本市場を見定め、小型のSシリーズのみとしていた。「礼をつくす会社、礼をつくすクルマ」というキャッチコピーで広告展開し、ワンプライス制で値引き無し、来店客に店側からは積極的に声を掛けないノープレッシャー営業など、アメリカにおける販売面での成功例をそのまま導入したが、販売面で成果は上がらなかった。しかしこれらの販売システムは従来にないものとして一部国内メーカーなどから注目された。日本のリテーラー網はJR東日本やハナテン、ヤナセなどが参入した。なかでもJR東日本の子会社が運営したサターンのリテーラーは新宿駅の南口(現在のユニクロがある所)に位置していた。注目を集めていたが女性受けのしない寄り目のフェイスマスクには拒絶反応も多かった。エンジンは4気筒DOHCの1900ccのみ。実用燃費もリッターあたり10km前後と、日本での使用に支障はなかったものの販売量は低迷したままであり、2001年には撤退した。サターンが撤退した後、一部の販売店はGMオートワールド(現在のGMシボレー店)のディーラー網に参加した。サターン撤退後の現在、部品の入手がむずかしく、国内では修理等も悩みの種になっている。壊れていても直せない場合もある。
CM使用曲はClose to you/杏里(カーペンターズのカヴァー)、ナレーションは細野晴臣だった。
[編集] モデル
- サターン・Sシリーズ(1991-2001年)
- サターン・Lシリーズ(1999-2005年)
- サターン・アイオン(2002-2007年)
- サターン・ヴュー(2002年-)
- サターン・オーラ(2007年-)
- サターン・スカイ(2007年-)
- サターン・リレイ(2005年-)
- サターン・アウトルック(2008年-)
- サターン・アストラ(2008年-)
[編集] 参考文献
カーグラフィック1990年12月号(二玄社刊)