シャルンホルスト級巡洋戦艦
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シャルンホルスト級巡洋戦艦( - きゅう じゅんようせんかん)とは再軍備計画でドイッチュラント級装甲艦 (ポケット戦艦」)の次にドイツ海軍が建造した巡洋戦艦の艦級。当時のドイツにとって海軍再建後に最初に建造された本格的な戦艦である。第一次世界大戦時に存在した同名の巡洋艦はシャルンホルスト級大型巡洋艦を参照。
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[編集] 名称
ドイツ海軍は本級を一環して戦艦(シャルンホルスト級戦艦、Schlachtschiff der Scharnhorst-Klasse)として分類していた為、厳密には巡洋戦艦(Schlachtkreuzer)という類別は不適切なものである。しかし、第一次世界大戦のユトランド沖海戦における戦訓により、各国で巡洋戦艦の防御力の強化並びに戦艦の速度の向上が計られて両者に歩み寄りが生じていた中で、本級は他国の巡洋戦艦よりも艦舷装甲等で勝る一方、他国の戦艦に比れば主砲の口径や甲板装甲、水雷防御などは劣るという、両者の中間に位置するような存在であったことから、他国での本級の分類には相違が生じた。イギリス海軍は本級を巡洋戦艦とみなし、Gneisenau class Battlecruiser Scharnhorstというように竣工の早いグナイゼナウの名を艦級としていたが、同じ連合国側でもアメリカ海軍では戦艦(BB)として分類していた。日本では出版物等で艦級名をシャルンホルスト級、類別を巡洋戦艦とする例が普及しているため、当記事はそれに従っている。
[編集] 概要
当初の計画では基準排水量2万トン未満、主砲は28.3cm砲6門のままで速力と防御力に重点を置いた艦で、仮称名称「D級装甲艦」と命名された。だが、ドイッチュラント級に対抗してフランスが中型戦艦 ダンケルク級戦艦の建造に着手したとの情報を入手した為、「既存の設計では対抗できず」として当艦も対抗して大型化することになった。しかし設計当時は未だヴェルサイユ条約の制限が壁となり、計画案は水面下で研究が行われた。排水量は19,500トン~38,000トンから、主砲は28cm~38cmまでの口径が検討され、砲塔搭載方式も連装、3連装、4連装まで研究された。その中には「28cm4連装砲2基、19,900トン、34ノット」「35cm3連装砲2基+同連装砲1基、20,400トン、33ノット」「38cm連装砲2基、15,000トン、30ノット」等の設計案が検討された。しかし、どんなに設計は行っていても卓上での研究であり実際に建艦しない事には国防の役にも立たない事は明白で、その為にはヴェルサイユ条約の破棄が必要であった。1930年に「D級装甲艦」は「基準排水量19,900トンで主砲28cm砲6門、速力30ノット以上。装甲は8インチ(203mm)砲に対し9,000mの砲戦距離で耐える」の案が採用され、建造が開始された。
1935年1月にヴェルサイユ条約の破棄を受けて建造が一時中断された当艦は基準排水量26,600トン、速力30ノット以上を目指して計画が開始された。艦型の大型化に伴い砲塔を3基に増加している。また、当初搭載予定の新型ディーゼルエンジンは、信頼性と高速発揮に不安があるために搭載を見送り、技術的蓄積がある重油専焼高圧缶とタービン機関の組み合わせに変更された。
船体の基本構造は設計期間短縮の為に第一次世界大戦時に設計されたマッケンゼン級巡洋戦艦の設計を流用、ドイッチュラント級で採用された「舷側・艦低部の3重構造」は採用されず水雷防御を結果的に低下させた。主砲は当初1930年型28cm(52口径)砲を9門搭載するはずであったが、ダンケルク級の舷側防御は12インチとの情報が入ったため、28.3cm砲では攻撃力不足との判断から38cm砲連装3基搭載に設計が変更されたのだが、この砲は開発に時間が掛かり、ダンケルク級の舷側装甲が実は10インチ以下との情報を入手できた事もあり、1928年型28cm(52口径)砲の改良型である1934年型28cm(54.5口径)砲搭載に改められた。後に38cm砲に主砲を換装する予定であったが結局の所は果たされなかった。
副砲は「D級装甲艦」時はドイッチュラント級装甲艦と同じ1928年型15cm(55口径)砲を単装砲架8門の設計であったが、門数を5割増やして連装砲塔2基+同単装砲4基計12門を片舷に連装砲塔2基の間に単装砲架1基ずつを背中合せに搭載した。この特異な配置の為に発射速度や荒天下での操作性に差異が生じたようで成功した配置とは言えず、後の「ビスマルク級」では連装6基に改められた。高角砲は1933年型10.5cm(65口径)高角砲を連装砲架7基計14門を左右舷側に3基ずつと三番主砲塔直前に後ろ向きに1基配置した、他に3.7cm(83口径)連装高射機関砲8基、2cm(65口径)連装高射機関砲5基を搭載した。
竣工時のシャルンホルストは艦首形状がほぼ垂直に近いものであったが、凌波性に問題があり、公試時の高速下飛沫が前部主砲塔はおろか艦橋にまで達したため、再ドック入りしアトランティック・バウへ改修された。(建造中であったグナイゼナウは最初から改修を実施したため、完工はグナイゼナウの方が早かった。) この改修により艦の全長は若干延長された。だが凌波性は改善されたとは言えず、今度は錨鎖穴に海水が吹き込んで甲板から噴水のように噴出した為、穴は塞がれて艦首にフェア・リーダーが付けられた。
防御要領は第一次世界大戦型の防御様式からさほど進化しておらず、水平防御は原案よりは若干強化はされているものの、「大口径砲による大落下角砲弾もしく高度からの水平爆撃」には充分ではなかった。「33cm砲弾に対し、距離15,000m~20,000mで耐えうるもの」を目標として、防御装甲は水線面より上の狭い範囲のみ350mmの装甲板で覆われ、水線面下部は170mmだが、それさえも上下幅が短く水中弾や大型魚雷への防御は考えられていなかった。船体垂直面の大部分を覆うのは僅か45mmの装甲で、巡洋艦はおろか大型駆逐艦の主砲に対しても充分とは言えなかった。マッケンゼン級の時代には石炭庫が充填材の役目を果たしたが、液体化石燃料を使用する近代戦艦ではその手は使えず、間隔の開いた二層の空間の背後に45mmの装甲を艦底面まで伸ばして妥協してあった。
本級の存在理由である「ダンケルク級への対抗」を考察してみると、結果的には不十分だったとしか言えない。その理由は28cm砲の採用により対艦火力が著しく低下してしまったからである。第一次世界大戦では「ドイツの11インチ砲・12インチ砲は英国の15インチ砲に匹敵する」と、カイザー自ら宣伝した(この神話は現代日本でも通用している)が、これは砲弾を軽くし、装薬を多くして初速を稼げば近距離(5,000~8,000m)での貫通力で15インチ砲に匹敵する威力が得られたのだが、反面、遠距離砲戦では砲弾の失速が激しすぎて垂直装甲に貫通できずに弾かれるケースが出る上に、砲弾自体の重量で落下速度を稼げないので水平打撃力は日本製14インチ砲弾にも劣る。その為、砲戦距離が20,000~30,000mと伸びた第二次世界大戦時のレベルではドイツの11インチ砲は役に立たないのである(対巡洋艦を意識したドイッチュラント級では砲戦距離が1万m前後で砲の性能自体問題は少なかった)。 ちなみに、ダンケルクの1931年型33cm(52口径)砲も性質ではドイツのそれと一緒なのであるが、こちらは砲弾が552kgと14インチ砲弾並みに重く、近距離では舷側にあたり、遠距離では程よく甲板に落ちる優秀な弾道特性を持つので、事態はそれほど深刻ではなく、2万m台での砲戦ならば第一次世界大戦以後の超弩級戦艦に対し大被害を与えられる性能を持っている。 結局ダンケルクより5cmも小さい砲を採用せざるを得なかったところに本級の悲劇があり、想定されていた38cm砲を搭載してこそ十分な攻防性能を発揮できたはずである。
[編集] 同型艦
改装などで時期によって装備が異なるため、性能諸元は各艦のページを参照。