ズバイダ
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ズバイダ(768年-823年?)は、ハールーン・アッ=ラシードの正妃。 子はアミーン。アッバース朝、第2代目カリフマンスールの孫として生まれる。祖父のマンスールからは大変可愛がられていたようで、彼女が幼い頃「ズバイダ」という愛称で呼んでいた。 「ズバイダ」とは「かわいい花」という意味の愛称であり、本名はアマトル=アジーズである。 その愛称どおり美貌の女性だったようである。781年に従兄のアッバース朝、第5代目カリフハールーン・アッ=ラシードの正妃となった。 史実とは関係ない話なのであろうが、『千夜一夜物語』に夫と共にしばしば登場している。ズバイダは大変な財産家であったらしく、正妃としての宮殿の他にも、カラール宮という個人的な宮殿も所有していたようである。彼女は夫と共に詩や音楽などの芸術にも大変な関心を持っていたようである。聡明な彼女はまた、寛大な女性でもあったようであり、他の妃達に特に嫉妬する事もなかったらしいが、バルマク家のヤフヤー・イブン=ハーリドの城で美貌の女性歌手ダナーニールの歌を聞いたハールーンが、それから彼女の歌を聞きに、しばしばヤフヤーの城を訪れるようになり、彼女に三万ディナールほどの高価な首飾りの贈り物をしたと聞いた時は、さすがに気になったらしくハールーンの叔父に相談したという。叔父から非難されたハールーンは叔父と共にズバイダの所へ赴き、自分はただ彼女の声と歌に魅了されたのみだと説明したという。それを聞いたズバイダは満足し、夫を疑ったおわびとして十人の自分の女奴隷をハールーンに贈ったという。また、彼女は慈善事業にも関心を持ち、諸都市の給水、道路の改良、街道の中の宿泊所の設置、礼拝堂の改築・新築など寄付を惜しまなかったという。やがて息子のアミーンが、6代目カリフに就任したが、異母兄のマームーンとの間に争いが起こり、813年の9月、アミーンはマームーンの差し向けた軍隊の兵士によって殺害された。 こうしてマームーンが7代目カリフとなった。しかし、ズバイダの財産は保護してもらえる事になり、彼女が毎年おこなっていた、詩人アブール・アターヒヤ(748年-825年)に金貨100ディナールと銀貨100デルハムを贈る習慣を続ける事ができた。823年には、マームーンが側近のハサン・イブン・サハルの娘ブーラーンと何回目かの結婚式を挙げた。なんとその結婚式にズバイダは、ウマイヤ朝時代からの秘宝の華麗な真珠の衣装をまとって出席し、さらに新郎のマームーンにはペルシア貨で1000デルハムの大金を贈り、新婦の父のハサンにはソルハ村を贈った。以後のズバイダの消息は不明である。