サームコック
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サームコック(สามก๊ก)は三国志演義のタイ語翻訳作品。タイでも日本や中国と同じく世代を越えた支持層を持つ。一般的に、タイで三国志演義(サームコック)と言えばチャオプラヤー・プラクラン版サームコックを指す。ここでは主にチャオプラヤー・プラクラン版サームコックについて説明する。
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[編集] 概要
サームコックはラーマ2世に命じられたチャオプラヤー・プラクラン (ホン)がある福建人との共同作業によって1800年頃書かれたと見られるものが最初である。チャオプラヤー・プラクラン版のサームコックでは人名や地名は福建語の発音が使われている。その訳文は単語には日用語が多く用いられ、つまり現代語で書かれ、かつ古典文学的な格調を備えているとされる。タイ語を母語とする現代人一般が、サームコックほどラーマ2世時代の文章を辞書なしに簡単に読める例は少ないと言われ、その文章における格調の高さと、タイ文学史上初めてともいわれるまとまった現代語の文章から、タイ現代語の模範作品としてしばし挙げられることもあり、小学校の国語の教科書によく採用される。
一方で、共同執筆者である福建人通訳が教育の低い者であったと想像されることから、翻訳のミスも指摘されている。有名な例では劉備の出身地とされる涿郡を明らかに豚郡と勘違いして訳したと見られる部分もあり、また章も九十七までしか訳されていないため完訳には至っていない。しかしながら、これを補うような新たな訳が出ても、チャオプラヤー・プラクラン版の文体の格調の支持者が圧倒的に多いため、これを淘汰するに至っていない。
[編集] 背景
著作者であるチャオプラヤー・プラクラン (ホン)は同時に『ラーチャーティラート』の編纂者の一人としても知られる。ラーチャーティラートはビルマを軍事的に圧迫するモン族の王に関する物語であるが、このような作品がモン語からタイ語に訳されたことは、当時ビルマに圧迫されていたタイの軍事的背景を考えると分かりやすい。サームコックの内容自体はむろんビルマとタイの軋轢には関係がないが、ラーマ2世は「義」もって主君を守ろうと死闘する三国志演義をタイ語に翻訳することで、官吏達の志気を向上させようとしたねらいがあったとされる。
[編集] 影響
現代語初の格調ある文学作品として、現代のタイ文学に非常に大きな影響を与えた。この文体を真似て、若き日のビルマ王、バインナウンを主題とした『十方勝利者』やアユタヤ王朝時代を背景にした架空の将軍を活躍を描いた『クン・スック』が書かれた。また、タイ語現代語(特に文語)の形成に大きな影響を及ぼした。
民間に新聞が普及してくるとサームコックも連載されたが、これは新たな中国文学ブームを生み四大奇書はもとより、『封神演義』などのマイナーな作品も翻訳され、広くタイ人一般に知られるようになった。例として、現在ではタイの華人でない子供でも「サイイウ」と称し『西遊記』が親しまれていることが挙げられる。結果的にこのような中国文化の氾濫はそれを受け入れる土壌をタイにはぐくむことになり、現在では中国の時代劇ドラマなどが放送され広く受け入れられてるという現象が起こっている。
また、タイではマカロニ・ウエスタンのタイ・中国版ともいうべき中国時代劇ドラマの小説や映画が多数制作されている。