ナシオナル銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナシオナル銀行(Banco Nacional S/A)は、ブラジルにかつて存在した銀行である。
1940年代当時ブラジル最大の銀行だったバンコ・ダ・ラヴォウラ(Banco da Lavoura)において、当時弱冠34歳で同行の支配人だった銀行家ジョセ・ヂ・マガリャンイス・ピント(José de Magalhães Pinto)によって、1944年にミナスジェライス州州都のベロオリゾンテで設立された。当初の名称は「バンコ・ナシオナル・ヂ・ミナスジェライス(Banco Nacional de Minas Gerais, ナシオナル銀行ミナスジェライス)」とした。
翌1945年に政党、国民民主連合(UDN)の創設メンバーとなったマガリャンイス・ピントは、1946年からは主にミルトン・カンポス州知事(在任:1947年~1951年)の下で州の財務を担当し、1961年には州知事に当選した(1966年まで在任)。
この時期、当行はミナスジェライス州と州境を接し南に位置するリオデジャネイロ州を中心に業務を拡大し、ブラジル最大の銀行のひとつとみなされるまでになった。
1964年の軍事クーデターに際しては、マガリャンイス・ピントがそれ以前から裏面で社会科学研究所(IPES、実態はCIAの末端組織)に援助するなど軍部の反乱勢力を側面から支援していたため、クーデター後に財産を大幅に増したマガリャンイス・ピントは他行6行を併呑し、結果、当初のナシオナル銀行(ミナスジェライス)を中心に1972年に「ナシオナル銀行(Banco Nacional S/A)」が誕生した。
その後も大銀行としての地位を保つが、1980年代にマガリャンイス・ピントが健康を害し政界を引退し、加えてマガリャインス・ピントの政界引退と同じ1985年にブラジルが軍政から民政に移行すると当銀行が背景としてきた政治的影響力も急速に失われ、1994年にはブラジル中央銀行による金融再編計画である「再構築促進プログラム」(PROER)の対象となり、1995年に同国のウニバンコ(Unibanco)に吸収され消滅した。
[編集] 広告主としての側面
広告主としてはブラジルの広告史に残る存在といえ、国内ではニュース番組「ジョルナル・ナシオナル(Jornal Nacional)」放送開始当時のスポンサーとして、国内外においてはF1ドライバー、アイルトン・セナのスポンサーとして知られる。
「ジョルナル・ナシオナル」は、同国最大のテレビ局であり当時リオデジャネイロ市に本拠を置いたTVグローボによって放送されているニュース番組で、同番組が放送を開始した1969年9月当時、ナシオナル銀行はその最初のスポンサーとなった。TVグローボは当銀行への配慮から番組名にナシオナル(Nacional)の文字を入れ、今日、同番組は同局の看板ニュース番組であるばかりでなく、ブラジルを代表する「国民的」ニュース番組ともなっている。しかしながら、同番組があまりにも有名であるため、歴史を経た今日では、一企業に過ぎないナシオナル銀行と同番組との関係を知らないブラジル人も多い。
アイルトン・セナへのスポンサードは同選手のカート時代から始まり、結果、大銀行といっても基本的にはブラジル国内のみで営業しているに過ぎない当銀行の名を世界的なものとした。ナシオナル銀行からの資金提供は決して莫大なものではなかったが、セナはマクラーレンやウィリアムズといったF1のトップチームに対しても、「NACIONAL」の文字とロゴマークのためにレーシングスーツの目立つ部分を用意させた。セナが常に被っていた「NACIONAL」の文字とロゴがついた青い帽子は特に有名であり、セナが死去し、ナシオナル銀行もすでに消滅した2000年代の今日に至るまで、その帽子はレース開催日のサーキットで見かけることができるほどである。