ハインリヒ6世 (神聖ローマ皇帝)
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ハインリヒ6世(Heinrich VI, 1165年11月 - 1197年9月28日)は、ホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝(在位:1190年 - 1197年)。
フリードリヒ1世の子で、父のイタリア政策の一環としてシチリア王グリエルモ2世の王女コスタンツァ(コンスタンツェ)と政略結婚した。その後間もなく父とグリエルモ2世が相次いで没したため、皇位を継いで即位するとともに、妻との縁戚関係を理由にシチリア王位も狙って、新しくシチリア王となったタンクレーディと対立する。このため、ハインリヒ6世はシチリア側を支持するイングランド王リチャード1世やローマ教皇をも敵に回すことになり、一時、絶体絶命の窮地に追い込まれた。しかしハインリヒは、フランス王フィリップ2世と手を結び、十字軍遠征から帰国途上にあったリチャード1世を捕らえ、さらには1194年にタンクレーディも病死したため、この窮地から見事に脱して反攻を開始し、遂にはシチリアを征服してしまったのである。そして、東ローマ帝国に強権を発して圧力をかけ、その征服の野望を抱いたが、1197年、突如として急死してしまった。
神聖ローマ皇帝の皇帝権力は弱体化の一方にあったが、このハインリヒ6世の治世期には権力が強大化し、安定した政権基盤が築かれるとともに、代々の皇帝が失敗しつづけたイタリア政策も成功している。ハインリヒ6世は名君と言えるであろうが、もしかするとそれを疎まれたドイツ諸侯に毒殺されたのかもしれないという説もある。
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