バイソン木村
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バイソン木村(ばいそんきむら、1967年3月9日 - )本名:木村 伸子は、日本の元女子プロレスラー。身長170cm、体重75kg、血液型A型。東京都目黒区出身。
[編集] 経歴・戦歴
1986年に高校を卒業後、半年間OLを経験した後、全日本女子プロレスのオーデションを受け合格。同期にアジャ・コング・KAORU・神谷美織・工藤めぐみ・コンバット豊田・高橋美華らがおり、俗に『61年組』と呼ばれている。
すでに高校を卒業し社会人であったと言う事もあり、本来なら当時の全女のオーデションへの受験資格は無かったが、3月生まれで、オーデション開催時はまだ18歳だった為、形の上では応募資格があり、盲点をついた受験であった。
1986年9月10日、茨城・古川市立体育館において、対大橋順子戦でデビュー戦を行い、その後、ダンプ松本率いる『極悪同盟』に加入、ヒールレスラーとなる。
ダンプ引退後、ブル中野が結成した『獄門党』に参加、1年先輩であるグリズリー岩本と共にタッグチーム『アウトサイダース』を結成し、タッグチームとしても活躍する。
その後、ユニバーサル・プロレスの旗揚げに全日本女子プロレスがリングの貸し出しや選手の派遣等で協力した際、全女から派遣され試合を行った事で、それまで女子プロレスを見た事が無かった男性ファンから注目を浴びるようになる。
同じくユニバーサルに出場した事で、男性ファンから人気が出ていたアジャと組みブル&グリズリーとの獄門党対決を行い勝利するが、これを機に獄門党を離脱し、ヒールながらもワンレガースタイルのコスチュームにソバージュヘアーを振り乱してのケサ斬りチョップでファンの人気も高く、アジャと組み、ブル中野&井上京子との髪切りマッチで負けて坊主になった時にはファンに衝撃を与えた。
髪が伸びてショートヘアになったバイソンは精悍さを増し、美貌とよく鍛えられた身体、印象的なコスチュームと相まってさらに人気は上昇した。自身とアジャの他、同期の神谷と高橋も共に『ジャングル・ジャック』に加入。WWWA世界タッグやオールパシフィック王座に就くものの、1991年にアジャとのシングルマッチを行い、負傷した事をきっかけに長期欠場した後、引退する。
その後、全女が東京ドームで興行を行った際、OGとしてのエキビジションマッチに出場した後、ジャガー横田・ライオネス飛鳥と共に『雷神隊(ライジンーン・アレイ)』を結成し、本格的にカムバックするが、ブランクから試合勘を取り戻せず低迷、不本意な試合内容が多くなってしまう(この頃から、全女の経営難は水面下で噴出し始めていた為、本人が望んでも、所属選手以外の選手に対するカードは中々組まれなかった事も要因となっていた)。
その後『吉本女子プロレスJd'(現:JDスター女子プロレス)』が旗揚げされるに伴い、全女の了承を得た上で移籍。黎明期にはエースとして活躍するが、エースとしての重圧からか、不本意な試合も多く、これらの理由からの悩みもあり引退を決意する。
ジャガー相手に引退試合を行う予定だったが、引退直前の試合で負傷し試合が不可能となり、セレモニーのみで引退している(一度目の引退でもセレモニーのみで試合は行っていない)。
真面目な性格で練習熱心であったが、それ故に思い詰める事があり、「私が!」といった自己顕示が無かった事がレスラーとしての欠点であった。だが、その真面目さや試合以外で見せるファンに対しての応対の良さから、人気があった。
当初ワンレガー・スタイルのコスチュームを使用したのは膝の故障を保護する為にガチガチに巻いたテーピングを隠す為であった。 ヒールレスラーとして愛用した凶器はトンファーである。
[編集] 得意技
- ケサ斬りチョップ
- 変形バックドロップ
- グランド・クロス
- ダイビング・ヘッドバット
- STF
- トルネード・スタープレス
- ムーンサルト・プレス
- ブリザード・スープレックス
[編集] タイトル歴
- 全日本タッグ
- WWWAタッグ
- オールパシフィック
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