ダウンフォース
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ダウンフォース (down force) は、モータースポーツにおいて使用される用語。単純な質量以外の要因でタイヤを地面に強く押し付ける下向きの力のこと。
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[編集] ダウンフォースの必要性
現代のレーシングカーでは、高速で走行しながらコーナーを曲がるため、ダウンフォースを得るように設計されている。
車が効率よく(高速で)曲がるためにはタイヤの摩擦力を大きくすればよい。極めて単純に表すと
- 摩擦力=摩擦係数×(タイヤを地面に押し付ける力)
であるが、規則によりタイヤの摩擦係数は全車両でほぼ同一であるため、タイヤを地面に押し付ける力を増加させなければならない。しかし車体重量を増加させて実現した場合は、カーブ走行中に慣性力と慣性モーメントが大きくなり不利な上、加減速も鈍くなるため、車体重量を増加させずにタイヤを地面に強く押し付ける必要があった。
直線路においても高速走行時にはタイヤの路面追従性の低下が起こるが、適度なダウンフォースでタイヤを地面に押しつけることによりこれを防ぎ、操縦安定性の悪化やタイヤの空転を抑制することができる。
強いダウンフォースを得られれば旋回時の速度を向上させることができるが、同時に誘導抗力(空気抵抗)も増すことになり直線走行時の最高速度が犠牲になる。
[編集] ダウンフォース発生機構
[編集] ウイング
まずウイングが開発された。板を水平から前に傾けて前進させると、相対的に前方から流れてくる空気が板に当たり、直接的に板を押し下げる。これを利用して、車体の先頭と最後尾に2枚の板を掲げた車が登場する。
まず1966年にシャパラル2Eが巨大なウイングを装着し、強力なダウンフォースで高速走行中の旋回性能を向上させた。すぐに他チームも追随し、あらゆるレーシングカテゴリでウイングは基本装備のひとつとなった。現在でも形を変えているものの規則で許されるほぼ全てのカテゴリで用いられている。
現代においてレーシングカーのウイングは単なる板ではなく、飛行機の翼を上下逆にしたような断面になっており、単にウイングに当たる空気の力を利用するだけではなくベルヌーイの定理を利用したものになっている。
過度にダウンフォースを発生させると空気抵抗も増加して直線での最高速度が低下する。したがってカーブでは強いダウンフォースが必要だが直線ではさほど必要としない。しかしF1をはじめほとんどのカテゴリのレースで走行中のウィング角度を可変させることを禁じているため、レースサーキットの形状(直線が多いとかコーナーが多いなど)によるウィング角度のセッティング決定はチーム勝利のための重要な要素となっている。
[編集] ウイングカー
飛行機が空を飛ぶために持っている翼は、前方から空気が流れてくると上面を流れる空気の速度が、下面を流れる空気の速度よりも速くなるようになっている。ベルヌーイの定理により、上面を流れる空気は下面を流れる空気よりも圧力が小さくなり、これが飛行機を宙に引き上げるエネルギー(揚力)となっている。
これに着目したF1チーム・ロータスのコーリン・チャップマンは、ダウンフォースの発生源をウイングだけに頼るのではなく、F1車両を前から後ろへ切った断面を、この翼を上下逆にしたものと同じようにすれば効率的にダウンフォースを得られることに気が付いた。F1車両の幅は2mにも満たなかったが、サイドスカートと呼ばれる下面を流れる空気を逃がさない壁を作ることで、車体下部を流れる空気の量を一定にすることができた。これをグラウンド・エフェクトと呼ぶ。そのアイディアは1977年にロータス78で実現された。
初期のサイドスカートはブラシ状のものであったが、すぐにサイドスカートはベニヤ板になりローラーないしスプリングで地面に押し付けられ、効果的に車体下部の空気を閉じ込めた。1981年にローラー可動スカートは禁止されたが、何度か別の方法でサイドスカートは取り付けられた。
このウイングカーは車体下部が曲面で構成されており、車体中央がもっとも地面に近く、車体後部下面はせりあがっており、サイドスカートで閉じられた空間はベンチュリー状になっていた。ベルヌーイの定理により、流速が大きくなる車体下部では空気圧が大きく下がり、下向きの揚力が発生し、これがダウンフォースとなった。上面は平面部分が大きく空気抵抗を低減し、ラジエータに空気が入りやすくなっている。
1983年にはF1でフラットボトム規定が適用され、車体下部の大部分は地面に平行な平面で構成されなければならなくなった。F1におけるウイングカー自体はこれで消滅したが、平面で構成されなければならないのは前後輪の間だけであったため、これ以後も各車とも後輪軸より後ろはせりあがり形状を形成している。これをディフューザーと呼ぶ。これは車体より後ろの空気の流れを整え渦を減らし、後ろ向きの力が発生しないようにするのが主目的で、これで得られるダウンフォースは極めて小さい。
これらウイングカーを、グラウンド・エフェクト・カー(ground effect car) と呼ぶこともある。
[編集] ファンカー
ファンカーとして最初のものは、二人乗りレーシングカーカテゴリのCan-AMで、シャパラル2シリーズの車体にファンとファン駆動用エンジンを取り付けたシャパラル2Jが1970年に登場した。車体下部の空気を強制的に吸い上げて、車体下部の空気圧を下げることで車体に強力なダウンフォースを与えた。
F1では1977年には多くのチームが前述のウイングカー構造に追随していたが、使用していたエンジンの形状が他のチームと違い、ウイングカー形状に車体下部を形成することの難しかったF1ブラバムチームのゴードン・マレーは、ベルヌーイの定理によるウイングカー化を放棄し、シャパラル2Jのように車体後部に巨大な排気ファンを取り付け、車体下部の空気を直接吸い出すBT46Bを開発した。他車と同じようなサイドスカートを装備しており、ウイングカーとは違い車体下部の空気をファンで吸い出すことでダウンフォースを発生させた。
BT46Bはデビューした1978年スウェーデンGPで圧勝したが、ルールの厳密化と明文化により1戦のみの出走で出走禁止となった。詳しくはファン・カーを参照。
これらの機構は、空気の流れによって発生するダウンフォースの大きさが車体の速度に左右されるウイングカー構造と違い、自由に車体下部の圧力を調節できたために中低速で圧倒的に有利だった。
[編集] サイドポンツーン
1960年代後半になると、F1などモータースポーツではタイヤの扁平化が進み、前方投影面積の増加により高速走行時に発生するタイヤの空気抵抗が大きくなってきた。そのために、フロントウィングで前輪を避けるように気流を調節したり、フロントウィング自体をラジエータとすること等で克服していたが、1970年前半には後輪の前方にラジエータあるいは吸気口を設置することがトレンドとなった。1972年、安全性能向上の観点から燃料タンクを保護する衝撃吸収構造がレギュレーションにより義務付けられたことから始まる。運転席サイド及び後方にある燃料タンクを保護するためには、その両側に衝撃吸収構造を設ける必要があった。初期には発泡材等を取り付けることにより燃料タンクの保護としていたが、発泡材に替わってラジエータやそのダクトを衝撃吸収構造としたものがサイドポンツーンの走りである。
1970年代後半になると、このサイドラジエータは前述のウィングカー構造の構成部品となり、主要なダウンフォース発生装置の一つとなる。大きさも巨大になり、前輪と後輪の間の空間を全てカバーするまでに至る。
しかし1983年にはウィングカー構造が禁止されたため、サイドラジエータは極端に小さいものが流行になった。1983年初頭には極端にサイドラジエータを小さくしエンジンに密着させ、1970年頃のようなスリムな車体のティレル012-FordやブラバムBT52-BMWなどが登場する。しかしこのころ流行していた過給エンジンの大きな発熱を処理するため、この小さいサイドラジエータは主流にはならなかった。
1984年になると、サイドラジエータを再度ダウンフォース発生装置として利用しようとするエンジニアが現れ、また大型化が推し進められることになる。この構造は、サイドラジエータを前後輪の中間ほどまで前に移動させ、その後端と後輪の間に空間を作る。この空間には、前述のフラットボトム規定により平面になった車体底面の延長上に平らな板を設置した。前方から流れてきてサイドラジエータによって押しのけられた空気が、サイドラジエータと後輪の間にある空間に流れ込むと、この板を押し下げてダウンフォースを発生させる。また、この板が底面下の気流を整え後輪に乱気流を当てないようにするという効果もあった。
この構造はサイドポンツーンとして定着し、1990年代後半まで継続的に、そして補助的に用いられた。サイドポンツーンによるダウンフォースの発生はわずかなものであるが、ラジエータを前に出したことで車重の前後バランスが向上し、運動性能の向上に恩恵を与えたこと、コクピットを衝撃から守る助けになったというのがその理由である。
(名前の由来はポンツーンを参照)
[編集] Xウイング
(stub)
[編集] 関連項目
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