スエビ族
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スエビ族 (Suebi、スエービー) は、古代ヨーロッパにいた民族。タキトゥスの『ゲルマーニア』に言及があり、ゲルマン民族に属する北方の蛮族として描かれるが、その民族系統ははっきりわかっていない。
陸路、あるいは、海路からイベリア半島のガラエキア(現ガリシア)地方に411年に定住した。419年に、アラン族とヴァンダル族を追放し、原住民やローマ人とガラエキアを分割し、農村地帯を支配したといわれる。
5世紀中葉に最初の全盛期を迎え、ガラエキアにとどまらず、現アストゥリアス地方西部、現カスティーリャ・レオン地方西部と現ポルトガルの北部にまでその版図は及んだ。
448年、アリウス派の西ゴート王国に対抗して、スエビ王レキアリウスはカトリックに改宗した。
しかし、456年西ゴートに首都プラカラ(現ポルトガル北端部)を占領され、レキアリウスは囚われて、457年ポルトゥカレ(現ポルトガル北端部)で殺害された。
一方、ガラエキアでは、マルドラによって新王朝が建てられて、西ゴートの朝貢国になったり、西ゴートと共存を図ったりし、6世紀末までその王朝を維持することができた。マルドラ王朝は、純粋にスエビ族であったのか、若干混血しただけで、スエビの王権を主張したかは不明だが、後者の可能性が強いと考えられている。
マルドラの子、レミムンドゥスは、再びアリウス派に改宗したが、6世紀中葉にカトリックの影響力が強まったことや、正統教義を奉じるフランク王国や東ローマ帝国との交流があったことで、再びカトリックに改宗した。
576年頃から西ゴートの攻撃が始まり、最後のスエビ王アンデカは、西ゴートの王位継承争いでカトリックに改宗したエルメヒルドを応援し、西ゴート王レオビヒルドに対抗したため、プラカラとポルトゥカレを占領されて、王位を剥奪され、王国は585年に滅亡した。
今日、ガリシアの人口の約1%から2%はスエビ族を祖先にもつといわれる。