IBM
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IBM(アイビーエム、正式社名: International Business Machines Corporation、NYSE: IBM) は、コンピュータ関連のハードウェア・ソフトウェア・サービスおよびビジネスコンサルティングサービスを提供するアメリカ合衆国ニューヨーク州アーモンクに本社を置く企業。製品やロゴの色からアメリカでは Big Blue の愛称で呼ばれており、これに由来してIBMのプロジェクトには「ブルー」とつくものが多い。日本法人は日本アイ・ビー・エム株式会社 および IBMビジネスコンサルティングサービス株式会社。
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[編集] 概説
システムインテグレーター企業であり、全世界で活動を行う多国籍企業である。コンピュータ関連企業としては、世界最大。サーバーやソフトウェアの開発・製造・販売、CPUの製造も手がける。ホレリス統計機が国勢調査に用いられるようになってから事業が大幅に伸び、企業や政府の計算需要に目をつけて第二次大戦後にコンピュータの開発と販売に乗り出す。1933年にエレクトロマチック・タイプライターズ・カンパニーを買収して、タイプライター事業にも乗り出した。1964年に最初の汎用メインフレームシステム/360の開発に成功し、他社を圧倒してメインフレーム市場をほぼ独占する。その一方で1970年代のパーソナルコンピュータの波には完全に乗り遅れ、主導権を取り戻すためにIBM-PCを投入し成功を収めるが、その後IBM互換機メーカーのデルやコンパックに主導権を奪われ、収益の核となるOSとCPUはマイクロソフトとインテルに握られてしまった。パーソナルコンピュータの性能向上によりメインフレームの収益が悪化し、1993年には8億ドルの赤字を出し、倒産の危機に見舞われた。ナビスコ社から引き抜かれたルイス・ガースナーがCEOに就任し、不採算部門の売却、世界規模の事業統合、官僚主義の一掃、顧客指向の事業経営を行い、独自システムにOSによる顧客の囲い込みをやめ、オープンシステムを採用したシステムインテグレーター事業へ戦略を大きく転換した。Linuxを推進する大手コンピュータ企業の筆頭となった。
1991年3月27日にタイプライター事業部門をレックスマーク・インターナショナル・インコーポレイテッドとしてスピンオフ。
2002年10月1日に米 PricewaterhouseCoopers より経営コンサルティング部門を買収。本格的なサービス事業の強化を図る。
2002年12月31日にハードディスクドライブ事業部門を日本の株式会社日立製作所に売却。翌2003年1月1日に同事業部門及び日立のHDD部門を統合した日立グローバルストレージテクノロジーズが発足。
2004年12月8日にパーソナルコンピュータ事業部門 (Personal Computing Division) を中国の聯想集団有限公司 (Lenovo Group Limited) に売却すると発表。
2006年1月25日に周辺機器部門のひとつである法人向けプリンタ事業を日本の株式会社リコーに売却することを発表。3年を掛けてプリンタ事業から撤退する予定。
高収益と豊富な資金力を背景に基礎科学の研究にも力をいれ、ワトソン研究所やチューリッヒ研究所からはノーベル賞受賞者を輩出している。
[編集] 歴史
[編集] 草創期
IBMの歴史は電子計算機の開発の数十年前に始まる。電子計算機の前には、パンチカードによるデータ処理機器を開発していた。1911年6月15日、ニューヨーク州にザ・コンピューター・タビュレーティング・レコーディング・カンパニー (C-T-R : The Computing-Tabulating-Recording Company) として設立された。
CTRは3つの別個の企業の合併を通じて成形された。ザ・タビュレーティング・マシーン・カンパニー(1896年設立)、ザ・インターナショナル・タイム・レコーディング・カンパニー・オブ・ニューヨーク(1900年設立)、コンピューティング・スケール・カンパニー・オブ・アメリカ(1901年設立)の3社である。タビュレーティング・マシーン・カンパニーの当時の社長は創業者のハーマン・ホレリスであった。この合併の鍵を握っている人物は資産家のチャールズ・フリントであり、彼は3社の創業者を集めて合併を提案し、1930年に引退するまでC-T-Rの取締役であった。[1]
トーマス・J・ワトソン・シニアはIBMの創立者とされており、1914年にC-T-Rの事業部長(ゼネラルマネージャー)として迎えられ、1915年に社長となった。IBMでは1914年を創立の年としている。1917年、C-T-Rはカナダ市場に参入する際に International Business Machine Co., Limited の社名を使用し、1924年2月14日に本体の社名を現在と同じ International Business Machines Corporation に変更した。
C-T-Rの元となった3社は様々な製品を製造していた。従業員勤務時間記録システム、計量器、自動食肉薄切り機、そしてコンピュータの開発にとって重要なパンチカード関連機器などである。時とともにC-T-Rはパンチカード関連事業を中心とするようになり、他の事業は徐々にやめていった。
[編集] 第二次世界大戦
エドウィン・ブラック(IBMがOS/2販売方針をエンタープライズ向けに変更した結果、廃刊に追い込まれたコンシューマー向けパソコン雑誌『OS/2プロフェッショナル』『OS/2ウイーク』の編集発行人であった)の2001年の著書 IBM and the Holocaust (ISBN 0609808990) では、IBMのニューヨーク本社とCEOトーマス・J・ワトソンが海外子会社を通してナチス・ドイツにパンチカード機器を供給しており、ホロコーストの実行にそれが使われる可能性を認識していたと主張している。同書では、ニューヨーク本社の協力のもとでIBMジュネーブオフィスとドイツ内の子会社 Dehomag がナチスの残虐行為を積極的にサポートしていたと主張している。ブラック氏はそれらのマシンを使うことでナチスの行為が効率化されたとも述べている。2003年のドキュメンタリー The Corporation でもこの問題を追及している。
IBMはこれらを証拠に起こされた訴訟で、それを裏付けるだけの当時の資料を保有していないとし、これらを退けた。IBMはまた、著者や原告によって提起された主張を真剣に受け止め、この件に関する適切な学問的評価を期待している、と述べている。[2]
第二次世界大戦期間中、IBMはブローニング自動小銃BARとM1カービン銃を製造した。同盟各国の軍ではIBMのタビュレーティングマシンは会計処理や兵站業務などの戦争関連の目的で広く使われた。ロスアラモスで行われた世界初の核兵器開発計画であるマンハッタン計画ではIBMのパンチカード機器が広く計算に使用された。このことはリチャード・P・ファインマンの著書『ご冗談でしょう、ファインマンさん』に記されている。同じく戦時中、IBMは海軍のために Harvard Mark I を開発した。アメリカ初の大規模な自動デジタル計算機である。
[編集] 空軍と航空会社のプロジェクト
1950年代、IBMはアメリカ空軍の自動化防衛システムのためのコンピュータを開発する契約を結んだ。SAGE対空システムに関わることでIBMはMITで行われている重要な研究にアクセスできた。それは世界初のリアルタイム指向のデジタルコンピュータで、CRT表示、磁気コアメモリ、ライトガン、最初の実用的代数コンピュータ言語、デジタル・アナログ変換技術、電話回線でのデジタルデータ転送などの最新技術が含まれている (Whirlwind)。IBMは56台のSAGE用コンピュータを製造し(1台3000万ドル)、最盛期には7,000人が従事していた(当時の全従業員の20%)。直接的な利益よりも長期にわたるプロジェクトによる安定に意味があった。ただし、先端技術へのアクセスは軍の保護下で行われた。また、IBMはプロジェクトのソフトウェア開発をランド研究所に取られてしまい、勃興期のソフトウェア産業で支配的な役割を得るチャンスを逃した。プロジェクト関係者 Robert P. Crago は、「プロジェクトがいつか完了したとき、2000人のプログラマにIBM内で次に何をさせればいいか想像も出来なかった」と述べている。IBMはSAGEでの大規模リアルタイムネットワーク構築の経験を生かし、SABRE航空予約システムを開発し、さらなる成功を収めた。
[編集] 1960年代から1980年代までの成功
1960年代のIBMはコンピュータ主要8社(UNIVAC、バロース、Scientific Data Systems (SDS)、CDC、GE、RCA、ハネウェル、IBM)の中でも最も大きなシェアを有していた。人々はこれを指して「IBMと7人の小人」と称した。その後、バロース、UNIVAC、NCR、CDC、ハネウェルだけがメインフレームを製造するようになり、企業名の頭文字をとって「IBMとB.U.N.C.H」と呼ばれることもあった。これらの企業はバロースとUNIVAC(スペリー)の合併で誕生したユニシス以外はIBMの独占するメインフレーム市場から事実上撤退した。そのころのIBMのコンピュータ製品群は名称を変更しながら今日も成長し続けている。IBMの System/360 として生まれたメインフレームは、今日では64ビットの IBM System z となっている。
1960年代中ごろのIBMの成功により、アメリカ司法省は独占禁止法違反でIBMを提訴した(1969年1月17日)。IBMが汎用電子デジタルコンピュータ市場(特にビジネス向けに設計されたコンピュータ)を独占しようと謀り、シャーマン独占禁止法の2条に違反したとの訴えである。具体的には、CDC 6600 対抗機種を発表してCDC側の販売に打撃を与え、結局その対抗機種を発売しなかったという件である。訴訟は1983年まで続き、IBMに多大な影響を与えた。なお、同じ訴因でCDCからも訴えられ、CDC側に有利な条件で和解している。IBMはこれ以外にも度々独占禁止法違反で訴えられてきた。古くは1933年、パンチカード機器とパンチカードの抱き合わせ販売で訴えられた。
IBMエントリーシステム部門に雇われたフィリップ・ドン・エストリッジと "skunworks" と呼ばれるチームは1981年8月11日にIBM PCを完成させた。標準価格は1,565ドルで決して安くは無いがビジネスに使用可能であり、PCを購入したのも企業だった。しかし、PCを管轄していたのは同社のコンピュータ部門ではなく、PCはまともなコンピュータとは見なされていなかった。8ビットパソコンの革命的な表計算ソフト VisiCalc の同系統のソフト Lotus 1-2-3 がPC上で動作するようになると、企業の中間管理職層がその可能性を見出した。IBMの名前に保証され、彼らはPCを購入してビジネススクールで学んだ計算をPCで行うようになった。
[編集] 最近の歴史
年度 | 成立した特許数 |
---|---|
2005年 | 2941 |
2004年 | 3248 |
2003年 | 3415 |
2002年 | 3288 |
2001年 | 3411 |
2000年 | 2886 |
1999年 | 2756 |
1998年 | 2658 |
1997年 | 1724 |
1996年 | 1867 |
1995年 | 1383 |
1994年 | 1298 |
1993年 | 1087 |
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1993年1月19日、IBMは1992年度会計での49億7000万ドルの損失を発表した。これは単年度の単一企業による損失額としてはアメリカ史上最悪であった。この損失以来、IBMは事業の主体をハードウェアからソフトウェアとサービスへ大胆にシフトさせることとなる。2002年7月、IBMは PricewaterhouseCoopers 社の経営コンサルティング部門を39億ドルで買収し、顧客のビジネスへの助言能力を強化した。高性能のチップやハードウェア技術を基盤として、IBMはコンサルティング、サービス、ソフトウェアなどからなるビジネスソリューションにますます重心を移している。
近年、IBMは着実に特許件数を増やしており、これが他社とのクロスライセンス契約時に重要となる。1993年から2005年までの毎年、IBMは米国での特許件数で常に第一位であった。この13年間でIBMが取得した特許は31,000件を上回る。知的財産権の保護はビジネスとしても重要性を増している。この期間にIBMは特許使用料などで100億ドル以上を得ている。2003年、フォーブス誌の記事でIBMリサーチの Paul Horn は、IBMが知的財産権のライセンス供与によって毎年10億ドルの利益を得ていると述べている。
2004年12月8日にパーソナルコンピュータ事業部門(Personal Computing Division)を中国の聯想集団有限公司 (Lenovo Group Limited) に売却すると発表した。売却価格は6億ドルで、2005年3月に対米外国投資委員会が承認したことで2005年5月に取り引きが成立した。IBMはLenovoに19%出資し、Lenovoはニューヨーク州に本部を移転して経営陣にIBMの役員も迎えた。Lenovoは5年間、IBMの商標を使用する権利を有する。結果として、IBMの最も成功した製品のひとつであるThinkPadシリーズを引き継ぐこととなった。
[編集] 略歴
- 1911年 - 3社の合併によって、 The Computing-Tabulating-Recording Company 設立
- 1914年 - NCRのセールス部門を統括していたT・J・ワトソン・シニアが初代社長に就任(同社ではこの年を創立の年としている)
- 1924年 - International Business Machines Corporation に改称
- 1974年 - 東京証券取引所外国株市場に上場(コード: 6680)
- 2005年 - 東京証券取引所市場第一部に指定(2月7日。5月6日に上場廃止)
[編集] 日本アイ・ビー・エム株式会社
日本アイ・ビー・エム株式会社(にほんアイ・ビー・エム)は米 IBM Corporation の日本法人である。米IBMの100%子会社であるIBMワールド・トレード・コーポレーション(本社: アメリカ合衆国デラウェア州)の100%子会社、従って、米IBMの孫会社にあたる。
英文表記は IBM Japan, Ltd.
[編集] 日本アイ・ビー・エム株式会社の略歴
- 1937年6月17日 - 日本ワットソン統計会計機械株式会社設立
- 1950年 - 商号を日本インターナショナル・ビジネス・マシーンズ株式会社に変更
- 1959年 - 商号を日本アイ・ビー・エム株式会社に変更
[編集] 日本アイ・ビー・エム株式会社の主な子会社
- 日本アイ・ビー・エム システムズ・エンジニアリング
- JALインフォテック
- 日本アイ・ビー・エム プロキュアメント・センター
- コベルコシステム
- 日本アイ・ビー・エム サービス
- 日本アイ・ビー・テクニカル・ソリューションズ
[編集] 日本アイ・ビー・エム株式会社の主な関連会社
- レノボ・ジャパン株式会社
[編集] IBMビジネスコンサルティングサービス株式会社
IBMビジネスコンサルティングサービス株式会社 (IBCS) は米 IBM Corporation のビジネスコンサルティング部門の日本法人である。米IBM Corporationの100%子会社であり、日本アイ・ビー・エム株式会社と直接の資本関係はない。前節の表現を借りれば、日本アイ・ビー・エムの「養子で来た叔父」に当たる(日本IBMのサイトでも「IBMコーポレーションの日本における子会社」と表記され、「子会社・関連会社および主な関係会社」と区別されている)。但し、日本以外の国においては両部門は原則として単一の組織として連携して活動を行っていることから、日本市場においても両者は(別組織ながら)IBMブランドで事実上一体的なサービス提供を行っている。
そもそもIBMのビジネスコンサルティングサービスは、2002年、当時世界最大の会計事務所であった PricewaterhouseCoopers (PwC) の経営コンサルティング部門を39億ドルで買収することで誕生したが、それに伴って日本法人であったPwCコンサルティング株式会社を引き継いだのが現在のIBCSである (余談ながら、PwC Consulting は同年8月1日付で新社名 "Monday" としてニューヨーク証券取引所に上場する準備を進めていたが、前日の7月31日にIBMによる買収が発表されたためこの計画は中止された。その関係で、日本では商法上1日だけ「マンデー株式会社」が存在し、厳密にはこれがIBCSの前身となっている)。
英文表記は IBM Business Consulting Services KK
[編集] IBMビジネスコンサルティングサービス株式会社の略歴
- 1846年 - サミュエル・L・プライスが産業革命期のロンドンに会計事務所を設立(150年後のPwCの前身)
- 2002年7月31日 - 米IBM、PricewaterhouseCoopers の経営コンサルティング部門の買収を発表
- 2002年10月1日 - 日本においてPwCコンサルティング株式会社を承継し、IBMビジネスコンサルティングサービス株式会社が発足
[編集] 主な製品
IBMのハードウェア製品のラインナップは、以下の4部門に大別される。
このうちPCはさらに以下の4部門に分けられる。(下記の「パソコン」の項目も参照のこと)
- PCサーバーのSystem x
- ビジネスデスクトップのIBM PC、NetVista、ThinkCentre等
- コンシューマーデスクトップのPS/V、Aptiva等
- ノートブックのThinkPad
なおIBMでは、「デスクトップ」といった場合は通常ビジネスデスクトップを指し、コンシューマーデスクトップは「コンシューマー」と呼ばれる。すなわち、PCのラインナップは「サーバー」「デスクトップ」「コンシューマー」「ノートブック」となる。
[編集] サーバー製品
- IBM Systems (旧eserver)
[編集] パソコン
- PC/AT
- PS/2
- ThinkPad・ThinkCentre - (2005年のPC部門のLenovoグループへの売却により、IBMブランドは継続使用しているものの、IBM製品ではなくなっている。従って正確には「Lenovo『IBM ThinkPad』」である)
[編集] ソフトウェア
[編集] マイクロプロセッサ
[編集] Planet Wide Company
IBMが一時期そのホームページで使った表現が Planet Wide Company である。World Wide ではなく、Planet Wide というところにIBMの自負が見られていた。
[編集] 競合企業
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ^ "IBM Archives: Charles R. Flint"
- ^ "IBM Statement on Nazi-era Book and Lawsuit" IBM: 2001-02-14.