スマッシング・パンプキンズ
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スマッシング・パンプキンズ(The Smashing Pumpkins)は、アメリカ合衆国シカゴでビリー・コーガンを中心に結成されたロックバンド。1990年代以降のロック音楽を代表する存在である。日本における略称は、「スマパン」。
ギタリストはジェームス・イハ(James Iha)、ドラマーはジミー・チェンバレン(Jimmy Chamberlin)、ベーシストはダーシー・レッキー(D'arcy Wretzky)。
全作品を通じて、ドラマチックな楽曲構成やその歌詞は他のバンドの追随を許さないものである。一方、ボーカルのビリーの個性的な声から、ロックファンの間でも賛否両論に分かれる。
[編集] 来歴
デビュー時期から頻繁にニルヴァーナと比較され、陽の目を見ない時期もあったが(ギグを行えば常に会場を満員にしていたニルヴァーナに比べ、客が数人ということもざらだったらしい)、2作目のアルバム『サイアミーズ・ドリーム』(1993年)と、続く2枚組の大作アルバム『メロンコリー そして終りのない悲しみ』(1995年)でその独創性を発揮し、一躍オルタナティブ・ロックのアイコン的存在となる。
しかしそんな中、1996年7月、ツアー中のニューヨーク市においてヘロインの薬物中毒によりサポートメンバーのジョナサン・メルビンが死亡するという事件が起こった。事件当夜、ジョナサンと同室でドラッグを使用し、逮捕されたドラマーのジミー・チェンバレンはバンドから解雇された。
そしてバンドはドラム不在により音楽性を変更し、ピアノやアコースティックギター、そしてリズムマシーンを使いアルバム『アドア』(1998年)を制作する。同作は、ニューウェーブからの影響を感じさせるメランコリックで非常に美しい作品であり、日本では高い評価を得た。だが、ギターロックを期待していた米国のリスナーに理解されず売上が伸びなかった。
1999年、ビリーの呼びかけによりジミーがパンプキンズに復帰することになった。しかし、そのことに不満を持っていたダーシーが、ジミー復帰後間もなくして脱退する。2代目ベーシストとしてメリッサ・アウフ・ダー・マウア(Melissa Auf der Maur)が加入。しかし、この時すでにバンド内では解散が決定しており、farewellアルバム(さよならアルバム)として2000年に『マシーナ/ザ・マシーンズ・オブ・ゴット』を制作し、その後の12月2日、デビューと同じステージでのライブをもって解散した。
後にビリーは自身のホームページで、バンドの解散の原因はジェームスの脱退にあったと語っている。ビリーの暴露話が、上記のページ上でアップされている。いかにジェームスとビリーの仲が険悪だったかがわかる。
2005年6月21日にビリーは、新聞『シカゴ・トリビューン』の全面広告で、スマパンの再結成と活動再開を計画している事を公に発表した。
2006年5月、活動再開を公表。ちなみに、再結成メンバーはビリーとジミーの二人のみ参加予定で、オリジナルメンバーであるジェームス(ツアーに参加すると噂がある)、ダーシーの参加は発表されていない。2代目ベーシストのメリッサは「ぜひ参加したい」と表明している。
[編集] スマパンとニルヴァーナ
ビリーはスマパンがデビュー時期からニルヴァーナと比較され続けた事から(デビューアルバムのプロデューサーは、共にブッチ・ヴィグである。)並べて語られる事を嫌う(しかし、ビリーとカートには親交があった)。しかし、オルタナファンは両バンド共に1990年代のアメリカを代表する歴史的ロックバンドであるため、その両方を愛聴している事も多い。
また、ニルヴァーナのボーカルのカート・コバーンの妻のコートニー・ラブは、カートと付き合う以前にビリーと付き合っていた事もある。スマパンとニルヴァーナと言う1990年代のUSロックの両巨頭は、実は様々な所で繋がっている。