レッド・ツェッペリン
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レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin, 1968年 - 1980年)はイギリスのロックバンド。世界の数あるロックバンドの中でも頂点を極めたバンドの1つとして知られている。略称は、Zep若しくはLed Zep。またはZeppelinと呼ばれることが多く、メンバーもインタビューなどで自分たちを「ゼッペリン Zeppelin」と呼んでいる。
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[編集] 概要
70年代、世界的に人気のあったアーティストであり、常にマスメディアとの距離を置き、TVにはほとんど出演しなかったにもかかわらず、アルバムセールスや観客動員数・ギャランティで史上空前の記録を作り続けた。解散して25年以上経つ現在でも世界中でアルバムが売れ続け、巨大な影響力を持ち続けている。アメリカだけでも通算アルバムセールスは1億枚を超えており、これはエルヴィス・プレスリーやビートルズと並ぶセールスであり、マイケル・ジャクソンやローリング・ストーンズの倍以上のセールスである。日本でもデビューしてすぐにスーパースターとなり、1971年の初来日公演の衝撃と素晴らしさは日本の音楽史上に残る伝説となった。
60年代中頃、イギリスの若いミュージシャンの間では本国アメリカで忘れられていたブルーズがブームとなっており、それをさらにパワーアップし、ドラマティックにした彼らは後の世代にヘビー・メタル・ロックもしくはハードロックと言われる音楽を世界中に知らしめた。また彼らの楽曲にはアコースティックナンバーも多く、ブリティッシュ・フォークから中近東音楽に渡る幅広い音楽性を持ち、ビートルズとは、また違った方法論でロックの限界を押し広げた。
『レッド・ツェッペリン I』でデビューした彼らは音楽シーンに衝撃を与えると同時にまたたく間に人気を得たが、オフステージでの乱痴気騒ぎは酒池肉林を地で行く激しさで、大抵のロックバンドのご乱行には慣れている筈のプレスの眉をしかめさせた。 また新人としては破格の、アルバム5枚で20万ポンドというレコード会社との契約金は、牧歌的ヒッピー文化の色濃い当時にそぐわぬ華々しさであり、その派手さを快く思われなかった面もある。そのためか初期のツェッペリンは熱狂する聴衆と市場に反してプレスから酷評されたという逸話が残っている。
レッド・ツェッペリン時代よりロックンロールと言う呼称はあまり使われなくなり、単にロックと呼ばれるようになる。ロックンロールという狭い範疇にはとても収まらない音楽になっていたからである。
レッド・ツェッペリン登場以前は、口ずさみやすい歌が入ったシングルレコードを出し、それをラジオやテレビで聴いてもらってレコードを買ってもらい、スターになるのが普通であった。しかし彼らが本国イギリスで発売したシングルは解散前年である1979年の「ホット・ドッグ」一枚のみである。デビュー当時、アルバムは若者にとってまだまだ高価なため裕福なファンの多いクラシック以外で、アルバムだけで勝負するのは考えられない時代であった。TV出演回数もほんのわずか。それでも小さなクラブや大学のステージでの歌と演奏の凄まじさが口コミで伝わって巨大な旋風を呼んでいったのである。今でも海賊盤やブートレッグ・ビデオが世界一売れているバンドである。
[編集] 経過・歴史
[編集] 結成までの経過
スタジオ・セッション・ギタリストを経てエリック・クラプトン、ジェフ・ベックに続く、ヤードバーズ最後のリードギタリストとなったジミー・ペイジが、同バンドの録音を経験するうち、レコード制作に要求される配慮やボーカリストの重要性に目覚め、偶然性も加わってオーソリティーともいえる各パートのメンバーをそろえて結成されたものとされる。以前からペイジとスタジオ・セッションで顔を合わす機会の多かった、ベーシスト兼キーボードプレイヤーのジョン・ポール・ジョーンズは、黒人音楽に精通するアレンジャーとしての地位を既に確立していて、ペイジ同様、若いながらも、売れっ子のスタジオセッションプレイヤーとして活躍していた。(他のメンバー、プラントとボーナム(ボンゾ)のレッド・ツェッペリン加入の経緯は、ジミー・ペイジの項目を参照のこと。)
ヤードバーズとしての契約が残っていたため、ごく初期のライブでは、「ニュー・ヤードバーズ」と名乗っていた(因みにそれにも関わらずレコード会社がツェッペリンとヤードバーズで違うのは、ペイジが当時ヤードバーズが所属していたレコード会社の商業主義に嫌気が差していたからである)が、後に「ヤードバーズを超えてしまった」ことから「レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)」と改名することになる。また、デンマーク公演の最中にツェッペリン飛行船の開発者の子孫であるエヴァ・フォン・ツェッペリン女史にファミリーネームの無断使用で訴えられかけて一時「ザ・ノブス(=紳士たち、または陰茎の隠語)」と名乗っていたこともあった。
ヤードバーズの音楽性を継承しつつも、ブルースベースのハードロックをより推し進めた彼らの1stアルバムにおける音楽性について、(第一期)ジェフ・ベック・グループがヒントであったといわれることがある(ジェフ・ベックはツェッペリンのステージを見て「あれは俺のパクリだ」と言ったらしい)。しかし、ツェッペリン結成時の状況を鑑みるに、機材の発達とともに自然発生的にディストーション・サウンドが「発見」され、加えてイギリスで当時ブルースが盛り上がっていたこともあり、ツェッペリンが初期の頃に試していた様な音楽の土壌は既に出来上がっていたと考えられ、音楽性が似通っていることは偶然であった可能性も否定できない。
[編集] バンド名の由来
1966年5月16日、ジミー・ペイジ(ギター)、ジェフ・ベック(ギター、当時ヤードバーズ)、ジョン・ポール・ジョーンズ(ベース)、ニッキー・ホプキンス(ピアノ)、キース・ムーン(ドラムス、ザ・フー)の5人によるセッションが行われる。このセッションは非常に充実したもので、5人中4人はパーマネントなバンドとしての活動を希望したが、ジョーンズが乗り気でなかったことと、いいシンガーが見つからなかったことを理由にその計画は頓挫する。その時にムーンが「もしも俺たちが今いるバンドを辞めたら、きっと向こうは鉛の風船みたいに急降下だろうぜ、いや、鉛の飛行船(lead zeppelin)かな?」と発言したことによる。
[編集] 音楽的独自性
各メンバーの担当パートにおける、実力に裏打ちされたオーソリティーとしての感性や音楽性、特にドラムの独特のタイム感覚(グルーブ感)、そして、当初ペイジが中心になり、後にプラント、ジョーンズそしてボンゾも参加しだした楽曲の完成度は、「ブリテッシュハードロックの聖域」といわれるほど独自なもので、各メンバーのピーク時のコピーは、現在に至っても当の本人すら不可能なものであった。インプロヴィゼーション、つまり即興演奏を得意としたバンドであり、ライブにおける「胸いっぱいの愛を」や「幻惑されて」は30分に及ぶこともあった。ただ、ロバートがのどを痛め、かつてのような声が出せなくなった73年以降のライブではジミーのプレイが年を追うごとに雑になってしまう。一部で「デビューから最後まで演奏能力の向上することのなかった唯一のバンド」との評価もある。
ハードロックバンドと一般に呼ばれているが、「ハードロック」とは、例えばディープ・パープルの様な、大音量ディストーション・ギターと高音ボーカルによる、縦ノリのロックを指すので、独特のタイム感、リズム感を持つツェッペリンの音楽性には厳密に言えば当てはまらない(後述するが、「ヘヴィメタル」とも異なる)。また、ツェッペリンはアコースティックギター中心のナンバーにも力を入れ、トラッド風、メローなバラード調をはじめ、中東風民族音楽的要素、踊れないファンク調等々、特に5枚目のアルバム以降は様々な音楽を意図的に取り入れ(正確には、あらゆる音楽を自分流に作曲・演奏できた)、1980年に解散するまで貪欲にその音楽的独自性を高めていた。またツェッペリンは結成当初トラッド・フォーク・ロックバンドとして活動する構想もあったといわれている。これはジミー・ペイジのフォーク趣味とプラントのケルト志向、民族音楽志向もあってのことであったが、結果的にジョン・ボーナムという最高のドラマーを得たことにより、バンドは轟音のロックを基本的に志向することになる。しかしこのペイジとプラントのフォーク・トラッド志向は「天国への階段」をはじめ、ツェッペリンの様々な曲に大きく影響している。彼らの多様な音楽性を物語るエピソードして、6枚目のアルバム「フィジカル・グラフィティ」に収録された「トランプルド・アンダー・フット」は当時ニューヨークのアンダーグラウンドで黒人の間で盛り上がっていたディスコ(ここで言われるディスコとは日本で通常使用される風俗としてのディスコではなく、いわゆるクラブ音楽としてのディスコ。ディスコの項参照)で頻繁にプレイされ、現在に至るもディスコ音楽においてDJ達からクラシックとして敬意を払われ、プレイされ続けてきている。本人たちも意図しない形で他のジャンルの永遠の名曲を作り出したという形であり、彼らのハードロックはもとよりロックにもとどまらない音楽的、リズム的な懐の広さを良く表している。
特に4thアルバム収録の「天国への階段」は、かのカラヤンをして「私がこの曲をアレンジしたとしても、全く同様になったことであろう」と言わしめたロックの名曲であり、近年での再結成時においても、存命中のメンバー3名がそろった時にしか(歌入りで)完奏されない、彼らのシンボル的曲である。
[編集] 活動の歴史
ライヴツアーの行われた年は、以下の通り
- 1968年
- 1969年
- 1970年
- 1971年初来日
- 1972年二度目で、「レッド・ツェッペリン」としては最後の来日
- 1973年前年から兆候はあったが、この年にプラントの喉が完全に支障をきたしてしまい、往年の歌い方も不可能になってしまう
- 1975年
- 1977年若干、ボーカルのコンディションが回復
- 1979年イギリス、ネブワースでの2回を含む4回のみ
- 1980年この年のヨーロッパ・ツアーの後、アメリカツアーが予定されていたが、ジョン・ボーナムの死によってキャンセルとなり、活動を終了。
[編集] 解散
1980年9月24日のドラマーのジョン・ボーナムの事故死(過剰飲酒後の就寝時に吐瀉物が喉に詰まったための窒息死)によって、同年12月4日に解散を表明した。後継者として何名かのドラマーが名乗りを上げ、バンドでも人選について議論されたが、ボーナムのドラミングに見られるグルーブ感やノリには余人の模倣を許さないほどの特徴があり、彼のバンドサウンドへの貢献度は非常に高かったため、「彼なしでのバンド継続は無理」と判断されたもの。1982年には彼への追悼アルバム『CODA』が発表されている。
[編集] 解散後、再結成
1985年のライヴエイドでフィル・コリンズがパフォーマンス中、ロバート・プラント、ジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズを呼び込み、「ロックン・ロール」「天国への階段」「胸いっぱいの愛を」を演奏した(ドラムはフィル・コリンズが担当)。この時は「LED ZEPPELIN」名義では無かった(フィル本人がツェッペリンと共演したいが為にイベントを利用したと後日語っている)が、その後、残りの元メンバー3人が集まった時のみ(1988年からは、故ジョン・ボーナムの息子であるジェイソン・ボーナムがドラマーとして参加し)、「LED ZEPPELIN」名義のステージパフォーマンスが、何度か行われている。そして1995年、「ロックの殿堂」入りを果たした。
[編集] 影響と評価、功罪
[編集] 政治性に関して
ツェッペリンの残した音楽性や奏法が、いまなお後進のミュージシャンに多大な影響を与えたのは論を待たないが、いわゆる政治や社会性に触発されたと思しきストレートなメッセージ作品はほとんど残していない。
これは80年代以降の商業ベースが定着したシーンにおいてさして特筆すべきことでもないが、元来ロックミュージックはエルヴィス・プレスリーが白人音楽に黒人の「ブルース」テイストを融合させセクシャルに歌いあげた事件以降、タブーへの挑戦や反逆性を秘めたジャンルであった。とくにツェッペリンが結成された60年代後半はラブ・アンド・ピース、ウッドストックなどに代表される反戦メッセージや、ヒッピー文化を背景にした理想の追求が音楽面にとどまらず世代的ムーブメントにまで昇華したのであるが、後述のように今日彼らの活動や高い音楽性がそれら政治思想の影響として評価される例はほとんど稀である。その極めて政治的に中庸なバンドコンセプトもまた、現在まで連なるHR/HMの様式のひとつとして無意識に継承されているといえるかも知れない。
ただしその中でも1971年9月の来日時自ら広島でチャリティーコンサートを開き、売上金を原爆被災者に寄付している。[1]これには前月1日ニューヨークでジョージ・ハリスンによるバングラディシュコンサートが先立って開催されており、世相としても興味深いところだ。
[編集] 時代と音楽性のギャップ
確かに彼らの長髪や乱痴気騒ぎは「反社会的」ではあったが、多くの場合それは「反骨精神」というよりはエゴから来たものであったし、革新的なサウンド、高い演奏能力を有する反面、ロバート・プラントの歌詞世界はブルースを踏襲したものや神秘主義の地平を出るものではなかった。唯一「天国への階段」のみが資本主義に対する警鐘であると評されるが、後のインタービューで「深い意味なんて無い」と語っているようにプラントに明確な政治的意図があったとは考えにくい。また、ペイジやプラントが歌詞や行動を通じてほめのかしていた神秘主義(アレスター・クロウリーへの傾倒など)やケルト趣味は70年代前半においてはリスナーにバンドの背景に神秘的で得体の知れない危険なイメージを与えていたものの、70年代後半以降の後述のパンクムーブメントの前には前時代的なこけおどし、子供だましとして逆に若いリスナーからは嘲笑・攻撃の対象となる面もあった。また、イギリスでは76~77年にかけて肥大しすぎたロックは逆に当時の若いリスナーの反感を買い、パンク・ロックやニューウェーブが全盛期だった。ローリング・ストーンズなどと並んで「ダイナソー(恐竜=時代遅れ)・ロック」、「オールドウェーブ」と揶揄されてしまうこととなる。その当時、イギリスは未曾有の大不況の真っ只中であった。路上には職を求める若者があふれ、社会全体が不満に包まれていた。そんな中で巨大になりすぎ、余りにも音楽として純粋、理想主義でありすぎたツェッペリンの音楽はリアリティを失っていったのである。クラッシュ、セックス・ピストルズなど、よりストリートの「リアル」を反映した「パンク」ロック全盛を迎える。
[編集] 再評価
しかしながら、1980年代中期前後以降、ロックではなくR&Bやヒップホップなどのシーンにおいて、レッド・ツェッペリン独自のビートやリズム、グルーヴ感が再評価され、「レヴィー・ブレイク」などがビースティー・ボーイズなどによりサンプリングされるようになり(現在では「レヴィー・ブレイク」のドラムスはサンプリングにおけるスタンダートの一つになっている)、ツェッペリンの音楽性は再び日の目を見ることとなった。だが80年代末から90年代初めのロックシーンでは、ロックが政治的・学問的様相を帯びてくるにしたがって、とかくレッド・ツェッペリンの影響は軽視されがちであった。U2やブルース・スプリングスティーンに比べて余りにも「反骨精神」がなく、ニルヴァーナに比べて「リアル」でもないとされてしまったのである。そのような不当な評価を覆して、現在ではダットサンズやホワイト・ストライプス、ザ・ミュージック、日本ではB'zなどロックシーンにおいても彼らの影響を受けたと公言するバンドは数多い。また、イギリスで2005年に行われた、読者による投票で各パートにおけるベストパフォーマーを選出し、架空の究極バンドを作ると言う趣旨の企画「究極のバンド」アンケートにおいて、結果的にレッド・ツェッペリンのメンバーが各パートで一位を独占するという現象がおこり、「究極のバンド」は存在した、という結果が出ている(組織票の影響が大きいとも言われている)。日本においてはディープ・パープルなどのいわゆる70年代ハードロックバンド群と一緒にして語られることもあるが、世界的にはツェッペリンはジャンルを越えたロックバンドとして、上記にもあるような様々なジャンルのミュージシャンや音楽スタイルに影響を与えた、偉大な存在として評価されている。
[編集] メンバーと主な担当楽器
- ジミー・ペイジ Jimmy Page(ギター、テルミン)
バンドのリーダーであり、ヤードバーズ歴代の3大ギタリストの一人。楽曲、ビジュアル面も含めたプロデュース能力に秀で、ツェッペリン全アルバムのプロデューサーでもある。テクニカルな演奏能力の面では酷評されることが多いが、曲の印象を決定づけるリフ作成能力、曲想と調和したメロディアスなソロ演奏能力の面では高く評価される。現在ではギタリストとしての活躍は少なく、アレンジの仕事やツェッペリン時代の未発表音源のリリースなどが主な活動。
- ロバート・プラント Robert Plant (ボーカル、ハーモニカ)
その神がかり的な高音、広い音域、声量、美しいルックスで世界のロックファンを震撼させたが、喉を痛め1973年以降は神ががり的な凄みを聞かせることができなくなってしまった。元ツェッペリン中で唯一現在でもパーマネントなバンドを組んで精力的に活動している。解散後はツェッペリンでも見せていたケルト音楽や民族音楽を大きく取り入れたサウンドを志向する事が多い。
- ジョン・ポール・ジョーンズ John Paul Jones (ベースギター、キーボード、バンジョー、マンドリン)
ベースに限らず、幅広い楽器を嗜み、卓越した技術と安定した演奏力でツェッペリンの演奏を支えた。現在では、アレンジや若手バンドのプロデュースの仕事に加え、時たまライブを行ったり、自身のソロアルバムをリリースしたりとマイペースに活動している。
- ジョン・ボーナム John Bonham (ドラムス)
独自のグルーヴ感、タイム感(*)を持ち、そのへヴィなドラムでツェッペリンの音楽における核としての役割を果たした。現在でも多くのドラマーに影響を与え続けている偉大なアーティスト。彼のドラミングはヒップ・ホップシーンにおいてすら伝説となっている。1980年に死去。
- *タイム感=仮に一小節の一拍を96分割し、その96×4拍=384を一つの尺度とした場合、384の中で繰り広げられる8ビート(あるいは16ビート)の譜割において、四分音符による4拍が「0(384)、96、192、288」あるいは8分音符8拍が「0(384)、48、96、144、192、240、288、336」で刻まれるのが「ノーマルなタイム感」であるが、ドラマー個人において少々のバラ付きがある。ボーナムの手癖にあってはそのタイム感が他のロック・ドラミングに比して極端にクセが強い。8ビートでも16ビートでも「ややシャッフル気味に叩く」のが彼のクセであり、1/4拍を常に「シャッフル気味の5連譜」で分割しながら叩いている。ボーナムのタイム感に対して、ギタリストであるペイジのタイム感は明らかに「走り過ぎ」「モタリ過ぎ」なのだが、その二人のタイム感の差異をジョーンズのベースが96分割の4倍強の分解能で「絶妙なリズム補正」を施すせいで、ツェッペリンの演奏には比類ないスリリングな「グルーブ感」がもたらされる。1980年代後半のデジタル・レコーディングの世界ではその一拍に対する分解能を「タイム・ベース」と呼び習わし、ボーナムのドラミングだけが他のドラマーにないタイム・ベースを割り振りをしていたため「独特のタイム感」と評価されるようになった。だが彼のそのタイム感も、ペイジの奔放なリズム感とジョーンズの異常な分解能があってこそ、バンド独自のグルーブ感として現存しているという訳だ。
[編集] ディスコグラフィ
タイトル | 備考 |
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レッド・ツェッペリン I (Led Zeppelin|) |
1969年1月12日発売/収録曲、ジャケット |
ニュー・ヤードバーズでのツアーで演奏していた曲を中心にレコーディングしたため、スタジオでの作業はわずか36時間で終えられた。 | |
レッド・ツェッペリン II (Led Zeppelin II) |
1969年10月22日発売/収録曲、ジャケット |
英米でともに初となるアルバム・チャート1位を獲得。 | |
レッド・ツェッペリン III (Led Zeppelin III) |
1970年10月5日発売/収録曲、ジャケット |
「I」「II」で確立した「ハード・ロック」のイメージに拘泥することなくアコースティック・サウンドを追及したため、発売当時は賛否両論となった。 | |
レッド・ツェッペリン IV (Led Zeppelin IV) |
1971年, 11月8日発売/収録曲、ジャケット |
タイトルなし。![]() |
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聖なる館 (Houses of the Holy) |
1973年3月28日発売/収録曲、ジャケット |
ヒプノシスが制作したジャケットで裸の子供の写真が使用されているため、ジャケットに帯をつけたり写真の上にタイトルを重ねて子供を隠すなどの配慮がなされた。 | |
フィジカル・グラフィティ (Physical Graffiti) |
1975年2月24日発売/収録曲、ジャケット |
レコード、CD共に2枚組。新録音曲がアルバム1枚分あったが、サード・アルバムから前作アルバムまでの録音曲を足して2枚組にしたもの。 | |
プレゼンス (Presence) |
1976年3月31日発売/収録曲、ジャケット |
後期の傑作のひとつであり、ジミー・ペイジ自身がもっとも気に入っている作品といわれる。「アキレス最後の戦い」はじめ名曲揃いである。シンプルだが重量感のあるサウンドで、とりわけヘヴィメタルファンやアーティストの間で人気が高く、影響が大きい。 | |
永遠の詩(狂熱のライヴ) (The Song Remains the Same) |
1976年9月21日発売/収録曲、ジャケット |
1973年の全米ツアー最終の3日間、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで録音されたライヴ音源を元に作られた映画のサウンドトラック。ライヴ音源に手の込んだ後処理がなされており、映像版とは一部曲目が異なっている。 | |
イン・スルー・ジ・アウト・ドア (In Through the Out Door) |
1979年8月15日発売/収録曲、ジャケット |
アナログ盤のアルバムジャケットは6種類あり、紙袋から出すまでどのジャケットか分からない仕組みであった。ジョン・ポール・ジョーンズの主導でレコーディングが行われたため、キーボードがフューチャーされた異色アルバム。 | |
最終楽章 (コーダ) (Coda) |
1982年11月19日発売/収録曲、ジャケット |
結果的には「ボーナムに対する追悼盤」の形になってしまったが、セカンド・アルバムから前作アルバムのころまでの未発表曲を集めたもの。 | |
BBCライヴ (BBC Sessions) |
1997年11月11日発売/収録曲、ジャケット |
1971年のBBCでの公開録音ライヴ。CD2枚組。これまで各国のFMラジオ局で盛んにオンエアされたために多く出回った海賊盤対策も兼ねているが、完全盤ではなく1曲のみはずされている。 | |
伝説のライヴ (How the West Was Won) |
2003年5月27日発売/収録曲、ジャケット |
3枚組。1972年アメリカツアーでのLAフォーラム、ロングビーチなどでのライヴを収録。当時のステージでの典型的な演奏曲目はほぼ網羅されているが、CD3枚の収録時間ならば全曲収録可能であるにもかかわらず、レギュラーの演奏曲目から途中の2-3曲ほどが外された形となっている。 |
[編集] 関連項目
- ハードロック
- ブリティッシュ・ロック
- ブルース
- リードギター
- サイドギター(リズムギター)
- ブートレグ(海賊版)
- ブルーザー・ブロディ(プロレスラー。「Immigrant Song(移民の歌)」を入場曲とし、チェーンを振り回しウォーウォーと吼えながら入場するシーンが衝撃的であった。)
[編集] 外部リンク
- 公式サイト
- Led Zeppelin lyrics
- Rock and Roll Hall of Fame bio
- Rolling Stone Magazine
- Billboard Magazine
- VH1 Bio
レッド・ツェッペリン |
---|
ジョン・ボーナム - ジョン・ポール・ジョーンズ - ジミー・ペイジ - ロバート・プラント |
オリジナルアルバム: レッド・ツェッペリン I - II - III - ![]() |
その他のアルバム: ボックスセット - ボックスセット2 - リマスターズ - BBCライヴ - 伝説のライヴ |
映像: レッド・ツェッペリン狂熱のライヴ - レッド・ツェッペリン DVD |
楽曲: 「限りなき戦い」-「天国への階段」-「カシミール」 |
関連事項: ピーター・グラント - スワンソング・レコード |
カテゴリ: レッド・ツェッペリン | イギリスのバンド | ハードロック