ハーバート・ヘンリー・アスキス
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オックスフォード及アスキス伯ハーバート・ヘンリー・アスキス(Herbert Henry Asquith, Earl of Oxford and Asquith 1852年9月12日 - 1928年2月15日)は、イギリスの政治家。自由党総裁、開戦時の首相。
- 1908年に首相に就任した。
- 在任中、マルコーニ事件(※タイタニック号遭難事件で遭難信号を発信した通信技術が脚光を浴び、その大手企業マルコーニ社の株価が急騰した。その際、大蔵大臣ロイド・ジョージ、海軍大臣チャーチルら閣僚が、未公開時に譲渡された同社株を高値で売り抜けたことが発覚し、糾弾された)等、スキャンダルがあったものの、第一次世界大戦勃発で疑惑追及は尻すぼみとなる。
- しかし、ガリポリの戦いの失敗を期に、責任論が噴出、1916年12月、不本意な政争により首班をデビッド・ロイド・ジョージに譲る。
[編集] 第一次政府 1908年4月 - 1915年5月
- オックスフォード及アスキス伯ハーバート・ヘンリー・アスキス - 首相 兼 下院院内総務
- 初世ローレバーン伯ロバート・リード - 大法官
- 2世トィードマウス男エドワード・マーチバンクス - 枢密院議長
- 初世リポン侯ジョージ・ロビンソン - 王璽尚書 兼 上院院内総務
- 初世ドワィフォー伯デビッド・ロイド・ジョージ - 大蔵大臣
- 初世グラッドストン子ハーバート・ジョン・グラッドストン - 内務大臣
- 初世ファラドン子エドワード・グレイ - 外務大臣
- 初世クルー侯ロバート・クルー=ミルズ - 植民地大臣
- 初世ホールデーン子リチャード・バードン・ホールデーン - 陸軍大臣
- 初世ブラックバーン子ジョン・モーリー - インド大臣
- レジナルド・マッケナ - アドミラルティー
- 初世ウォールヴァーハントン子ヘンリー・ハートリー・ファウラー - ランカスター公領大臣
- ウィンストン・レオナルド・スペンサー=チャーチル - 通商産業大臣
- 初世ペントランド男ジョン・シンクレア - スコットランド大臣
- オーガスティン・ビレル - アイルランド大臣長
- ヨハネ・バーンズ - 地方行政院理事長
- 初世リンカンシア侯ロバート・ウィン・キャリントン - 農漁食糧大臣
- 初世ドクスフォアード子ウォルター・ランキィマン - 教育技術大臣
- 初世バクストン伯シドニー・バクストン - 郵政長官
- 初世ハーコート子ルイス・ヴァーノン・ハーコート - 土木工事第一コミッショナー
[編集] 変遷
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[編集] 第二次政府 1915年5月 - 1916年12月
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