ダリアンガールズ
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ダリアンガールズはかつて存在した日本の女子プロレスユニットである。 キャッチフレーズは『歌って、踊って、プロレス』。
[編集] 概要
2002年にホリプロ主体で企画され、同年に中国・遼寧省大連にてオーディションを行い約550名の応募者の中から16~21歳の女子15名を選出、歌とダンス、そしてプロレスを行うスポーツエンターテイナーに育て上げる事を目的とし、コーチに全日本女子プロレスを離脱しフリーランスとなっていた伊藤薫を招き、その指導の下2003年に初興行を行う。
尚、ユニット名の由来は、大連の現地読みである『ダリアン』とこの地の出身者である少女達の英語呼びである『ガールズ』を掛け合わせた『大連の少女達』から来ている。
設立当初より、ホリプロのバックアップにより、深夜帯ながらレギュラー番組枠を確保する等、華やかなスタートをきるが、日本人のレスラーは一切出場せず(コーチの伊藤も試合を行っていない)、自前の選手のみで歌とダンスを絡めて試合を行う。
この興行でのプロレスは、あくまで所属している少女達のショーの一環というスタンスから、他団体の選手は招聘せず、所属である新人同士の試合のみを行うが、各選手のコスチュームを同じようにしてしまった為、各選手の差別化が図れなかった事や、新人同士の対戦の為、試合を組み立てられる選手が存在せず、技の流れもぎこちなく、試合において戦いのテーマが希薄な感じが否めなく、又、観客に関しても従来のプロレスファンよりも、一般客にアピールする事に重点を置くが(テレビアナウンサーの場内実況放送つきで、プロレスを知らない観客にも楽しめる配慮等がなされていた) 、一部のファン以外は中々定着せず、観客動員に苦戦し、テレビの視聴率も低迷していた為、番組も打ち切られ、2004年5月の八景島公演を最後に、メンバーが中国に帰国した為、自然消滅と言う形で、活動を停止する。
選手達の平均身長が168センチ強、平均年齢は18.1歳と言う、概存の団体に比べて選手の素質には恵まれていたが、その素質を活かしきれなかった事や(アイドルユニットとしても売り出す予定もあり、怪我などのアクシデントを避ける為、派手な大技等は使う事が出来なかったと思われる)、エンターテイメント性を強調しすぎた為、プロレスファンから敬遠された事が活動停止を早めた原因だと思われる。