ノーザンダンサー
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ノーザンダンサー |
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1961年5月27日 |
死没 | 1990年11月16日 |
父 | ニアークティック |
母 | ナタルマ |
生産 | エドワード.P.テイラー |
生国 | カナダ |
馬主 | ウインドフィールズファーム |
調教師 | T.フレーミング(加) →オラティオ.A.ルロ(加→米) |
競走成績 | 18戦14勝 |
獲得賞金 | 580,806ドル |
ノーザンダンサー(Northern Dancer)は、カナダの競走馬・種牡馬。1964年アメリカクラシック二冠馬にして、「19世紀のセントサイモン、20世紀のノーザンダンサー」という言葉まであるように、20世紀後半で最も成功した大種牡馬である。後継種牡馬も多数成功し、主流血統であるノーザンダンサー系を築いた。1964年カナダ年度代表馬、米最優秀3歳牡馬。英リーディングサイアー4回、米リーディングサイアー2回。米リーディングブルードメアサイアー1回。
目次 |
[編集] 生い立ち
ノーザンダンサーは、1961年にカナダ・オンタリオ州南部のウインドフィールズファームで生まれた。生産者はサラブレッド生産で一時代を築いたエドワード.P.テイラーである。
母ナタルマはそのテイラーがサトラガセールにて35000ドルで購入した牝馬で故障のために、1960年、3歳の春に7戦3勝という成績を残し引退した。ナタルマが繁殖入りしたのは6月だったので配合相手に選択肢はなく、自身の持ち馬でその年種牡馬入りしていたニアークティックを配合した。
翌年5月27日ナタルマは鹿毛の牡馬を出産した。遅生まれの上に小柄だったが、テイラーはこの仔馬を高く評価し25000ドルという高値で売り出した。当時のカナダでそんな高額な馬を購入する者がいるはずもなく、買い手が付かずに生産者であるテイラーは自身の持ち馬として走らせることになった。テイラーは、父ニアークティック(新北区)、母の父ネイティヴダンサー(先住民の踊り子)よりノーザンダンサーという名前をこの馬に付けた。ノーザンダンサーはデビューする頃になっても発育が悪く、体高は最高で15.2ハンド(約154.4cm)にしかならなかった。
[編集] 現役時代
1963年、2歳になり、カナダ、フォートエリー競馬場のメイドン(未勝利戦)でデビュー戦をむかえ、初戦を7馬身差で飾ると、その後2ヶ月の間に5戦3勝2着1回と戦跡を重ねていく。そしてカナダ最大の2歳戦であるコロネーションフューチュリティを6馬身差で圧勝すると、続く3戦も圧勝しカナダ2歳チャンピオンに輝いた。この年9戦7勝。
1964年、3歳になりノーザンダンサー陣営は戦いの場をアメリカに移す。初戦の一般競走こそ3着に敗れたが、その後は連勝を重ねフロリダダービー、ブルーグラスステークスなどのステップレースを制し、アメリカ国内でも有力馬となっていった。2番人気で迎えた本番ケンタッキーダービーは、直線抜け出すと猛烈な勢いで追い込んでくる本命馬ヒルライズ(hillize)をクビ差抑えて勝利、この時のタイム2分フラットは当時のレコードで、今でもセクレタリアトとモナーコスに次ぐ素晴らしいタイムである。続くプリークネスステークスを余裕の走りで制し二冠達成。しかし、クラシック三冠のかかったベルモントステークスではクアドラングル(Quadrangle)の3着に敗れ三冠はならなかった。次走カナダのクラシック競走、クイーンズプレート(カナダダービー)が引退レースとなり、ここは7馬身半で圧勝。この年カナダ年度代表馬、アメリカ最優秀3歳牡馬を受賞した。
[編集] 種牡馬成績
ノーザンダンサーが生まれた1961年は、シンザンやレイズアネイティヴが生まれた年でもある。当時の競馬界はナスルーラ系、セントサイモン系、ハイペリオン系等が勢力を競っていた状態で絶対的な主流は存在せず、ノーザンダンサーの父ニアークティックも主流の一角ネアルコ系の枝の一つにすぎなかった。
引退後種牡馬となったノーザンダンサーは、初めカナダで繋用されるというハンデをものともせず、いきなり2年目の産駒から、イギリスクラシック三冠馬となるニジンスキーを送り出し、その後も英愛エプソムダービー優勝馬ザミンストレル等146頭のステークス競走優勝馬を輩出した。アメリカに移動した後の最盛期(1985年)には、種付け料は公示価格で95万ドル(当時のレートで2億円以上、実際にはこれ以上の価格で取引されたとされる)に達し、産駒は天文学的な価格で取引されるノーザンダンサーバブルさえ起こっていた。一例を挙げると、ストームバードは1歳時に100万ドルで取引され、引退時には3000万ドルという破格のシンジケートが組まれて種牡馬となっている。それゆえに、ノーザンダンサーの血の1滴は1カラットのダイヤモンドよりも価値があるとさえ言われた。後継種牡馬もニジンスキーやサドラーズウェルズを初め大成功を収め、9頭の産駒が各国のリーディングサイヤーに輝いた。その後ノーザンダンサー系は急速に拡大し、わずか20年で主流になったため、「セントサイモンの悲劇」の再現が懸念されたが、現在そこまでの事態には至っていない。それでもあまりに多くの活躍馬が出過ぎたためにノーザンダンサーの血を持たない馬が珍しくなり、ノーザンダンサー系の種牡馬が活躍できない要因にもなっている(ノーザンダンサーの2×4という濃いインブリードを持つラムタラがその典型である)。日本で種牡馬として大成功を収めたサンデーサイレンスはノーザンダンサーの血を持っておらず、それが成功の理由の一つと思われる。子孫についてはノーザンダンサー系を参照されたい。
- 1970,77,83,84年英リーディングサイアー、1971,77年米リーディングサイアー
- 1991年米リーディングブルードメアサイアー
- 産駒数:635頭
- 出走産駒:511頭
- 勝ち上がり:389頭
- ステークスウイナー:147頭
[編集] 主な産駒
詳しくはノーザンダンサー系を参照
1967年生
1969年生
- リファール(Lyphard)12戦6勝、フォレ賞、ジャック・ル・マロワ賞。仏1978,79、米1986年リーディングサイアー
1971年生
1974年生
1974年生
- ビーマイゲスト(Be My Guest)7戦4勝。英1982年リーディングサイアー
1976年生
- ファビラスダンサー(Fabulous Dancer)8戦4勝。仏1992年リーディングサイアー
1977年生
1978年生
- ストームバード(Storm Bird)6戦5勝、英愛最優秀2歳馬
1980年生
- シャリーフダンサー(Shareef Dancer)3勝、愛ダービー
- ロモンド(Lomond)7戦3勝、英2000ギニー
1981年生
- サドラーズウェルズ(Sadler's Wells)11戦6勝、愛2000ギニー、エクリプスステークス。仏1990,93,94,英92-2004年リーディングサイアー
- セクレト(Secreto)4戦3勝、英ダービー
- エルグランセニョール(El Gran Senor)8戦7勝、英2000ギニー、愛ダービー
1982年生
- フェアリーキング(Fairy King)1戦0勝。1996年仏リーディングサイアー
- ノーザントリック(Northern Trick)6戦4勝、ディアヌ賞
1983年生
- ワッスルタッチ (Wassl Touch) 6戦3勝
[編集] 血統表
ノーザンダンサーの血統 (ネアルコ系/Gainsborough4×5=9.38%) | |||
父
Nearctic 1954 黒鹿毛 カナダ |
Nearco 1935 黒鹿毛 イタリア |
Pharos | Phalaris |
Scapa Flow | |||
Nogara | Havresac | ||
Catnip | |||
Lady Angela 1944 栗毛 アイルランド |
Hyperion | Gainsborough | |
Selene | |||
Sister Sarah | Abbots Trace | ||
Sarita | |||
母
Natalma 1957 鹿毛 アメリカ |
Native Dancer 1950 芦毛 アメリカ |
Polynesian | Unbreakable |
Black Polly | |||
Geisha | Discovery | ||
Miyako | |||
Almahmoud 1947 栗毛 アメリカ |
Mahmoud | Blenheim | |
Mah Mahal | |||
Arbitrator | Peace Chance | ||
Mother Goose F-No.2-d |
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