タマツバキ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | アングロアラブ |
生誕 | 1945年3月12日 |
死没 | 1980年4月12日 |
父 | バラッケー |
母 | 明美 |
生産 | 三好四郎 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 岸良兼義 |
調教師 | 松田由太郎(京都) |
競走成績 | 平地74戦34勝 障害1戦1勝 |
獲得賞金 | 557万2720円 |
戦前フランスで活躍し戦後日本に輸入されたバラッケーと日本の牝馬・明美の産駒として1945年出生。半兄にミキノヒカリがいる。
1948年当時の馬齢数え4歳(現・3歳)の5月にデビューし、秋からはオープンクラスの競走で活躍。1950年秋に創設された読売盾争奪・アラブ東西対抗戦の初代優勝馬となる。1951年には当時行われたアラブ系の障害競走にも出走し優勝するも障害戦はこの1戦のみ。また、10月に行われたアラブ系オープンでは83キログラムの斤量を背負い優勝した、これは日本競馬における最高負担重量での勝利記録として残っている。他に斤量80キログラム台での勝利が6度もあり重い斤量に耐える馬であった。現役引退戦はその年の年末に行われた読売賞争奪・アラブ東西対抗戦でこのレースに優勝し有終の美を飾る。その後種牡馬となったが、これといった産駒は輩出できなかった。
このアラブの戦後初期の名馬を記念してタマツバキ記念が行われている。なお、1975年のタマツバキ記念のゲストとして当時30歳になっていたタマツバキが来場している。
タマツバキは1980年に36歳で死去したが、これは後年、シンザンに破られるまで日本軽種馬の最長寿記録だった。墓は福島県畜産試験場にある。
なおタマツバキのサイアーラインの血統はエクリプス系であるが、ジョーアンドリュース系という傍系血統だった。ダーレイアラビアンからサイアーラインを書き起こせば以下のようになる。
- Darley Arabian 1700
- |Bartlet's Childers 1716
- |Squirt 1732
- |Marske 1750
- |Eclipse 1764 エクリプス系
- |Joe Andrews 1778 ↓ジョーアンドリュース系
- |Dick Andrews 1797
- |Tramp 1810
- |Lottery 1820
- |Sheet Anchor 1832
- |Wheatherbit 1842
- |Beadsman 1855
- |Rosicrucian 1865
- |Beauclerc 1875
- |Tyrant 1885
- |Masque 1894
- |Vinicius 1900
- |Comtat1912 ↑ここまでサラブレッド
- |*バラッケーBarraques 1927 ↓ここからアングロアラブ
- |タマツバキ 1945