ノルディックバランス
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ノルディックバランスとは、第二次大戦後の東西冷戦中の北欧の動向。「Nordic Balance」
アメリカ寄りのデンマークとノルウェー、中立のスウェーデン、ソ連寄りのフィンランド、いわゆる「北欧の均衡」。北欧に表面的な平和を提供するものと言われた。しかし最近の研究によれば、むしろアメリカと同盟のノルウェー、アメリカ寄りの中立のデンマークとスウェーデン、ソ連寄りの中立のフィンランド、という状態がより実態に近かったらしい。
冷戦期の実態は、ソ連が度々、北欧への領海違反、スパイ事件にも起きた様に平和を維持するどころではなかった。北欧の中立政策が重心とは言え、スカンディナヴィア三国はソ連とは敵対に近かった。
ソ連崩壊後にノルディックバランスも消滅した。スウェーデンとフィンランドは、EUに加盟(1995年)。ノルウェー政府もEU加盟に意欲を見せている。デンマークは、既に1973年にEC入り。現在に至る。
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[編集] デンマーク
デンマークはナポレオン戦争以来、近隣の列強を刺激しないようにすることを安全保障の基本政策としてきた。従ってその本質は中立である。しかし、ナチス・ドイツによる占領の経験を踏まえ、小国の単独中立は不可能であると結論付け、何らかの同盟を必要とした。そのときにスウェーデンの外相ウンデーンが提唱したスカンディナヴィア防衛同盟を中立と同盟とを両立させるものとして歓迎したのである。だからこそそれが挫折した後には、次善の策としてNATO加盟へと至ったのである。
かかる背景を持つデンマークがNATOの中でたびたびアメリカ等と衝突したのは必然と言ってよいのだろう。このためデンマーカイゼイション(デンマーク化)とレッテル貼りされる。ここにアメリカの傲慢さと焦燥感が同時に見て取れる。しかしアメリカとデンマークは共に相手を必要としており、複雑な冷戦外交の中でギリギリの妥協と国益を追求した両者の必死な姿が浮き彫りになっていると言えよう。
[編集] フィンランド
フィンランドは第二次世界大戦ではナチス・ドイツに、冷戦ではアメリカ・イギリスによってソ連に売り渡された格好になっており、どこかと同盟を結んでソ連に対抗することは、最初から選択肢になりようがなかったのである。そのため単独で超大国ソ連と向かい合わなければならなかった。安全保障を考えることが不可能である状況下においては、独立の大義とした民主主義を守ることを譲れない一線としたのである。
不可能に近い命題を抱える中で独立を守る何らかの手がかりにしたのは、中立指向である。ソ連とのギリギリの交渉の結果、同盟は結ぶが有事の際の中立を認めさせることに成功し、それを安全保障の基本政策とした。また出来る限りソ連を刺激するような言動を慎み、親ソ路線をことあるごとに内外にアピールした。これがフィンランド化という言葉が誕生する背景であるが、逆説的に言えばフィンランドのしたたかさを証明するものでもある。
[編集] ノルウェー
ノルウェーは独立以来、イギリスの軍事的な支援を安全保障の基本政策としてきた。第二次世界大戦でも亡命政権はロンドンにあった。イギリスの国力が衰えると今度はアメリカをその代替に考えていたようである。従って英米との同盟は譲れない一線であり、スウェーデンの外相ウンデーンのスカンディナヴィア軍事同盟構想に対してNATOへと合流することを条件とすることにこだわったのである。交渉の決裂後、NATOへ加盟したのは当然の帰結である。
しかし、アメリカ一辺倒ではなく、NATOを巡って分裂したスウェーデンとの繋がりを極めて重視していた。スウェーデンの軍事力をソ連に対する盾として期待する一方、自らが仲介役となりスウェーデンとNATOとの秘密同盟をも実現させている。極単純にNATO陣営の一員としてのみにあらず、複雑な冷戦構造の中で自らの安全保障を追求してきたことが伺える。
[編集] スウェーデン
スウェーデンはナポレオン戦争終結後以来、中立外交を安全保障の基本政策としてきた(武装中立、中立主義)。また、スウェーデンは北欧諸国の中で唯一、単独中立を自らの軍隊によって担保することが可能な戦力を持ち得た国であり、第二次世界大戦においてもそれは成功を収めている。そのため外相ウンデーンが提案したスカンディナヴィア防衛同盟は、米ソに対する中立を基礎としており、このためノルウェーとの交渉は難航し、結局実現することは無かった。もちろんNATOに加盟しないことは当然とされた。
しかし冷戦が激化すると、デンマークやノルウェーを窓口にNATOとの密約を結んでいたことが、公開された外交資料などで分かってきた。有事の際にはNATOへと加盟し、対ソ戦に参戦するというものである。しかも極めて詳細に内容が決められており、スウェーデンは名目ほどには中立ではなく、実態はアメリカ寄りだったということである。その強かな外交手腕は200年以上の平和を維持してきた原動力であるといえる。スウェーデンの中立政策は、基本的に重武装中立であり、国防に重きを置いて来た。
しかしパルメ首相の様にヴェトナム戦争を非難し、対米批判を行ない、積極中立を遂行出来得る程、スウェーデンの中立政策には自信と実力を兼ね揃えていたと言える。それをあえて西側諸国、米国よりの立場に立ったのは、中立と防衛同盟構想を越えた、北欧全体の自由と平和を守る戦いでもあったからである。