大キュロス
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大キュロス(希Kuros、英Cyrus the Great、紀元前600年頃-紀元前529年)は、イランの建国者で、古代イラン帝国(ペルシア帝国、アケメネス朝)の初代皇帝(諸王の王:紀元前550年-紀元前529年)。古代エジプトを除くすべての古代オリエント諸国を統一して、空前の大帝国を建設した。古代ペルシア語名をクリシュなどといい、ギリシア語名をキュロス(クロス)、ラテン語名をキルス、古典ヘブライ語名をコレシュという。同名の王子小キュロスと区別して「大キュロス」、キュロス大王ともいい、同名のアンシャン王と区別してキュロス2世とも呼ばれる。現代のイラン人は、大キュロスをイランの建国者と称えている。
キュロスは、メディア王国(マーダ)に従属する小王国アンシャンの第7代の王(紀元前559年-紀元前550年)であったが、紀元前550年にアステュアゲス王を打倒してメディアを滅ぼし、不死身の1万人と呼ばれた軍団を率いてリディア王国や東方など各地を転戦して征服。ついには新バビロニア王国を倒し、バビロンに入城して「諸王の王」と号し、バビロン捕囚にあったユダヤ人を解放した。彼はさらに東方辺境に転戦して、東はヤクサルテス川から西は小アジアに至る広大な古代イラン帝国(ペルシア帝国)を建設した。ヘロドトスは著書「ヒストリアイ」の中で、キュロスがマッサゲタイ人との戦いで戦死したという説を伝えている。キュロスは、被征服諸民族に対して寛大であったので、後世に理想的な帝王として仰がれ、旧約聖書ではメシア(救世主)と呼ばれている。キュロスの伝記には、クセノポンの「キュロス伝」がある。
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[編集] キュロスの円筒印章
[編集] ヘロドトスによるキュロス伝
[編集] 旧約聖書におけるキュロス
『ダニエル書』などに登場する。
[編集] 関連項目
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