スーザン・ソンタグ
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スーザン・ソンタグ(Susan Sontag, 1933年1月16日 - 2004年12月28日)は、アメリカの著名な作家、エッセイスト、小説家、知識人、映画製作者、運動家。
人権問題についての活発な著述と発言でその生涯を通じてオピニオンリーダーとして注目を浴びた。批評家としてベトナム戦争やイラク戦争に反対し、アメリカを代表するリベラル派の知識人として活躍した。2003年にドイツ出版協会の平和賞を受賞している。
[編集] 生涯
スーザン・ソンタグ、本名スーザン・ローゼンブラット(Susan Rosenblatt)は、ジャック・ローゼンブラット(Jack Rosenblatt)とミルドレッド・ヤコブセン(Mildred Jacobsen)の間でユダヤ系アメリカ人としてニューヨーク市で生を受けた。
父親は中国で毛皮の貿易会社を経営していたが、スーザンが5歳の時に結核で死去した。その7年後、母はナーサン・ソンタグ(Nathan Sontag)と親密になった。正式には結婚はしなかったが、スーザンとその妹のジュディスはその義父のソンタグ姓を名乗るようになった。
ソンタグはアリゾナ州ツーソンで育ち、後に、ロサンゼルスに越し、15歳でノースハリウッド高等学校を卒業し、学部生としてカリフォルニア大学バークレー校で学び始めるが、シカゴ大学に転校し、学士号を得て卒業。ハーバード大学、オックスフォード大学のセント・アンズ・カレッジ、Sorbonneの大学院では哲学、文学、神学を専攻した。
17歳で、シカゴにいる間、10日間の熱烈な求婚を受けて、ソンタグはフィリップ・リーフと結婚した。8年の結婚生活を経て、1958年に離婚した。一人息子のデヴィッド・リーフは、のちに、en:Farrar, Straus and Giroux(アメリカの出版社)に勤め、ソンタグの編集者となり、その後作家に転身した。
1966年、『反解釈 Against Interpretation』を処女出版。写真家ピーター・ヒュージャーが撮影した印象的なカバー写真は、ソンタグが「the Dark Lady of American Letters」としての名声を得るのを後押しした。
ソンタグの根本的なスタイルは固定観念を持つことを避けることにあった。ジェーン・フォンダのようにハノイには行ったものの、彼女と違い反戦運動をするわけではなく、「戦場を目の当たりにして感じた嫌悪感について書く」ことに専念した。(どちらにしろ、「非国民」扱いされたが)この姿勢は「ヒトの面を被ったファシストめ!fascism with a human face.」と東欧の共産国を非難した姿勢にも繋がっている。アメリカ同時多発テロの直後には、アメリカの覇権主義を非難し、アメリカ国民から「オサマ・ビン・ソンタグ」と中傷された。
2004年12月28日、骨髄異形成症候群の合併症から急性骨髄性白血病を併発し、ニューヨークで死去。71歳。骨髄異形成症候群はおそらく化学療法と放射線療法のせいで生じたものと思われる。彼女は30年間、進行性乳癌と稀な形の子宮癌を患っていた。
[編集] 主要な著作
- 『反解釈』竹内書店(AL選書) 1971年/筑摩書房(ちくま学芸文庫) 1996年
- 『死の装具』小説 早川書房 1970年
- 『ハノイで考えたこと』晶文社 1969年
- 『ラディカルな意志のスタイル 』晶文社 1974年
- 『写真論』晶文社 1979年
- 『わたしエトセトラ 』小説新潮社 1981年
- 『隠喩としての病い』みすず書房 1982年
- 『土星の徴しの下に 』晶文社 1982年
- 『エイズとその隠喩』みすず書房 1990年
- 『火山に恋して』小説 みすず書房 2001年
- 『この時代に想う テロへの眼差し』NTT出版 2002年
- 『他者の苦痛へのまなざし』みすず書房 2003年
- 『良心の領界』NTT出版 2004年
[編集] 外部リンク
カテゴリ: アメリカ合衆国の評論家 | アメリカ合衆国の随筆家 | 写真評論 | フェミニスト | 1933年生 | 2004年没