ツィクロンB
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ツィクロンB (Zyklon B) は、第二次世界大戦中に使用されたドイツの殺虫剤の商標であり、ナチス・ドイツによって強制収容所のガス室で用いられたとされる毒ガス。一般には「チクロンB」とも表記される。
ただし、ツィクロンBからガス状のシアン化水素が発生するには相応の反応時間が必要であり、ガス室での大量虐殺にはあまり実用的でないこと、青酸ガスが壁中の鉄分と反応して生成するはずのプロシアンブルーがガス室の壁面に殆ど見られないことなどから、強制収容所のガス室で使用されたのかどうかには疑問が残る。この主張を強めるものとしてしばしば引き合いに出されるのがフレッド・ロイヒターによるロイヒター・レポートである。しかし分析を依頼されたアルファ・アナリティカル社のマネージャーが証言するところによると、ロイヒターが提出したサンプルの表面にはシアン化物が明白であったが、依頼された解析がサンプルの表面ではなく内部に関するものであると思ったため、サンプルを粉砕、希釈してから解析作業を行ったという。そのため、サンプルからシアン化物がほとんど検出されなかったのは当然であると指摘される。1990年2月にクラクフ法医学研究所が行なった調査は、ロイヒターの説を否定している。(ホロコースト否認論の考察を参照)
ツィクロンBは多量の小さなペレットやファイバー・ディスク、珪藻土にシアン化水素と安定剤、警告用の臭気剤をしみ込ませたもので、これらが気密コンテナより出されると、ガス状のシアン化水素が生じる。
ツィクロンBは当初は発疹チフスを媒介するシラミを駆除するための殺虫剤として使用されていたが、アウシュヴィッツ=ビルケナウやマイダネクといった強制収容所のガス室では、致死性の化学兵器として使用されたと言われる。 1940年の1月か2月にブーヘンヴァルト強制収容所で、ブルノ出身の250人のロマの子供たちが実験台として殺害された。続く1941年9月にはアウシュヴィッツ第一収容所で実験が行われた。ツィクロン Bはパテントを持つイーゲー・ファルベン社 (IG Farben) からのライセンスを得たデゲシュ社 (Degesch, Deutsche Gesellschaft für Schädlingsbekämpfung mbH) とテスタ社 (Testa, Tesch und Stabenow, Internationale Gesellschaft für Schädlingsbekämpfung m.b.H.) によって生産された。
ナチスはデゲシュ社に警告のための臭気を付けないツィクロンBの生産を命じたが、それは当時のドイツの法律に違反していた。戦後テスタ社の製造管理担当者二名がイギリス軍の軍事法廷によって裁かれ、化学兵器提供の罪で処刑された。ツィクロンBは1920年代にフリッツ・ハーバーによって偶然に開発されたものであった。
なお、ツィクロン(Zyklon:独語でサイクロンの意)の単語使用に対して、無差別虐殺の被害者であるユダヤ人は敏感な反応を見せることがある。2002年にボッシュ・シーメンスとアンブロの両社が、「Zyklon」の商標登録を行おうとしたが反対活動によって行うことができなかった。
[編集] 外部リンク
- Chemistry is Not the Science - a critique of the arguments of Holocaust deniers regarding the use of Zyklon B in gas chambers.