ジョン・トーマス・シーファー
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ジョン・トーマス・シーファー (John Thomas "Tom" Schieffer, 1947年10月4日 - ) はアメリカ合衆国の実業家、外交官。2005年から在日本国大使を務めている。 CBSイブニングニュースのアンカーマンであるボブ・シーファーは兄にあたる。
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[編集] 職歴
シーファーはテキサス州フォートワースに生まれた。テキサス大学オースティン校を卒業後、1972年に国際関係学で修士号を授与されている。大学に在学しながら上院議員ドン・ケナードおよび州知事ジョン・コナリーの事務所で働いていた。1972年にテキサス州州議会議員に民主党から当選し1978年の選挙で敗北するまで3期務めている。
1979年にシーファーは法廷弁護士として登録を行い、フォートワースの石油・天然ガス関連企業において弁護士としての活動を始めた。この頃彼はテキサス州民主党保守派のパーティーにおいて、コナリーやロイド・ベンツェンと親交をもった。民主党所属の州知事マーク・ホワイトの選挙戦においては、フォートワース地区の担当として働いている。
[編集] ダラスへの進出
1989年シーファーは当時実業家として働いていたジョージ・W・ブッシュとエドワード・W・ローズと共に野球場開発計画に参加するようになった。この開発計画によってテキサス・レンジャースが誘致され、シーファーは140万ドルもの利益を上げ、テキサス州アーリントンにおける野球場建設事業にも関わるようになった。1994年にブッシュがテキサス州知事選挙の共和党候補に選出されると、シーファーはブッシュを支持しその政治活動を支援するようになった。
テキサス・レンジャースは、1998年に売却され、経営者はみなきわめて大きな利益を獲得した。シーファーは1999年4月まで会社に残り、コンサルタント業を始めるために職を辞した。彼はJ・トーマス・シーファー・マネジメント・カンパニーを設立し、2001年にオーストラリア大使に任命されるまでこの会社を率いた。地域活動にも力を入れ、ペンローズ財団、ダラス・カウンティ・コミュニティ・カレッジ財団、ダラス2012オリンピック招致委員会などの理事を務めている。
[編集] 在豪大使
2001年8月23日にシーファーはキャンベラのオーストラリア政府に信任状を提出した。問題のきわめて少ない米豪関係を反映して、アメリカ合衆国の在オーストラリア大使には外交経験の無い大統領の支持者が任命されることが多く、オーストラリア政府としても、時の大統領と個人的に親しい人物であれば問題視しない姿勢をとっている。
シーファーがキャンベラに到着して1週間も立たないうちに、9月11日のテロが発生した。この日シーファーはオーストラリア首相ジョン・ハワードに同行してワシントンD.C.に滞在していた。オーストラリアへと戻った彼は、しばしばメディアに出演してテロへの非難とアメリカの世界政策への賛同を訴えた。
2002年から2003年にかけてはシーファーには保守ハワード政権と密着しすぎているのではないかとの批判が寄せられることもあった。ハワード首相は2003年のイラク戦争においてもアメリカ合衆国を全面的に支持し、部隊をイラクに送っている。
2001年11月のオーストラリア総選挙後には、それまでテロを受けて超党派でアメリカを支持してきたオーストラリア政界において、シーファーとオーストラリアの野党労働党との関係は、党首が親米のキム・ビーズリーからサイモン・クリーンへと変わったため気まずい物になった。2003年12月にマーク・ラサムが党首に就任すると、関係はさらに悪化した。
2004年のアメリカ大統領選挙でブッシュが再選を果たすと、シーファーは次期在豪大使には就任しないことを発表した。2004年の末に彼はワシントンへと戻ったが、正式な辞任は翌年2005年の4月1日付けとなっている。
[編集] 在日大使
2005年1月にホワイトハウスはシーファーを在日本国大使に任命することを発表した。この人事は上院により承認され4月1日にハワード・H・ベーカーJr.大使の後任として東京に着任した。好調な日米関係の維持、在日アメリカ軍基地再編、BSEに絡むアメリカ産牛肉輸入問題などについて日本政府との交渉にあたっている。
吉野家がアメリカ産牛肉を使った「牛丼復活祭」限定100万食プロモーションキャンペーンを実施した2006年9月18日、シーファーはスザンヌ夫人と東京都内の吉野家店舗に初めて足を運んだ。牛丼を夫妻共にきちんと箸を使って完食、日本の消費者にアメリカ産牛肉の安全性をアピールした。「肉がフィラデルフィアのチーズステーキに味が似ていて最高に美味い(要約)」とシーファーは話す。
2007年3月、米下院で審議されていた所謂従軍慰安婦問題をめぐる対日非難決議案をめぐっては、「河野談話から後退したら、日米関係は破壊的になる」という趣旨の非常に強い表現の発言をおこない、河野談話の歴史観を当時の内閣総理大臣安倍晋三が継承することに期待を示した。
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