デジタル・リサーチ
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デジタル・リサーチ (Digital Research Inc.、DRあるいはDRIと略記)は、「CP/M」や「DR-DOS」といったオペレーティングシステム (OS) の開発元である会社。ゲイリー・キルドールが創業。マイクロコンピュータ業界初の大規模なソフトウェア会社である。デジタル・リサーチとディジタル・イクイップメント・コーポレーションとは無関係である。本社はカリフォルニア州パシフィック・グローブのメインストリートにある2階建ての民家からはじまり(1970年半ばまで)、その後モントレー水族館裏のビルへ移転後、1980年の前半にモントレー空港、脇にあるビジネスパークへ3棟のビルを立て移転した。1991年におけるノベルとの合併までその場所にあった。
同社のOSであるCP/Mは、8080/Z80ベースのコンピュータ向けから始まり、後にMS-DOSやMicrosoft Windowsに取って代わられるまでデファクトスタンダードであった。デジタル・リサーチは同社のOSを獲得することを目的としてノベルが1991年に買収した。デジタル・リサーチの製品群には最初のCP/Mとその派生OSが含まれる。DR-DOSはCP/MのMS-DOS互換版。MP/Mはマルチユーザー版のCP/M。
デジタル・リサーチは同社のOS上で動作するプログラミング言語のコンパイラとインタプリタも製品化している(C言語、Pascal、COBOL、FORTH、PL/I、BASIC、LOGO)。デジタル・リサーチ社はグラフィックスの標準規格 GKS(NAPLPSのAPIをISOが標準規格化したもの)のマイクロコンピュータ版 GSX も開発している。これは後にGEMのGUIにも利用されている。あまり知られていないがアプリケーションも製品化しており、GSXベースの DR-DRAW やGEM上のGUIプログラム群などがある。
[編集] ブランドイメージと社名
CP/M は1974年12月に誕生した。その名称は当初 Control Program/Monitor(制御プログラム/モニタ)を意味していた。しかし、1976年11月15日には「CP/M」を商標として使用し始め、Control Program for Microcomputers(マイクロコンピュータ制御プログラム)の略であるとされた。これらの日付は米国の商標登録1112646番として記録されている(申請者は Intergalactic Digital Research, Inc.)。デジタル・リサーチが会社として登録されたのは1977年11月25日である。この改名はキルドール個人のプロジェクトからビジネスへの転換を意味しており、PL/Mコンパイラをインテルとの契約で開発するなど会社としての基盤を確かなものとしていった。CP/M にしても PL/M にしても "Microcomputer" をブランドイメージとしていた。例えば、後にマイクロソフトのXENIXと競合した Microport UNIX もそうである。
キルドールは「マイクロコンピュータ」と言えばデジタル・リサーチというブランドイメージを素早く確立させようとした。これはちょうどIBMとマイクロソフトが「パーソナルコンピュータ」と言えばIBMとマイクロソフトというブランドイメージを確立して成功したのと似ている。これと同様にブランドイメージ確立のための努力の一環として、キルドールは Intergalactic Digital Research, Inc. という当初の正式社名を外部には使用せず、デジタル・リサーチ・コーポレーションとしてビジネスを展開した。後に正式に Digital Research, Inc. と改名しても1980年代までデジタル・リサーチ・コーポレーションという名称を対外的には使用し、後に Digital Research, Inc. を対外的にも使用するようになった。
[編集] CP/M-86 と DOS
IBMのPC開発時、DR社には8086マイクロプロセッサ向けのCP/Mを開発しないかという打診があった(最初のIBM-PCのCPUは8086と互換性のある8088)。これが失敗に終わった経緯に関してはいくつかの話が伝えられている。1981年末にPCが登場したとき、OSはマイクロソフトのPC-DOSであった。これは、CP/Mが8086に移植されないことに業を煮やしたシアトルコンピュータ社のティム・パターソンが4ヶ月で開発したCP/M互換のコマンドを持つQDOSがベースとなっている。マイクロソフトはこれを1982年中ごろからIBM以外のコンピュータ向けにもMS-DOSとして販売し始めた。これによりマイクロソフト社はソフトウェア業界のトップにまで登りつめることとなったのである。
デジタル・リサーチはMS-DOSに対抗するOSとしてCP/M-86を開発し、1982年にIBMを通してリリースした。デジタル・リサーチは後にMS-DOSクローンに機能を追加したDR-DOSも開発したが、これはマイクロソフトにMS-DOSを改良するための圧力を加える結果となった。マイクロソフトは同社のMicrosoft WordなどをDR-DOS上で動作させようとしたときにそれを検出して即座に終了するような仕掛けも入れた。1990年、マイクロソフトは多大な広告費をかけてMS-DOS 5.0がすぐにリリースされると宣伝し、DR-DOS 5の売り上げを減らそうとした。一年後にMS-DOS 5.0が登場したとき、宣伝していた機能の一部は実現されておらず、DR-DOS 5 よりもかなり劣っていた。デジタルリサーチは DR-DOS 6をリリースしたが、マイクロソフトは再びMS-DOS 6.0の登場を予告するキャンペーンを展開したのである。
結局マイクロソフトの莫大な広告費に太刀打ちできず、デジタル・リサーチはノベルに全ての権利と共に売却されることとなった。
1991年、Computer Reseller Newsのインタビューでマイクロソフトの会長ビル・ゲイツは、「デジタル・リサーチはマイクロソフトのオペレーティングシステムの複製を作るだけの存在である」と語っていた。しかし、マイクロソフトはノベルを引き継いだカルデラ社とのDR-DOSおよびCP/M-86に関する訴訟では、マイクロソフトがカルデラに対して1億5千万ドルを支払う結果となっている。