サーラシ・フェレンツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サーラシ・フェレンツ(Szálasi Ferenc;1897年1月6日 - 1946年3月12日)は、ハンガリーの政治家。20世紀前半のファシスト組織、矢十字党の指導者。本姓はサロスヤン(Salosjan)。
カッサ出身。第一次世界大戦に従軍し、戦後、ハンガリー軍に勤務。1925年4月から参謀本部勤務。1930年、秘密組織「ハンガリー生活同盟」(Magyar Élet Szövetség)に入り、その主要指導者の1人となった。1935年、中佐の階級で退役し、民族主義組織「国民の意思」党(Nemzet Akaratanak Pártja)を創設。1937年4月、同党は政府により禁止された。1937年、ファシスト組織「矢十字党」(Nyilaskeresztes Párt)を設立してその党首となった。1938年4月、反政府活動により逮捕され、刑務所に入れられた。1940年9月、アドルフ・ヒトラーの圧力により釈放され、ドイツに移った。
1944年3月19日、ドイツ軍はハンガリーを占領し、サーラシは帰国した。1944年8月、ドイツの支援の下、クーデターの準備を始める。1944年10月16日、矢十字党は郵便局、駅、ラジオ局を占拠し、ドイツ軍は摂政宮殿を占領した。同日、サーラシは「国民指導者」を宣言し、ドイツ占領地を統治した。11月3日、ホルティ・ミクローシュの退任とK.ベレグフィ、F.ライニシュ、S.チアから成る摂政会議の創設が布告された。11月初め、総動員を布告し、ソ連軍への抵抗を組織しようと試みた。1945年3月27日、政府は瓦解した。
1945年5月9日、ザルツブルグでアメリカ軍に投降し、抑留された。後にハンガリー当局に引き渡される。1946年、ハンガリー人民裁判所により死刑を言い渡され、処刑。