ノトーリアス・B.I.G.
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ノトーリアス・B.I.G.(The Notorious B.I.G.、本名:Christopher Wallace 1972年5月21日 - 1997年3月9日)は、アメリカ合衆国 ニューヨーク州ブルックリン出身のヒップホップMCである。190cm 、136kgの巨漢。愛称はビギー・スモールズ(Biggie Smalles)、単にビギーとも呼ばれる。B.I.G.は「ビー・アイ・ジー」と読むのが正しいが、まれに「ビッグ」と呼ぶラジオDJもいる。
[編集] 来歴
母ヴォレッタ・ウォレスは保育園の教師。 17歳の頃、クラックコカインディーラーとして働くため、高校を落第してしまう。麻薬の売人時代も彼のカリスマ性からよく知られた存在だった。
ビッグ・ダディ・ケイン(Big Daddy Kane)のDJ、ミスター・シー(Mister Cee)が彼のデモテープを聴き、さらにヒップホップ雑誌『The Source』に紹介。同雑誌コーナー「Unsigned Hype」に登場した事を機にショーン・パフィ・コムズ(現ディディ)に見出される。
メアリー・J・ブライジの「リアル・ラヴ(Real Love)」のリミックス、クレイグ・マック(Craig Mack)の「Flava In Ya Ear」のリミックスなどの客演を経て、B.I.G.名義のデビュー曲「Party And Bullshit」をサウンドトラック『Who's The Man』(1993年)に発表する。
イージー・モー・ビー(Easy Mo Bee)をはじめ、DJプレミア(DJ Premier)、ロード・フィネス(Lord Finesse)、チャッキー・トンプソン(Chucky Thompson)たちのサポートを受け、1994年にデビューアルバム『レディ・トゥ・ダイ』をリリースする。アルバムは名声をビギーにもたらした。 この作品はヒップホップアルバムとして屈指の名作として名高く、現在でも大きな評価を得ている。また当時西海岸が主流だった風流に東海岸の興隆を見せつけた。
アルバムがリリースされる少し前に、ビギーは2パック(2Pac)と交友を深める。1994年にはマディソン・スクエア・ガーデンで2パックと共演もした(前述アルバムのクレジットに2パックの名前を見つけることができる)。しかし、2パックが同年11月に銃撃され、犯人としてビギーとディディを疑ったことにより、彼らの仲は一気に険悪になる。2パックが所属するデス・ロウ・レコードと、ビギーが所属するバッド・ボーイは1990年代の二大ヒップホップレーベルだった。 2パックが銃撃され死亡した際に、敵対するビギーの指示ではとの噂が流れた。ビギーはこれを否定。 その後、今度はビギーがロサンゼルスでヒップホップ雑誌『VIBE』主催の「Soul Train Music Award」パーティーの帰途に撃たれ、セカンドアルバムリリース前の1997年3月9日に死亡する。どちらの銃撃事件もいまだ未解決のままである。一時は公式に捜査が休止されたが、ドキュメンタリー映画「ビギー&トゥパック(Biggie & Tupac)」の2002年公開や、親族の陳情を受け、捜査を再開させる。
ビギーのマネージメント、プロデュースを行っていたディディは、すでに録音を済ませていた2枚組のセカンドアルバム「ライフ・アフター・デス」をリリースする。このアルバムは1000万枚を売り上げ、ビギーを伝説の存在にした。
元妻はR&Bシンガーのフェイス・エバンス(Faith Evans)、リル・キム(Lil' Kim)、チャーリー・バルティモア(Charlie Baltimore)は愛人だったといわれる。
2005年12月、数々のトリビュートアルバムは発表されていたが、公式なアルバムとして豪華客演(ディディ、エミネム、ジェイ・Zほか)を集めた「狂宴〜ザ・ファイナル・チャプター[最終章]」がリリースされた。
[編集] アルバム
- レディ・トゥ・ダイ - Ready To Die (1994年)
- ライフ・アフター・デス - Life After Death (1997年)
- ボーン・アゲイン - Born Again (1999年)
- 狂宴〜ザ・ファイナル・チャプター[最終章] - The Notorious B.I.G. Duets: The Final Chapter (2005年)
- グレイテスト・ヒッツ NOTORIOUS B.I.G. - GREATEST HITS(2007年)