ヤナセ
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株式会社ヤナセ(YANASE & CO., LTD.)は東京都港区芝浦に本社を置く、日本最大の輸入車の大手ディーラーで自動車輸入事業者である。
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歴史
設立
1915年に創業者、梁瀬長太郎が東京都日比谷に設立した「梁瀬商会」が前身。もともとはトラックやバスのコーチビルダー(車体製造業者)としてスタートするが、総合商社三井物産の輸入車部門を長太郎がMBOした。
日本最大手のインポーター
GMのビュイック、キャディラックの輸入から始まり、第二次世界大戦中は一時自動車輸入事業を停止していたが、その後二代目の梁瀬次郎会長に経営が引き継がれるとともにGMの各ブランドやメルセデス・ベンツ、フォルクスワーゲン(傘下のアウディも含む)と取り扱い車種を増やした。
また、その全国に広がるネットワークと、輸入車が現在のように一般大衆に普及する以前に培った富裕層に対するきめ細かいサービスのノウハウなどが高い評価を受け、日本最大手の自動車輸入事業者(インポーター)となり、「輸入車=ヤナセ」と言われるほどの存在になった(実際の輸入業務はヤナセの100%子会社であるウェスタン自動車が行い、販売をヤナセが行うという形態をとっていた)。なお、梁瀬次郎は、アメリカ車の日本国内での普及に対する貢献が認められ、日本人で3人目のアメリカ自動車殿堂入りを果たした。
経営多角化
その後、梁瀬次郎の掛け声の下総合商社への進展を図り、自動車の輸入、販売ばかりではなく、クルーザー(ハトラス他)、アラジンストーブやノースアメリカンベアの輸入、アパレル事業(モラビト他)、宝飾品(フレッド他)の展開、胡蝶蘭の生産、アルファレコードへの資本参加など、経営多角化を行った。
現在
しかし、メルセデス・ベンツやフォルクスワーゲンなどが、1990年代以降に自社の日本法人を設立し自動車輸入事業務をそちらに移管したことから、現在は自動車輸入事業からは完全撤退し、自動車輸入事業者としてではなく、マルチブランドメガディーラーとして事業している。ピステンプーリー(特殊キャタピラ車両)などの輸入事業やファッション商品事業は継続している。
経営多角化については、1990年代初頭のバブル景気崩壊とともにほとんどの部門から撤退した。なお、自動車輸入事業、販売以外では現在テレビコマーシャル制作会社TCJを保有している。また、創業以来梁瀬一族による経営が続いたが、現在は伊藤忠商事傘下となっている。
主な取り扱いブランド(自動車)
- ゼネラル・モータース
- ダイムラー・クライスラー
- BMW(四輪車・二輪車)
- アウディ
- フォルクスワーゲン (1953年~1992年、2005年~)
- ボルボ・カーズ : 2006年に子会社「ヤナセ・スカンジナビア・モーターズ」を新たに設立し、ボルボ・カーズ(1998年にフォード・モーターがボルボから乗用車部門を買収して設立)販売から撤退するスバル系の販売・サービス網の各拠点を買い取る形で再参入。
過去に取り扱っていたブランド
- プリンス自動車(日産自動車と合併後もしばらくはスカイラインやグロリアなども取り扱っていた)
- いすゞ自動車(ピアッツァのヤナセ専売グレード「ネロ」、PAネロ(ジェミニの姉妹車でGMが北米で販売していたジオ・ストームの日本仕様)を販売)
- ビュイック
- オールズモビル
- レオ
- ポンティアック
- サターン
- ヴォクスホール
- ウニモグ
- ルノー:1994年から、ヤナセの全額出資子会社「フランス・モーターズ」が輸入販売していた。2001年にルノー・ジャポンに輸入権を譲渡し、解散。
- ハトラス:アメリカの高級クルーザー
- カーバー:アメリカのプレジャーボート
- シャルベ:フランスのドレスシャツブランド
- フレッド:フランスの高級宝飾ブランド(LVMH傘下)
- ボルボ:ヤナセの全額出資子会社「北欧自動車」が1960年から1974年までに5,048台を輸入販売したが、帝人系の「帝人ボルボ」に輸入権を譲渡し解散した。
- アンフィカー:ドイツの水陸両用車。1960年代に5台ほど輸入。