ザッハーク
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ザッハーク(ضحّاک、Zahhāk)は、ペルシアの叙事詩『シャー・ナーメ』第4章に登場するマルダースの息子。
ザッハークは4代目の王ジャムシードを弑して王位を簒奪、5代目の王となって続く1000年間、イランを統治する。ジャムシードが死ぬまでが第4章、ザッハークの邪悪な統治とその終焉までが第5章である。
両肩から2匹の蛇が生えていて、その蛇を養うために若者2人の脳味噌を喰らう。古代イランの聖典『アヴェスタ』中の「ザームヤズド・ヤシュト」などに登場する邪竜アジ・ダハーカがモデルとなっている。
ザッハークの支配に終止符を打ったのが、後に6代目の王となる英雄フェリドゥーンだ。彼はザッハークを捕縛してデマーヴァンド山に幽閉した。ザッハークの心臓からは、血が滴り落ち続けたという。
[編集] 歴史的背景
スルタン・サハック(ザッハーク、またはアスティアゲス)は実在した古代メディア王国5代目の王ルシュティヴェガ・アジ・ダハーカ(584-549 B. C)がモデルになっている。
ザッハークが邪悪な王となった経緯は、モデルとなったスルタン・サハックがゾロアスター教を弾圧し、ミトラ教(後のミトラス教)を擁護したことに起因する。それを裏付ける現象として、ゾロアスター教・イスラム教では悪魔視されているが、対するミトラ教では聖王として扱われている。(ゾロアスターとミトラ教はザラスシュトラの教義を共有しているが、ゾロアスターが善悪二元論的であるのに対してミトラ教は善悪融和的な側面があるため、主張が対立する場合がある)
またスルタン・サハックのメディア王国は、当時属領だったペルシア(後のアケメネス朝)のキュロス2世によって滅ぼされ殺害されているが、キュロスの母はサハックの娘(メディア王女マンダネー)であり、キュロスとサハックは祖父と孫の関係にあたる。事実を客観的に見るならば、キュロス王の祖父殺しを正当化するためにザッハークを邪悪な王に仕立てあげ、あたかも悪魔退治をしたかのように話をすり替えたものと推察される。(キュロス王は占領地の民衆に対して開放的で優秀な人物であったが、あくまで為政者・征服者であって、聖人君子ではない)
またサハック王の統治は当初無難なものであったとする説もあるが、メディア王国の詳しい実態はいまだ判明していないので確実な情報とは言えない。ただし、上記の理由から宗教紛争問題を抱えていた可能性は充分ありうる。
いずれにしても、以上の事情を考慮した上で中立の視点を持つならば、サハック王に対するザッハーク伝説は「宗教的主観による過剰な誹謗中傷」、「やや過大評価な聖人扱い」の側面があるのは否めない。
余談だが、ザッハーク伝説では「バビロンのクリンタに住む」とされているが、この逸話の出所はメディア王国の滅亡と共にバビロン(バビロニア、カルデア)に逃れたミトラ教徒が、毎年12月25日頃に主神である太陽神ミトラと共に聖王サハックを祝う催しを執りおこなっていた事に由来するとの説がある。
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