レフ・トルストイ
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レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(Лев Николаевич Толстой, 1828年9月9日 - 1910年11月20日)は、ロシアの小説家。代表作は、『アンナ・カレーニナ』、『戦争と平和』など。平和主義者としても知られる。ロシア文学と政治の両方に大きな影響を与えた。19世紀を代表する小説家のひとりである。また時間論に関し、「過去も未来も存在せず、あるのは現在と言う瞬間だけだ」という言葉を残した。
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[編集] 生涯
トルストイの祖先はアレクサンドル1世の側近で、トルストイもまた伯爵としてロシアの名門貴族の一員であった。トルストイはモスクワ郊外のヤースナヤ・ポリャーナで伯爵家の四男に生まれた。大地主の息子として育ったトルストイは、クリミア戦争に将校として従軍する。戦地での体験は、トルストイが平和主義を展開する背景となり、また後年の作品での戦争描写の土台となった。
トルストイは、小説作品に自らの生きた社会を現実感をもって描写しようと努めた。1863年の『コサック』では、ロシア貴族とコサックの娘の恋愛を描きながら、コサックの生活を描写している。1867年の『アンナ・カレーニナ』では、社会慣習の罠に陥った女性と哲学を好む富裕な地主の話を並行して描くが、地主の描写には農奴とともに農場で働き、その生活の改善を図ったトルストイ自体の体験が反映している。トルストイはまた社会事業に熱心であり、自らの莫大な財産を用いて、貧困層へのさまざまな援助を行った。援助資金を調達するために作品を書いたこともある。
『戦争と平和』の主人公ピエール・ベズーホフにもトルストイ自身の思索が反映している。『戦争と平和』で、トルストイはロシアの貴族社会のパノラマを描き出した。また1884年の『イワン・イリイチの死』では、死を前にした自身の恐怖を描き出している。
トルストイの影響は政治にも及んだ。ロシアでの無政府主義の展開はトルストイの影響を大きく受けている。ピョートル・クロポトキン公爵は、ブリタニカ百科事典の「無政府主義」の項で、トルストイに触れ「トルストイは自分では無政府主義者だと名乗らなかったが……その立場は無政府主義的であった」と述べている。またトルストイがインドの新聞に寄稿した「ヒンドゥー人への手紙」はマハトマ・ガンジーに影響を与え、非暴力主義への発展へと繋がった。
第一回ノーベル文学賞のときには、人気を二分していたドストエフスキーが故人だったため、受賞確実といわれた。トルストイ自身もスウェーデン・アカデミーに対し、その受賞賞金を、ロシア政府から迫害されていたドゥホボール教徒をカナダへ移住させる資金に当ててくれるように手紙を送る。しかし第一回ノーベル文学賞はフランスの詩人シュリ・プリュドムに与えられ、受賞を逃す。これには世界中から非難が巻き起こる。これにスウェーデン・アカデミーは異例の声明を出す(受賞しなかったのは、トルストイのアナキスト的思想がノーベル賞の理念と相容れないためとされた)。このため、トルストイはそれまでの著作権放棄宣言を撤回し、新作「復活」の出版費用をドゥホボール教徒の移住費用に当てる。
晩年の作品『復活』はロシア正教会の教義に触れ、1901年に破門の宣告を受けた。社会運動家として大衆の支持が厚かったトルストイに対するこの措置は大衆の反発を招いたが、現在もトルストイの破門は取り消されていない。
社会からは慕われたトルストイであったが、家庭では暴君のようであったといわれ、夫人との仲は険悪であった。1910年、家出をしたトルストイは、鉄道旅行中悪寒を感じ、アスターポボ駅で下車した。1週間後、11月20日に死去。トルストイの葬儀には1万人を超える参列者があった。
[編集] 著作
- 『戦争と平和』 - Война и мир; [Voyna i mir] (1865 - 69)
- 『アンナ・カレーニナ』 - Анна Каренина; (1875 - 77)
- 『復活』
- 『クロイツェル・ソナタ』 - Крейцерова соната [Kreutzerova Sonata]; (1889)
- 『イワン・イリイチの死』
- 『イワンのばか』
- 『人はなんで生きるか』
- 『光あるうち光の中を歩め』
- 『人生論』
- 『文読む月日』
- 『生ける屍』 - Живой труп [Zhivoi trup]; (1911)