トゥーラ (ロシア)
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トゥーラ (ロシア語: Ту́ла)は、モスクワの165 km南、ウパ川沿いに位置するヨーロッパロシアの産業都市である。人口は、2002年国勢調査で481,216人、1990年の推定人口が543,000人である。トゥーラ市は、トゥーラ州の州都である。地理的座標は、北緯54°12′、 東経37°37′。電話の局番は、+7 4872。
この町は、少なくとも14世紀から存在する。ある歴史家たちは、トゥーラは年代記で1146年として言及されている不明瞭な土地、タイドゥラであろうと仮定している。
中世には、トゥーラは、リャザン公国の国境の小さな要塞であった。モスクワ大公国に移るとすぐ、レンガの城塞、すなわちクレムリンが1530年に建設された。トゥーラは、逆茂木線の重要な要塞で、1552年のタタールによる包囲攻撃によく耐えた。1607年、イワン・ボロトニコフとその一派は要塞を奪い、皇帝軍による4か月の包囲攻撃を耐え抜いた。18世紀には、クレムリンの壁の一部が破壊された。古めかしい見かけにかかわらず、クレムリンにある5つのドームを持つ聖母被昇天大聖堂は1764年という遅い時代に建てられたものである。
1712年、ピョートル大帝がトゥーラを訪れ、鍛冶屋のデミドフにロシアで最初の軍需工場建設の権限を与えた。数十年後、トゥーラは、デミドフ家によって東ヨーロッパ最大の鉄工業の中心地となった。兵器の歴史についての最古の博物館が、デミドフ家によって1724年に創設された。工業としてサモワール(Samovar)を製造する最初の工場も、18世紀に設立された。デミドフ家が生産拠点をウラル地方に移した後も、トゥーラは、重工業、特に素材生産の中心地として存続した。
1941年から1945年までの大祖国戦争の間じゅう、この都市は兵器の製造で重要な役割を果たした。トゥーラは、1941年10月24日から12月5日の間、モスクワ地方でのソヴィエトの抵抗を打ち破るためドイツ軍の攻撃の標的となったが、厳重に要塞化されたこの都市は持ちこたえた。具体的には、グーデリアンの第2装甲軍が、トゥーラで敗北を喫した。この都市は、ソヴィエトのモスクワ防衛と続いて起こった反攻の間じゅう、南側面を防衛した。トゥーラは、1976年に英雄都市(Hero City)の称号を授与された。トゥーラは、クロコヴォ空軍基地の根拠地である。
楽器、トゥーラ・アコーディオンはこの街にちなんだ呼び名で、トゥーラはロシアおよび世界中で販売されるこの種の楽器の製造の中心地である。トゥーラは、蜂蜜と生姜入り焼き菓子でできたロシアの伝統的なクッキー、プリャニキでも有名である。西欧では、トゥーラはおそらくサモワール製造の中心地として最もよく知られている。ここからロシアのことわざで「トゥーラにサモワール持って行くな」という。
トゥーラ州で最も人気のある観光地は、作家レフ・トルストイの家と墓地のあるヤースナヤ・ポリャーナである。そこは、この街からほんの14キロメートル南西に位置している。トルストイは、名高い『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』をそこで著した。
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[編集] 外部リンク
- トゥーラ市公式サイト (ロシア語)