バハラーム4世
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バハラーム4世(Bahram IV、生年不詳-399年 在位388年-399年)はササン朝ペルシアの第12代目の君主である。登極する前はケルマーンの王であった。
ローマ同様、フン族ら遊牧民の進入に苦しんだことは分かっているが詳細な記録に乏しく、はっきりしていない。アルダシール1世が東方のスィスターン地方からの防衛拠点としてケルマーン地方に「ウェフ=アルダフシール」という要塞を築いている。遊牧民対策に功を挙げて推挙されたとも考えられるが本来登極するには重要な王ではなかった。少なくともあっさり君主となったとは考えにくい。
バハラーム四世はアルメニアへの干渉を強め、クースロ国王を幽閉、自分の兄弟であるバハラーム・シャープールを王位に就けた。テオドシウスは援助要請を384年の平和条約から退け、干渉はしなかった。
399年反逆者によって暗殺される。
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