ストーン・ローゼズ
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ストーン・ローゼズ (The Stone Roses) はイギリスのグルーヴロックバンド。 1984年、マンチェスターにて結成。 1996年に解散。
ブリットポップひいては後の音楽シーンに多大なる影響を与えたバンド。
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[編集] メンバー
- 決して激しない、時に囁くようなイアンのヴォーカルは非常に特徴的であるが、ライヴではとにかく音程に波があり、当たり外れが大きい。 しかしその優れた声質は、彼の超然としたたたずまいとともに他のロックバンドとローゼズを明らかに違ったものにした。
- ジョン・スクワイア Jonathan Thomas Squire /ギター 1962年11月24日生まれ
- イアンとは幼少の頃、公園の砂場で出会って以来の幼馴染。 メンバーらより 「重症」 と評されるほどのシャイな性格の持ち主で、これが外向的なイアンとの好対照を生む (しかし気心の知れた人々とはよく話す)。 96年の春に 「このままではいつまでたっても、カーテンの揺らめきに言いようのない不安を覚えるのと同じだ」 と言い残し、突如脱退。 ローゼズの創造面における要であった彼の脱退は、大事件であったといえる。
- マニ Gary Michael Mounfield /ベース1962年11月16日生まれ
- オーディションにて一番最後にローゼズに加入。 確かな腕と人懐っこい性格でメンバー間の潤滑油となる。 ハウス、ファンク/ソウル、ヒップホップ、ダブ、レゲエなどに大きな影響を受けた。
- レニ Alan John Wren /ドラム 1964年4月10日生まれ
- 数少ないドラムセットから繰り出すテクニックは独自のグルーヴとシャッフル感を兼ね揃え、当代のロックシーンの中でも最高のドラマーだと称された。 その卓越した技術は、ザ・フーにより、彼らの元ドラマー、故キース・ムーンの後釜としてオファーを受けたほど。
- 95年、Second Coming ツアーの前に脱退。
[編集] その他関係者
- ジョン・レッキー John Leckie
- 1st アルバムのプロデューサー。 2ndアルバムでも一部の曲を担当。 ローゼズの成功により更に名を上げる。 稀代のコミュニケイターとしてメンバーらに慕われる。
- クレッサ Cressa
- ギターのイフェクター兼ダンサー。 一度見たら忘れられない (タコの様な) 奇妙な動きをステージ上にて行う。 1stアルバムの頃、ライヴ要員として活躍。
- ロビー・マディックス Robbie J. Maddix
- 脱退したレニの後を引き継いだドラマー。 同時にリミキサー/プロデューサーでもあり、シングル "Begging You" の "Chic Mix" は彼の仕事。 ヴォーカル以外の全楽器がローゼズのメンバー本人らにより演奏し直され、クラブ志向の洗練された作風でいてなお強力にファンキーな 中毒性のある仕上りで、ローゼズが存続していたらこのような音になっていただろう、と予見させるもの (マニの新しいベースラインも必聴もの)。 ひらめき先行型でアイディア豊富な先代のレニに比べ、ロビーのドラムは 柔鋼の同居した、粘り気のある安定したスタイル。
- アジズ・イブラヒム Aziz Ibrahim
- 脱退したジョンの後を引き継いだギタリスト。 隠し味としてアジア風のメロディを奏でる。 Simply Red, Asia, PM Dawn, Talvin Singh, Paul Weller, Noel Gallagher 等との仕事が有名。 Ian Brown のソロキャリアにおけるレコーディングおよびツアーにて不可欠なメンバーとなる。 アジア・ブルーズの第一人者。 Longsight, Manchester 出身、パキスタン系。 注: 「アジア」 とはアラブ風のものをさす。
- ナイジェル・イッピンソン Nigel Ippinson
- 1996年ストーン・ローゼズ最後のステージとなったレディング・フェスティヴァルでキーボードを担当。 「スパイダーマンのよう」 とメンバーらに評される張り切ったプレイでバンドに渇を与えた。
[編集] 歴史
[編集] 初期
幼馴染のイアン・ブラウン (ヴォーカル担当) とジョン・スクワイア (ギター担当) によって結成される。 その後、レニ (本名アラン・レン) をドラマーに迎え、ベース担当のピート・ガーナーとリズムギター担当のアンディ・カズンズを加え、オリジナルラインナップが形成される。
バンド名はローリングストーンズのストーンとポール・ウェラーに傾倒していたイアンがザ・ジャムのイングリッシュローズと言う曲のローズを取ってつけたとされるが諸説は色々ある。 ロッキン’オン誌のインタヴューでは硬いもの=石、と柔らかいもの=薔薇の組み合わせであるとも語っている。
彼らは当初、セックス・ピストルズやザ・クラッシュ、ザ・ジャムから影響を受けていたことからも分かるように、展開が速く攻撃的な、パンク色の強い曲を中心とし活動していた。 これらは、現在、ストーン・ローゼズの代表曲と称される楽曲の内容とは大きく異なるものである。
1985年、9月に Thin Line Records から両A面シングル、"So Young/Tell Me" をリリースしデビュー。 不発に終わる (先に述べた「パンク色の強い曲」とはこの時期のもので、その後彼らはそれらの楽曲を自分達のものと認めていない)。
1987年5月、FM Revolver からセカンド・シングル "Sally Cinnamon" をリリース。 セックス・ピストルズ調のノイズを轟々と響かせた曲とは違い、バーズ調の、メロディ重視の楽曲へと大きな進化を遂げる。 余談だがノエル・ギャラガーは「初めてこの曲のイントロを聴いたとき、俺の運命を感じた」と述べている通り、この曲から多大な影響を受けている。 1996年4月28日にマンチェスターの Maine Road で行われたオアシスのライヴで、"Acquiesce" 演奏後にノエルは "Sally Cinnamon" のイントロを弾いている。
1988年10月、"Elephant Stone" をリリース。 ニューオーダーのピーター・フックがミックスを担当している。 この頃までにピート・ガーナーとアンディ・カズンズが脱退(アンディは後に "The High" を結成。 アルバム "Somewhere Soon" を発表)、その穴を埋めるべくしてベーシストのマニ (本名ゲアリー・マンフィールド) が加入。 いわゆる 「黄金期」 のラインナップとなる。
[編集] ファーストアルバム期
1989年2月、シングル、 "Made of Stone" が発売され、NME のシングル・オヴ・ザ・ウィークに選ばれる。 4月、ジョン・レッキーをプロデューサーに迎えた 1stアルバム "The Stone Roses" を発売。 UKチャート初登場47位を獲得する。 この頃から大々的なプレスの取り上げや口コミによってイギリス全土へ名を馳せる。 10月には初来日し、4会場でライヴを行う。 11月、シングル "Fools Gold" をリリース。 バンドにとっては初のチャートトップ10入り (最高位8位) をする。 10分近くもある、バンドにとって最も冒険的といえるこの曲は当初、 "What The World Is Waiting For" のB面の予定だったが、現在では彼らを代表する曲と位置づけられている。 この曲のドラミングはギタリストのジョン・スクワイアによってジェイムズ・ブラウンの名曲; "Funky Drummer" をアレンジした上でプログラムされた。 彼は「'90年代はオーディエンスが主役となる時代」と主張、ローゼズの曲が踊れるのも聴き手・観客の参与をうながす効果を見込んでのこと。 この年のイギリスの殆どの音楽雑誌は、彼らをベスト・ニューカマーに挙げた。 なお、彼らはいつでもいかなる場合も (解散時にいたるまで) 他バンド/アーティストの前座はしない主義を突き通した。 デイヴィッ・ボウイーやローリング・ストーンズの前座すらも断ったといわれる。
1990年1月、シングル "Sally Cinnamon" の再リリースに際し、バンドに無許可でヴィデオクリップを撮影したことに抗議し、FM Revolver社に乱入、ペンキをぶちまける。 この結果、裁判で有罪判決を受ける。 5月27日、スパイク・アイランドにてライヴを行う。 約2万7千人の観客を動員したこのライヴは、現在では伝説のライヴとされている。 6月に "One Love" をリリース、最高位4位。
1991年3月、裁判の末に所属レーベルをシルヴァートーンからゲフィンに移籍する。
[編集] セカンド期・解散
1994年12月、セカンドアルバムとしては異例の5年以上の歳月を経て、ジョン主導で製作された 2ndアルバム "Second Coming" 発売。 UKチャート1位、USチャート47位。 復帰にあたり、インタヴューをホームレス救済雑誌ビッグ・イシューのみで行う。 レッド・ツェッペリンに影響を受けたと思われるこのアルバムはファースト・アルバムの内容とは大きく変化し、賛否両論を巻き起こす。
1995年2月、ジョンの病気のため、ツアーが延期になる。 3月にレニが脱退する。 黄金期のメンバーであり、バンドの特徴でもあるグルーヴの核となっていただけに、この出来事をバンドの終焉という者も多い。 尚、彼の脱退に当たって正式な説明はない。 レニが抜けた穴としてロビー・マディックスが加入。 6月、ジョンがサンフランシスコにてマウンテンバイクで事故に会い骨折。 日本ツアーを含む一部が延期になる。 9月、チャリティアルバム “HELP” にシングル、 "Love Spreads" のロビー・マディックスのプロデュースによる全パート再録版で参加する。
1996年4月、ジョンが脱退する。 理由は、残ったメンバー特にイアンに対する不満や、当時 ローゼズの音造りにおいてきわめて特徴的な役割を果たしていた前代ドラマーのレニが抜け、プロデューサーでもある新任ドラマーがサウンドプロダクションに大きく関わり、ローゼズそのものが更なる変貌を遂げつつあったことへ対する不安があったたため、などと言われる。 ジョンは抜けたものの、バンドは活動続行を決意、ジョンの代わりにエイジアやシンプリー・レッドのセッション・ギタリストであったアジズ・イブラヒムを加える (イアンとアジズとの付き合いはバンド解散後も続き、イアンがソロとなった後もゲストとして頻繁に参加している)。 8月、イギリスで開催されたレディングフェスティヴァルのトリを務めるものの、女性バックコーラス兼ダンサー陣営を加えたそのステージの過激な変化がプレスやファンに酷評される。 これを受け、10月に解散を発表、終止符を打った。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] オリジナルアルバム
- ストーン・ローゼズ The Stone Roses / 1989年
- 『石と薔薇』という邦題があるが、現在ではほとんど使われていない。
- セカンド・カミング Second Coming / 1994年
[編集] コンピレーションアルバム
- ターンズ・イントゥ・ストーン Turns Into Stone /1992年
- 1992年までのシングルとカップリング集。
- コンプリート・ストーン・ローゼズ Complete Stone Roses /1995年
- 初回版のみ8cmCDつきの2枚組。
- クリムゾン・トゥナイト Crimson Tonight /1996年
- アイルランド公演の音源を4曲収録したライヴ盤。
- ガレージ・フラワー Garage Flower /1996年
- 1st以前のデモ音源。 パンク色の強い内容で、イアンをはじめとするメンバーはこの内容を毛嫌いしている。
- ストーン・ローゼズ 10周年記念盤 The Stone Roses 10th Anniversary Edition /1999年
- '89年発売の 1stをオリジナルの曲順で構成。 2枚目のディスクは画像や動画が見られるエンハンストCD。
- リミキスィーズ The Remixies /2000
- 著名なDJ、ミキサーがローゼズの曲をリミックス。
- ヴェリー・ベスト・オヴ・ストーン・ローゼズ The Very Best of The Stone Roses /2002年
- レーベルの枠を超えた、ヴェリー・ベスト・アルバム。 メンバー自らが選曲したことで話題になる。
[編集] なぜ編集盤が多いのか
ストーン・ローゼズは独立系レーベル Silvertone/Zomba から世界的なレーベル Geffen に移籍した。 その為 Silvertone が所有する 1stの音源に手が出せなくなってしまったこと。
また '89年リリースの 1stアルバムから '94年末の 2ndアルバム発売までの5年半という期間が長過ぎたことなどがあげられる。
[編集] シングル
- ソー・ヤング So Young /1985
- サリー・シナモン Sally Cinnamon /1987
- エレファント・ストーン Elephant Stone /1988
- フールズ・ゴールド Fools Gold /1989
- メイド・オヴ・ストーン Made Of Stone /1990
- ワン・ラヴ One Love /1990
- アイ・ウォナ・ビー・アドアード I Wanna Be Adored /1991
- ウォーターフォール Waterfall /1991
- アイ・アム・ザ・レザレクション I Am The Ressurection /1992
- ラヴ・スプレッズ Love Spreads /1994
- フールズ・ゴールド Fools Gold '95(remix) /1995
- テン・ストーリー・ラヴ・ソング Ten Storey Love Song /1995
- ベギング・ユー Begging You /1996
- フールズ・ゴールド Fools Gold(remix) /1999
「フールズ・ゴールド」と「アイ・ウォナ・ビー・アドアード」は彼らの代表曲となっている。 余談だが、後者のPVの内容は前者と同じ設定になっている (ストーリーではなく、砂丘のような場所で演奏したりしている)。
[編集] 映像
- Blackpool Live /1991
- The Complete Stone Roses /1995
- The Stone Roses DVD /2004(Blackpool Liveと内容はほぼ同じ)
ジャケットのジャクソン・ポロック風の絵画は、ジョンにより描かれている。
[編集] 解散後のそれぞれ
- '98年にソロアルバム "Unfinished Monkey Business" でデビュー。 周囲から敬意?を込め「キングモンキー」と呼ばれ、これまでに4枚のオリジナル・アルバムと1枚のベスト・アルバムをリリース。 第一線で活躍している。 クラブ/ロック界など英音楽界において “スピリチュアルな存在” として一目置かれている。 “F.E.A.R.” や U.N.K.L.E (James Lavelle) との共作 “Be There” など、シーンにインパクトを与える曲を精力的に作り 発表し続けている。
- ジョン・スクワイア
- ザ・シーホーセズ(The Seahorses. “He hates Roses” のアナグラムとも言われている)を結成。 '97年に発売のデビューアルバムは一定の成功を収めるもバンドは解散。 その後いくつかのプロジェクトもうまくいかず、2002年自らがヴォーカルをとりソロデビュー。 2002年に "Time Changes Everything" を、2004年にアルバム、 "Marshall's House" をリリース。
- マニ
- 元々親交があったプライマル・スクリームにベーシストとして彼らのアルバム、"Vanishing Point" 製作中に加入。 ダブやサンプリングの手法を大胆に採り入れた 1st シングル、 "Kowalski" では「彼はプライマル・スクリームを変えた」とまで言わせるほど、持ち前のメロディアスでうねる様なベースラインを披露してベーシストとして圧倒的な存在感でバンドを牽引する。 その後もバンドは絶えず ジャンルを縦横無尽にまたがるヒットを出し続け現在に至る。 DJ として時折り来日も。
- レニ
- 脱退後は "The Rub" というバンドをローゼズの元メンバーのピート・ガーナーらと結成。 ギターやヴォーカルを務めていたが、現時点では表立った活動はない。 その天才的なドラミングにより、常に復活を熱望されるところである。