アルゼンチン
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- アルゼンチン共和国
- República Argentina
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(国旗) (国章) - 国の標語 : En Unión y Libertad
(スペイン語: 統一と自由) - 国歌 : アルゼンチンの国歌
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公用語 スペイン語 首都 ブエノスアイレス 最大の都市 ブエノスアイレス 大統領 ネストル・キルチネル 首相 なし 面積
- 総計
- 水面積率世界第8位
2,766,890km²
1.1%人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第31位
39,144,753人
14人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
5,073億アルゼンチン・ペソ ($)GDP(MER)
- 合計(2005年)世界第36位
1721億ドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第23位
4,327億ドル
11,200ドル独立 スペインより
1816年7月9日通貨 アルゼンチン・ペソ ($)(ARS) 時間帯 UTC -3(DST: -3) ccTLD AR 国際電話番号 54 - 註1 : アルゼンチン政府は、他に、南極の1,000,000 km²及びマルビナス諸島の領有を主張している。
アルゼンチン共和国(-きょうわこく)、通称アルゼンチンは、南アメリカの国。西はチリ、北はボリビア、パラグアイ、東側はブラジル、ウルグアイと隣接する。
目次 |
[編集] 国名
正式名称は、República Argentina(スペイン語: レプブリカ・アルヘンティーナ)。通称、Argentina(アルヘンティーナ)。
公式の英語表記は、Argentine Republic(アージェンタイン・リパブリック)。通称、Argentina(アージェンティーナ)。
日本語の表記はアルゼンチン共和国。通称アルゼンチン。他にアルゼンティンとも表記され、漢字で亜尓然丁、亜爾然丁、阿根廷のように表記される。近年では、アルヘンティーナと表記されることも少なくない。
国名は、ラテン語で「銀」を意味するArgentumに因んだ名称である。独立時はラプラタ連合という国名だったが、この元となったラプラタ川 (Río de la Plata)は、スペイン語で「銀の川」を意味する。 国名をラプラタから変えたのはスペインからの圧政を忘れるためである、国名とともに銀もla plataからArgentumに変えた。
[編集] 歴史
詳細はアルゼンチンの歴史を参照
この地の山岳地帯やパンパと呼ばれる草原には、インディオが居住していたと言われる。
- 1516年 スペイン人フアン・ディアス・デ・ソリスがラ・プラタ川河口到着
- 1541年 スペイン人ブエノス・アイレスを建設したが、先住民との抗争によってブエノスアイレスを放棄
- 1573年 スペイン支配確定
- 1580年 ブエノスアイレス再建。本格的な植民地化。
- 18世紀 今日のアルゼンチンと、ボリビア、パラグアイ、ウルグアイを含んだ地域がスペインの副王領に(リオ・デ・ラ・プラタ)として組織化された頃から経済は活気づき、首都ブエノス・アイレスの港は本国との交易によって繁栄した。
- 1810年5月25日 自治移行(革命記念)
- 1816年7月9日 ラプラタ連合の独立を宣言
- 2006年7月9日 独立190年記念式典挙行
- ロサス政権
- 連邦制と経済発展
- 1853年 連邦制の憲法が制定。
- 1862年 アルゼンチン共和国誕生
- 1864年 三国同盟戦争(パラグアイ戦争)
- 1920年代 冷凍船の導入で畜産物輸出が好調。
- 1930年代 世界有数の富裕国に成長するが、一方で浪費がはびこり、都市と地方の貧富格差が拡大した。
- ペロン軍事政権
- 1943年 ホアン・ペロンら軍事政権樹立。
- 1946年 大統領当選。この時すでに二番目の妻エバ・ペロン(エビータ)と結婚している(1952年7月死去)。(エビータは南米では超がつく有名人であり、特にアルゼンチンでは一部の人間が聖女のように崇めている)
- 1951年 中立政策を採りOASより脱退
- 1952年 再選
- 1955年 アランブル将軍のクーデターで追放。アルゼンチン、OAS復帰。
- 1958~1962年、1963~1966年の急進派を除き軍事政権。
- 1973年5月 民政移管後ペロンが復権
- 1974年7月 ホアン・ペロン死去。3番目の妻イザベルが大統領になる。
- 軍事政権
- 1976年3月 イザベル、軍事クーデターによって罷免。ビデラ政権となる。
- 1982年 イギリスが統治していたフォークランド諸島(マルビナス諸島)をめぐって、イギリスとの間にフォークランド紛争が起きる。
- 軍政から民政へ
[編集] 政治
大統領を元首とする共和国であり、首相を長とする内閣、上下二院制の議会を備える。しかし、相次ぐ国軍の反乱等に見られるように、歴史上、『中進国』とされる国々の中では最も政情の安定していない国の一つであり、この政情不安定さは1983年の民政移管後の失政や最近、2001年11月の経済破綻等、一連の経済不安や現在の極度に拡大した貧富格差の元凶とされている。 政党は現在の与党、ペロニスタ党の他、急進党などがある。
- 1946年、大統領に就任したペロンは、工業化、鉄道などの国有化、労働者保護などの政策を推し進めた。また、離婚法を制定したことからカトリック教会との関係も壊れ、1955年の軍部蜂起で亡命した。
- 1962年、1966年と2人の大統領が軍部のクーデターで失脚させられ、軍部が実権を握ったが長続きしなかった。
- 1973年には、ペロンが帰国し、再度大統領に就任した。しかし、病に倒れた。
- 1982年、ガルチェリ大統領は、イギリスが1833年以来の領有を主張しているマルビナス諸島(英語名:フォークランド諸島)を奪還しようと占領し、戦争を始めたが、イギリスの反撃に遭い失敗した。そのためにガルチェリ大統領は失脚した。
- 1983年、大統領選挙と議員選挙が行われ、急進市民連盟のアルフォンシンが、アルゼンチンに民政を回復させた。1989年辞任した。
- 1989年、大統領選挙で正義党(ペロン党)のメネムが当選した。
[編集] 地方行政区分
アルゼンチンは23の州(provincia)と1つの特別区*から成る。 詳細はアルゼンチンの地方行政区画を参照
- ブエノスアイレス* (Capital Federal)
- ブエノスアイレス州 (Buenos Aires)
- カタマルカ州 (Catamarca)
- チャコ州 (Chaco)
- チュブ州 (Chubut)
- コルドバ州 (Córdoba)
- コリエンテス州 (Corrientes)
- エントレリオス州 (Entre Ríos)
- フォルモサ州 (Formosa)
- フフイ州 (Jujuy)
- ラ・パンパ州 (La Pampa)
- ラ・リオハ州 (La Rioja)
- メンドサ州 (Mendoza)
- ミシオネス州 (Misiones)
- ネウケン州 (Neuquén)
- リオネグロ州 (Río Negro)
- サルタ州 (Salta)
- サンフアン州 (San Juan)
- サンルイス州 (San Luis)
- サンタクルス州 (Santa Cruz)
- サンタフェ州 (Santa Fe)
- サンティアゴ・デル・エステロ州 (Santiago del Estero)
- ティエラ・デル・フエゴ州(フエゴ島、南極及び南大西洋諸島、Tierra del Fuego, Antártida e Islas del Atlántico Sur)
- トゥクマン州 (Tucumán)
主要都市
- ブエノスアイレス (1180.2万人 1995年)
- コルドバ Córdoba(約130万)
- ロサリオ Rosario(約116万)
- サン・ミゲル・デ・トゥクマン(都心人口約47万)
- メンドーサ(都心人口約12万)
[編集] 地理
アルゼンチンの国土は、南北に3500km以上の長さに及ぶ。北は亜熱帯に属し、熱帯雨林が形成されている。西に、アンデス山脈、東にはパンパと呼ばれる大草原が広がる。ウルグアイ川とパラナ川に挟まれた地方は、メソポタミア地方でパンパと同じく草原地帯である。南緯40度付近に位置するコロラド川以南をパタゴニア地方と呼び、荒涼たる砂漠が広がっている。
湿潤パンパは年間降水量が750mm以上で、牧牛やアルファルファ(マメ科・栄養があり、土地を豊かにする牧草)・とうもろこしなどを栽培している。半乾燥パンパは年間降水量が550mm以下で乾燥に強い牧羊をしている。移行地帯では小麦(年間降水量が550mm~750mmが丁度良い)の栽培をしている。
[編集] 経済
2回にわたる世界大戦に直接関与せず、各国への農牧産品供給国として利益を得た20世紀初頭には世界有数の富裕国であった。第二次世界大戦後、工業化偏重政策をとるが産業構造の転換に成功せず、次第に経済が低迷。ペロン政権以降顕著になった放漫財政、1960年代以降に頻発する政変、マルビナス(フォークランド)戦争、1988年のハイパーインフレーションによる富裕層の没落、海外脱出が続くなど経済は混迷の度を深めた。
その後、親米・親IMF路線を掲げたメネム政権の新自由主義政策により、1990年代には年率9%にも達する経済成長を遂げるなど、一時的に安定した。しかし、1999年に起きたブラジルのレアル切り下げでペソが相対的に高くなり輸出競争力を喪失、国際収支は悪化した。結果的に通貨危機(通貨ペソの対米ドル「ペッグ制」崩壊)により完全に暗転、2001年には対外債務の返済不履行宣言を発する事態に陥り、経済が破綻。国際的な評価は地に落ちている。
メルコスール加盟国となったことにより、南米諸国との経済交流の活発化による諸外国からの投資の増大に、経済の復活を賭けている。特にブラジル、ベネスエラとは政治面でも関係を深め、ベネスエラからの南米大陸縦断天然ガス輸送管の設立も計画。
キルチネル大統領は、2006年7月9日の「独立190年記念式典」で、「われわれは国際通貨基金(IMF)にチャオ(さよなら)を告げた。」と演説した。IMFの干渉を排除するため百億ドル近い債務を完済した。2000年末の経済破綻直後の失業率24%を、2006年5月までに11.4%にまで改善した。
[編集] 国民
住民はヨーロッパ系が85%、メスティーソおよびインディオなどが15%である。 イタリア系、スペイン系の住民が多い。 このイタリア系統の荒い言葉遣いが現在のアルゼンチン人全体の性格に受け継がれる。そのため、アルゼンチンのスペイン語にはイタリア語の影響が強く見られ、その独特の抑揚から「スペイン語の中でもっともセクシー」との呼び声も高い。 これまで白人国家と言われていたが、例えばディエゴ・マラドーナのように純粋な南欧系と比較すると小柄で、風貌も若干異なる人が少なくないことから、先住民系の血も少なからず受け継がれていることがわかる。
言語はスペイン語が公用語で、その他に英語、イタリア語、ドイツ語、フランス語なども使われている。
[編集] 文化
[編集] 祝祭日
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Nuevo Año | |
移動祝日 | 聖金曜日 | Viernes Santo | |
4月2日¹ | 退役軍人の日およびマルビナス戦争戦没者追悼の日 | Día del Veterano de Guerra y de los Caídos en la Guerra de las Malvinas | マルビナス戦争での死者を追悼する日。 |
5月1日 | メーデー | Día del Trabajador | |
5月25日 | 最初の政府を記念する日(5月革命記念日) | Primer Gobierno Nacional (Revolución de Mayo) | |
6月第3月曜日 | 国旗の日 | Día de la Bandera | |
7月9日 | 独立記念日 | Día de la Independencia | |
8月第3月曜日(8月17日) | サンマルティン将軍の命日 | Muerte del general José de San Martín | |
10月12日¹ | 民族の日 | Día de la Raza | |
12月8日 | 聖母の無原罪の御宿り | Inmaculada Concepción de María | |
12月25日 | クリスマス | Navidad |
注1: もし該当の日が火曜日か水曜日ならばその直前の月曜日、木曜日か金曜日ならばその直後の月曜日に移動する。
[編集] 食文化
日本では殆ど知られていないが、大畜産国として発展の基礎を築いただけあって、肉料理などを中心に充実した食文化の歴史がある。その一例として、多くのイタリア移民が持ち込んだパスタ類や、菓子類等もバラエティに富んでいる。魚は、大きなスーパーや中国人街以外では、メルルーサ(鱈)か鮭くらいしか売っていない。しかし、肉料理は多彩であり特にサーロインステーキ(Bife de Chorizo)、ソーセージや臓物も含んだ焼肉の盛り合わせであるパリージャ(Parrilla)は有名。また、世界有数のワイン生産国である一方、ほとんどを国内消費するため海外にはあまり知られていない。肉料理が多いことから、赤ワインが特に多く、品質も優れている。ヨーロッパではほとんどブレンドにしか用いないマルベック(Malbec)という品種は、アルゼンチンでもっとも味が良いとされている。
[編集] 音楽
世界的に、アルゼンチンタンゴの中心として知られ、他にもサンバ、チャカレーラなどの様々なフォルクローレ(民謡)が存在する。タンゴのリズムはヨーロッパに持ち込まれ、コンチネンタルタンゴにもなった。それだけがこの国の音楽の全てではなく、ポップスやクラシックの分野でも、ピアニストのマルタ・アルゲリッチ、イングリット・フリッター等、時折注目すべき人物を輩出することもある。1960年代生まれからは、作曲や指揮の領域でも傑出した人材を輩出している。
また、アルゼンチンが発祥となった音楽ではないが、2002年には日本のロックバンド・THE BOOMの「島唄」がアルフレッド・カセーロに日本語のままカバーされ大ヒットしたことは記憶に新しい。彼の歌う島唄はその年に開催された日韓ワールドカップのアルゼンチンの応援歌としても採用された。
[編集] スポーツ
サッカーが盛んで、ブラジルと並ぶ南米の強豪として知られている。ディエゴ・マラドーナを筆頭にサッカー史上に残る名選手を多く輩出。代表チームはFIFAワールドカップの常連であり、優勝2回、準優勝2回を誇る。1978年には、FIFAワールドカップ・アルゼンチン大会が行われた。国内リーグもリバープレート、ボカ・ジュニアーズなどの名門クラブがしのぎを削っている。
プレイヤー(一部)
- FW
- MF
- DF
- GK
サッカー以外では、テニスが有名で、テニスを国技と称するスウェーデンと並んで、70年代から現在に至るまで世界のテニス界をリードする存在である。70年代後半のギレルモ・ヴィラスをはじめ、男女問わず数多の名選手を輩出しており、2003年の全仏オープンテニスにおいては史上初のアルゼンチン勢同士の決勝戦が行われている。最近も、アルゼンチン勢のテニスの躍進は凄く、クレー(赤土)コート以外でも、好成績を残す選手が続出している。
また、ラグビーはロス・プーマスの愛称で親しまれているナショナル・チーム、アルゼンチン代表が強豪国を破る実力をつけてきている。伝統的に屈強のフォワードと意外性のあるバックスの選手を輩出している。1999年の第4回ワールドカップ(W杯)ではベスト8に進出、スタンドオフのケサダが安定したキックで得点王に輝いた。 また、ファン=マルティン・エルナンデス、イグナシオ・コルレト、アウガスティン・ピジョットらが非常に人気選手であり、彼らはフランスの強豪スタッド・フランセでプレイ中。
富裕層を中心にモータースポーツ(F1草創期の世界チャンピオン、ファン・マヌエル・ファンジオやカルロス・ロイテマンなど多数のレーシングドライバーを輩出)も人気がある。
バスケットボールも第1回世界選手権の開催国という事もあり人気が高く、エマニュエル・ジノビリ、ファブリシオ・オベルト、アンドレ・ノシオーニらNBAプレイヤーも輩出している。また、アテネ五輪では金メダルを獲得している。
[編集] 軍事
詳細はアルゼンチンの軍事を参照
- 国防予算 : 38億ドル(2000年)
- 兵員 : 7万1100人(2000年)
- 陸軍
- 4万1400人。軍団3。空挺旅団1、機械化旅団1、など。TAM200両、軽戦車150両。地対空ミサイルはタイガーキャットなど。
- 空軍
- 1万2500人。航空旅団8など。作戦機133機、武装ヘリ27機、戦闘機はミラージュ3シリーズ、A-4スカイホークなど。
- 海軍
- 1万7200人。8基地。潜水艦3隻、駆逐艦6隻、フリゲート7隻、航空隊作戦機21機、武装ヘリ14機、フランス製シュペルエタンダール11機、エグゾセ空対艦ミサイルなど。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 政府/官庁
- 在日アルゼンチン共和国大使館 - 日本語とスペイン語
- アルゼンチン大統領官邸 - スペイン語
[編集] その他
- 世界の国々 > アメリカ
-
北米: アメリカ合衆国 | カナダ 中米: エルサルバドル | グアテマラ | コスタリカ | ニカラグア | パナマ | ベリーズ | ホンジュラス | メキシコ カリブ: アンティグア・バーブーダ | キューバ | グレナダ | ジャマイカ | セントクリストファー・ネイビス | セントビンセント・グレナディーン | セントルシア | ドミニカ共和国 | ドミニカ国 | トリニダード・トバゴ | ハイチ | バハマ | バルバドス 南米: アルゼンチン | ウルグアイ | エクアドル | ガイアナ | コロンビア | スリナム | チリ | パラグアイ | ブラジル | ベネズエラ | ペルー | ボリビア
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