パウロ・ワンチョペ
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パウロ・ワンチョペ(Paulo César Wanchope Watson, 1976年7月31日 - )はコスタリカ出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。
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[編集] プレースタイル
身長を生かしたプレーが特徴のコスタリカ代表のエースストライカー。長い足でボールを受けしっかりとキープし、そのまま俊足を生かして相手を抜き去り得点するというパターンを得意とする。
[編集] 経歴
父、叔父、兄弟もサッカー選手という環境に生まれ、自然にサッカーを始め18歳で地元チームからプロデビューを果たす。1997年にFAプレミアリーグへと活躍の場を移し、3チームでプレーする。その後マラガ、カタールのアル・ガラファ、アルゼンチンのロサリオ・セントラルと移籍を繰り返し、2007年はJリーグのFC東京でプレーすることが決定した。元ブラジルオリンピック代表のルーカスや、平山相太と共にFC東京の祝杯を目指して起動する。
だが、移籍後はFC東京のサッカーには馴染んでいるとは言い難く、未だに実力は未知数であり、2007年3月10日のJ1第2節で途中出場したものの、精彩を欠いていた。これからが期待される。
代表としては2001 コパ・アメリカに招待チームとして参加し南米の並み居る強豪の中でベスト8という成績に貢献した。その後2002 FIFAワールドカップにも出場したがグループステージで敗退した。2006 FIFAワールドカップの開幕戦では、開催国の強豪ドイツに敗れはしたものの2得点と一人気を吐いた。コスタリカ代表の通算最多得点記録を所持している。
[編集] エピソード
- 10代の時はバスケットボール選手でもあった。1993年にはコスタリカ代表として中央アメリカのバスケットボール・トーナメントに出場、バスケットボールで奨学金を得て米国に留学したほどであった。帰国後、サッカーでコスタリカのユース代表に選出されたことを聞き、2種目のスポーツ選択で悩んだ末、ワンチョペはサッカーを選択した。
- 2006 FIFAワールドカップの開幕戦でドイツを相手に2得点を決めたことから、当日のゲストであったTOKIOの国分太一に「ツーチョペ」と呼ばれていた。
[編集] 所属クラブ
- CSエレディアーノ(コスタリカ)1994年 - 1996年
- ダービー・カウンティ(イングランド)1997年3月 - 1999年6月
- ウェストハム・ユナイテッド(イングランド)1999年7月 - 2000年7月
- マンチェスター・シティ(イングランド)2000年8月 - 2004年7月
- マラガCF(スペイン)2004年8月 - 2005年8月
- アル・ガラファ(カタール)2005年9月 - 2006年1月
- CSエレディアーノ(コスタリカ)2006年2月 - 2006年3月
- ロサリオ・セントラル(アルゼンチン)2006年4月 - 2006年12月
- FC東京(日本)2007年1月 -
[編集] 個人成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
J・J1 | J2 | ||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
2007年 | FC東京 | J1 | 10 | - | |||||||
通算 | - |
FC東京 - 2007 |
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1 土肥洋一 | 2 茂庭照幸 | 3 エバウド | 4 八田康介 | 6 今野泰幸 | 7 浅利悟 | 8 藤山竜仁 | 9 ルーカス | 10 ワンチョペ | 13 平山相太 | 14 馬場憂太 | 15 鈴木規郎 | 16 池上礼一 | 17 金沢浄 | 18 石川直宏 | 19 伊野波雅彦 | 20 川口信男 | 22 塩田仁史 | 23 梶山陽平 | 24 赤嶺真吾 | 25 徳永悠平 | 26 小山泰志 | 27 栗澤僚一 | 28 鈴木健児 | 29 吉本一謙 | 30 森村昂太 | 31 阿部伸行 | 33 小澤竜己 | 34 権田修一 | 35 リチェーリ | 37 福西崇史 | 監督 原博実 | クラブ | |
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