デヴィッド・O・セルズニック
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デヴィッド・O・セルズニック(David O. Selznick,1902年5月10日 - 1965年6月22日)はアメリカ合衆国ペンシルヴァニア州ピッツバーグ出身の映画プロデューサー・脚本家。
父親のルイス・J・セルズニックはサイレント映画の監督であった。コロンビア大学で学び、1923年に父親の会社が破産するまでそこで映画製作に携わる。1926年にMGMに入るが2年後にパラマウント映画に移る。その3年後、今度はRKOに移り、『キング・コング』などを制作。1949年に女優のジェニファー・ジョーンズと再婚。
作品は驚くほどの傑作ぞろいだが、これは偶然ではない。彼が作品にうるさく口出しして、実質的に監督との二人三脚で作成した共同制作の作品になっているからだ。ヒッチコックは』レベッカ』について「あれ(アカデミー賞作品賞)はセルズニックに与えられた賞だ」と述べたほどである。
ただし、うるさく口出しする方針が嫌われて、監督からも俳優からも疎んじられるようになった。契約を拒まれ、ろくに制作もできなくなるハメになった。最後には多額の負債を抱えて破産寸前にまでなった。精神科医にかかったこともあった。
輝かしい光と陰の二重性に満ちた人生を送った彼は、映画世界の天才だと言えよう。当時の彼は誰からも嫌われたのかもしれないが、彼の残した作品は燦然と輝いて今日まで残っている。もし彼がいなければ、これらの作品はまったく生まれなかったのだ。
なお、下記の作品はいずれも絵画的な美しさが際立っている。一方、それぞれの映画の監督は誰もが、セルズニックと共同で作った映画以外では、あまり絵画的な美しさを発揮していない。このことから、セルズニックの能力は、映画の絵画的な美しさにおいて強く発揮されたと言えるだろう(それを裏付ける逸話もいくつか残っている)。
[編集] 主なプロデュース作品
- キング・コング King Kong (1933)
- アンナ・カレニナ Anna Karenina (1935)
- 小公子 Little Lord Fauntleroy (1936)
- スタア誕生 A Star Is Born (1937)
- ゼンダ城の虜 The Prisoner of Zenda (1937)
- 風と共に去りぬ Gone with the Wind (1939)
- レベッカ Rebecca (1940)
- 白い恐怖 Spellbound (1945)
- 白昼の決闘 Duel in the Sun (1946) (脚本も書く)
- パラダイン夫人の恋 The Paradine Case (1947)
- ジェニイの肖像 Portrait of Jennie (1948)
- 第三の男 The Third Man (1949)
- 終着駅 Stazione Termini (1953)
- 武器よさらば A Farewell to Arms (1957)
[編集] 外部リンク
- 生涯 http://www.geocities.co.jp/Hollywood/5710/d-selznick.html
- 作品 http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=4555
カテゴリ: アメリカ合衆国の映画プロデューサー | ペンシルバニア州の人物 | 1902年生 | 1965年没