シーザー武志
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シーザー武志(シーザーたけし、1955年8月17日 - )は、シュートボクシングの創始者。
本名:村田 友文(むらた ともふみ)。山口県出身。身長178cm、体重78kg。
元キックボクシングウェルター級とミドル級のチャンピオン。現在は、シュートボクシング協会と格闘技ジムのシーザージム会長。打撃系の格闘家らしからぬ端正な顔立ちから、多数のヤクザ映画等に出演し、異色派の俳優としても活動している。
目次 |
[編集] 経歴
16歳からキックボクシングを始め、1972年にプロデビュー。沢村忠の再来と呼ばれ、日本キックボクシング協会ウェルター級の王座を獲得し活躍。その後、派閥争いに揺れるキック界を離れて新たな道を模索するようになり、同様にプロレス界から離れ新たな格闘技を模索してタイガー・ジムを設立した同郷の佐山聡と知り合う。佐山の紹介でカール・ゴッチと出会い、前田日明ら旧UWFのメンバーに本格的なキックの指導を行って1984年のUWF旗揚げに貢献した。これらの経験はシーザー自身にも影響を与え、立ち技格闘技であるキックボクシングに投げ技と極め技の要素を取り入れ、新たな格闘技系プロスポーツの確立を志すに至った。
UWFが注目されるのに伴いシーザーにも関心が集まり始め、1985年9月に自身が理想とする立ち技総合格闘技のシュートボクシングを創設、翌1986年には初代全日本ホーク級王座を獲得した。
これら一連のムーブメントを受けて創刊された格闘技通信などでシュートボクシングが記事として取り上げられ、シーザー自身は世界各国の支部設立と、統括組織のワールドシュートボクシング協会の設立に奔走。以降、新生UWF、リングス、パンクラス等とも積極的に交流を続けながら、シュートボクシングの大会『S-cup』を定期的に開催。立ち技格闘技、総合格闘技界と人脈を築き、2004年12月に設立されたNPO法人格闘メディカル協会に参加している。
[編集] 獲得タイトル
- A.P.K.F.(Asia Pacific Kickboxing Federation)ウェルター級王座
- A.P.K.F.ミドル級王座
- J.S.B.A.(Japan Shoot Boxing Association)ホーク級王座
- W.S.B.A.(World Shoot Boxing Association)ホーク級王座
[編集] 主な出演作
[編集] 映画
- 鉄拳(1990年、監督:阪本順治)
- 王手(1991年、監督:阪本順治)
- ありふれた愛に関する調査(1992年、監督:榎戸耕史)
- 新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争(1995年、監督:三池崇史)
- KAMIKAZE TAXI(1995年、監督:原田眞人)
- 極道戦国志 不動(1996年、監督:三池崇史)
- 岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇(1997年、監督:三池崇史)
- 渇きの街(1997年、監督:榎戸耕史) 他
[編集] 著作
- 絆 - 良い人生は情によって育まれる(2005年、ネコパブリッシング)ISBN 4-7770-5117-X
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 格闘技関連のスタブ項目 | 格闘技の関係者 | 日本のキックボクサー | 1955年生 | 山口県出身の人物 | 日本の俳優 | ヤクザ映画