セーラー服を脱がさないで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
セーラー服を脱がさないで | ||
---|---|---|
おニャン子クラブ の シングル | ||
リリース | 1985年7月5日 | |
録音 | - | |
ジャンル | J-POP | |
時間 | 分秒 | |
レーベル | ポニーキャニオン | |
レビュー | ||
- |
||
チャート順位 | ||
売上枚数 | ||
|
||
おニャン子クラブ 年表 | ||
セーラー服を脱がさないで (1985年) |
およしになってねTEACHER (1985年) |
『セーラー服を脱がさないで』(セーラーふくをぬがさないで)は、おニャン子クラブのデビュー曲。1985年7月5日に日本でシングル盤として発売された。おニャン子クラブを代表する曲とともに1985年を代表するヒット曲でもある。
目次 |
[編集] オリコンチャートデータ
- 初登場順位 - 34位
- 最高順位 - 5位(登場6週目)
- 登場週 - 17週
- 累計売上 - 24.7万枚
[編集] 解説
- 発売日前日の1985年7月4日、当時のアイドルのイベント場所のメッカ、池袋サンシャインシティ・アルパ噴水広場にて、この曲の発表会&握手会を予定していたが、500人という予想を上回る4000人が駆けつけた為、おニャン子メンバーが皆怖がった上に、現場の混乱をおそれてやむなく中止。しかし、この一件が全国に知らされて、おニャン子クラブのブームが初めて現れた事例として、つとに有名な話となった。
- 発売された週のオリコン順位は全国総合で34位だったが、東京では14位、また当時「夕やけニャンニャン」がネットされていなかった中国・四国・九州では100位にも入っていなかった。
- 1985年10月の初コンサートから1987年9月の解散コンサートまで、必ずレパートリーに入っていた曲である(Sailing夢工場ツアーを除く)。そのため、「夕やけニャンニャン」の番組内などで歌われなくなった以後も、番組内のオーディション・コーナーで合格した新メンバーがおニャン子クラブに加入すると、まずこの曲の歌詞と振り付けを覚えさせられた。
- おニャン子クラブの原型となった『オールナイトフジ』のオールナイターズは1985年4月、番組リニューアルとともに大幅なメンバーの入れ替えを行いそれまでの主力メンバーが番組を離れたが、入れ替わったメンバーは初期のおニャン子クラブにファンを奪われた形になったため、一時期ほどの人気を得られなかった。また、時代はそれまでの女子大生ブームから女子高生ブームへと変化していた。これを自虐的に捉えた番組スタッフは、1985年8月、オールナイターズに「セーラー服を脱がさないで」と同じ秋元康・作詞、佐藤準・作編曲による「セーラー服を脱いじゃってから」をリリースさせたが、ウケたのは番組を観ていた視聴者のみで、一般にはほとんど知られることはなかった。(オリコン最高順位59位)
- 当時『週刊新潮』のコラムでは、この歌を「年端もいかない少女に淫行同様の内容の歌を歌わせる」と皮肉った。
- 2006年9月から放送中の日本航空の「先得割引」のCMで客室乗務員役で出演した相武紗季(ちなみに相武が生まれたのは、この曲の発売直前である1985年6月20日)がこの楽曲の替え歌「先得割引をのがさないで」を、本来の振り付けをアレンジした振り付けをしながら歌っている(共演は三谷幸喜)。ちなみに、この歌はJAL国内線のハートフルキャンペーン(2007年)の当選者向けの景品として、直筆サイン入りCD(ロングバージョン)が200枚作られた。
- なお、この曲が発売された直後に日本航空123便墜落事故が起きたため、現在JALがこの曲をCMに使うことに対して一部から批判がある。