ネイティヴダンサー
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性別 | 牡 |
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毛色 | 芦毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1950年3月27日 |
死没 | 1967年11月16日 |
父 | ポリネシアン |
母 | ゲイシャ |
生産 | アルフレッド・G・ヴァンダービルド |
生国 | アメリカ |
馬主 | アルフレッド・G・ヴァンダービルド |
調教師 | ウィリアム・C・ウインフレイ(米) |
競走成績 | 22戦21勝 |
獲得賞金 | 785,240ドル |
ネイティヴダンサー(Native Dancer)は、アメリカの競走馬である。22戦21勝で、唯一の敗戦がケンタッキーダービー2着のみという素晴らしい戦績を残した。主な勝ち鞍はプリークネスステークス、ベルモントステークス。いつの間にか先頭に立っているレースぶりと芦毛の馬体が当時のモノクロテレビで映えたためグレイゴースト(灰色の幽霊)の愛称で呼ばれた。1952,54年度の米年度代表馬に選出。
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[編集] 戦績
ネイティヴダンサーは2歳戦から活躍し、4月19日にニューヨークで初勝利を飾ると、続くユースフルステークスでは6馬身差で早くも重賞制覇を達成した。その後ソエのためしばらく休養したが、8月のサラトガでは1か月の間に4戦を消費し、ホープフルステークスを含む4戦全てで楽勝、ネイティヴダンサーはアメリカでもかなり知られた存在になっていく。この年はさらにフューチュリティステークスをレコードで、そしてイーストヴューステークスも勝利すると、同年の年度代表馬に選ばれた。それまでの2歳戦の賞金レコードを塗り替え、全米フリーハンデでも2歳としては過去最高にランクされている。
このころにはすでにテレビ中継が始まっており、鹿毛や栗毛では区別がつきにくかったモノクロテレビでもネイティヴダンサーの芦毛の馬体はよく映え、目立つ灰色の馬体が確実に1着でゴールするのでグレイゴースト(灰色の幽霊)と呼ばれ人気を博していた。ちなみに21戦全て1番人気である。
冬を暖かいカリフォルニアで過ごし、春になるとゴーサムステークスとウッドメモリアルステークスを叩いてケンタッキーダービーに向かった。このレースはネイティヴダンサーの唯一の敗戦として知られている。楽なペースで逃げたダークスターをネイティヴダンサーは不利もあり捕らえきれず2着に敗れた。このレースでクラシック三冠を逃すことになったが、プリークネスステークスとベルモントステークスはジャミーケイに僅差ながら勝利し二冠を達成した。
三冠競走は苦戦したもののネイティヴダンサーはこの後も走り続け、8月のアメリカンダービーまでさらに4戦を走り、実に4ヶ月で10戦を消化した。三冠競走の他には、真夏のダービーと呼ばれるトラヴァーズステークスなどに勝っている。
捻挫のためこの年は休養に当てたが、4歳の5月にネイティヴダンサーは再びレースに戻ってきた。初戦を快勝すると、メトロポリタンハンデキャップも制し、結果的に引退レースとなったオネオンタハンデキャップに出走した。このレースはネイティヴダンサーのあまりの人気に馬券が発売されなかった。法律で単勝の配当は1.05倍以上と決められており、馬券を発行すると主催者側が赤字になることが予想されたのである。結局このレースも9馬身差で圧勝した。ヴァンダービルドはネイティヴダンサーを凱旋門賞に挑戦させるプランも持っていたようだが、種牡馬入りを優先し捻挫を機会に引退を決定した。この年は2歳時に続く年度代表馬に選出されている。
[編集] 引退後
引退後はサガモア牧場で種牡馬入りした。産駒にはカウアイキング、フラダンサーなどがいるが期待ほどの成績は残せなかったといわれている。しかし4戦のみで引退したレイズアネイティヴが種牡馬として成功し、その子ミスタープロスペクターがネイティヴダンサーの直系子孫を大きく発展させた。(ミスタープロスペクター系を参照されたい。)またノーザンダンサーの母の父としても知られている。
ネイティヴダンサーの子孫は隔世遺伝でとんでもない名馬を出す傾向がある。例えば、直系ではダンシングキャップからオグリキャップ、ダンキューピッドからシーバード、レイズアネイティヴからミスタープロスペクターやアリダーといった具合である。また、自身が唯一勝てなかったケンタッキーダービーは、近年特にネイティヴダンサー直系が活躍する傾向にある。
[編集] 代表産駒
- カウアイキング(Kauai King) ケンタッキーダービー、プリークネスステークス
- ネイティヴストリート(Native Street) ケンタッキーオークス
- フラダンサー(Hula Dancer) 英1000ギニー、チャンピオンステークス
- レイズアネイティヴ(Raise a Native)
[編集] 主なエピソード
- 祖母ミヤコの名は日本人からとられている。母ゲイシャはそこから日本関係の名前を連想したと思われる。自身の馬名も父ポリネシアン(ポリネシア人)と母ゲイシャ(芸者)から民族舞踏家を意味するネイティヴダンサーと名づけられた。
- アメリカンダミー疑惑 - アメリカンダミーとはサラブレッドとクォーターホースの混血馬でサラブレッドと偽って登録された馬のこと。クォーターホースの血が入ることで短距離において速力の向上が見込まれる。ネイティヴダンサーも短距離が得意で繋が太く短いといったクォーターホースの特徴をもっているためアメリカンダミーとする説もある。ただし繋が短く見える写真は1枚だけで、蹄が草に隠れていたからそう見えるだけ。短距離を得意とはしていたが2400mのベルモントステークスも勝っているのだからアメリカンダミーでは無いとする反論がある。
[編集] 血統表
ネイティヴダンサーの血統 (ファラリス系/Polymelus4×5=9.38%) | |||
父
Polynesian 1942 鹿毛 アメリカ |
Unbreakable 1935 黒鹿毛 |
Sickle | Phalaris |
Selene | |||
Blue Grass | Prince Palatine | ||
Hour Glass | |||
Black Polly 1936 鹿毛 |
Polymelian | Polymelus | |
Pasquita | |||
Black Queen | Pompey | ||
Black Maria | |||
母
Geisha 1943 芦毛 |
Discovery 1931 栗毛 アメリカ |
Display | Fair Play |
Cicuta | |||
Ariadne | Light Brigade | ||
Adrienne | |||
Miyako 1930 芦毛 |
John P.Grier | Whisk Broom | |
Wonder | |||
La Chica | Sweep | ||
La Grisette F-No.5 |
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