ジャン=ルイ・ガセー
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ジャン=ルイ・ガセー(Jean-Louis Gassée、1944年 -)は、パーム・ソース社のCEO。またBeOSを開発したBe社の設立者としても有名である。
[編集] 経歴
1944年に、フランスのパリに生まれる。オルセー大学で数学と物理学を学び、パリ大学の博士課程に進むが、修士号を取得して退学。エクソンのフランス子会社やヒューレット・パッカード勤務の後、1981年にアップルコンピュータに移り、1985年からはアップルのフランス法人の社長となる。
1985年にスティーブ・ジョブズのアップル離脱のキーマンとなり、クパチーノ本社によばれ、技術担当になる。Machintosh II、Macintosh Portableの開発などの指揮をとる。
ガセーは、アップルはマックに集中すべきだと考えていた。彼はマッキントッシュの外部ライセンスに反対の立場をとり、またジョン・スカリーが積極的に推し進めていたニュートン・メッセージパッドの開発にも批判的(自身が開発許可を与えたにも関わらず)な立場であった。結局はスカリーと対立がもとで1990年アップルを退社することになった。退社に際しては、ポータブルと称するには余りにも巨大なMacintosh Portableを開発した成果を評してガイ・カワサキからウォークマンと称してラジカセがプレゼントされたという。
1990年、彼はBe社を設立し、C++ベースのオペレーティングシステム、BeOSの開発に着手する。1995年に、BeOS専用機でPowerPC603を2基搭載したBeBOXを製品化。さらにマック上で動作するBeOSを短期間で開発し、マッキントッシュ互換機を販売していたパワーコンピューティング社にライセンスするなどした。
一方で、IBMと共同開発を行っていたタリジェントや先進機能を取り入れたコープランドの開発に失敗していたアップルは、外部からのOSの調達を迫られており、1996年からBe社との交渉が始まる。ガセー本人は買収金額には執着しないと語っていたが、Be社はアップルに最初1億ドルを要求、アップルは当初5000万ドル程度とBe社を見積もっていた。アップルが他に選択肢がないとみると4億ドルまで価格を吊り上げたといわれている。
1996年末、ジョブズのNeXTSTEPとの比較プレゼンテーションがアップル本社で行われた。ガセー本人は単なる形式で、アップルはBeを選択するだろうと考えていたが、結論はNeXTSTEPが採用された。
BeOSはその後、x86プラットフォームに移植し、活路を求めた。日立製作所からBeOS搭載機なども発売されたが、マーケット的には失敗に終わり、2001年8月、Be社をパーム社に1100万ドルで売却した。
ガセーは2004年に、パーム・ソース社のCEOに就任した。