ヒルデスハイムの聖マリー大聖堂と聖ミカエル教会
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ヒルデスハイムの聖マリー大聖堂と聖ミカエル教会 (ドイツ) |
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聖ミカエル教会 | |
(英名) | St Mary's Cathedral and St Michael's Church at Hildesheim |
(仏名) | Cathédrale Sainte-Marie et église Saint-Michel d'Hildesheim |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 文化遺産(i) (ii) (iii) |
登録年 | 1985年 |
拡張年 | |
備考 | |
公式サイト | ユネスコ本部(英語) |
地図 | |
ヒルデスハイム(Hildesheim)はハノーファーの南、電車で30分ほどの中規模の街である。 ここに世界遺産に登録されたヒルデスハイムの聖マリー大聖堂と聖ミカエル教会がある。
目次 |
[編集] 聖マリー大聖堂
聖マリー大聖堂は、ロマネスク様式で1010年から1020年にかけて建設された。 2つの後陣を伴う対称形となっており、 これは古サクソニー時代(en:Old Saxony)のオトニック・ロマネスク様式(en:Ottonic Romanesque architecture)の特徴である。
11世紀から14世紀にかけて拡張されたが、1945年の空襲で完全に破壊された。戦後、1950年から1960年の間に再建されたが、優美な内装は失われたままである。
大聖堂はその多くの収蔵品で有名である。多くは11世紀から18世紀のものであるが、特に11世紀、12世紀頃の工芸品が豊富で、この時期の工芸品のコレクションとしてもヨーロッパ随一であると評価されている。 数多くの金銀製品、宝飾品があり、11世紀から12世紀にかけてこの聖マリー大聖堂が北ドイツにおける重要な宗教施設であったことが伺える。 主なものを揚げる。
- 旧約聖書とキリストの物語をレリーフにした青銅製の扉。1015年頃。
- キリストの物語をレリーフにした青銅製のコラム。1020年頃。
- 円環蜀台。11世紀。
- 聖ゴーデハルト(St Godehard)の石棺。
- 聖エピファニウスの祠。(St. Epiphanius' Shrine)
大聖堂には中庭があり、1321年に建造されたゴシック様式のアンネのチャペルがある。 大聖堂の後陣の中庭側の壁には、樹齢1000年のバラが茂っている。このバラはヒルデスハイムの繁栄を象徴していると信じられており、伝説によるとこのバラが繁茂するかぎりヒルデスハイムは繁栄するという。 1945年にこの大聖堂が爆撃されたときもバラの根は残り、現在も毎年花を咲かせている。
大聖堂は現地では単にドム(Dom)と呼ばれている。 英語でカテドラル(大聖堂)と言ってもほとんど理解されない。
一部英語版en:St. Mary's Cathedral, Hildesheimを翻訳。著者en:user:81.203.43.63ほか。
[編集] 聖ミカエル教会
[編集] 沿革
聖ミカエル教会はヒルデスハイム中央駅から歩いて15分くらいの小高い丘の上に建っている。 この教会は、ベネディクト派の教会として、ヒルデスハイムの司教ベルンバルト(993-1022)により、1010年から1020年にかけて建設された。
ベルンバルト司教は大天使ミカエル(死亡者を天国へ運ぶ死のキリスト教の天使)に深く傾倒していたので、この教会に大天使ミカエルの名をとって名づけた。 ベルンバルト司教は1022年に亡くなったため、教会の建設は途中で頓挫したが、11年後、ベルンバルトの後継者ゴーデハルトがこの教会を完成させた。ベルンバルト司教の遺骸はこの教会の地下に埋葬されている。
宗教改革ではヒルデスハイムはプロテスタント側に付いたため、聖ミカエル教会もプロテスタントに改宗された。しかし修道士とカトリック教会は、ベネディクト派の修道院はそれが非宗教化する1803年まで、聖ミカエル教会の地下室(クリプト)を使用した。そのため、聖ミカエル教会のクリプトは今日までカトリックの様式を保っている。
聖ミカエル教会は第二次世界大戦の間に空襲で爆撃された、しかし、1950年から再建が開始され、1957年に完了する。1985年、ヒルデスハイムはこの聖ミカエル教会と大聖堂、樹齢1000年のバラの木とともにユネスコ世界遺産に登録された。 なお、ミカエルはドイツ語の発音ではミヒャエル、英語ではマイケルとなる。
[編集] ロマネスク様式
聖ミカエル教会は、早期ロマネスク様式(Ottonic style)の重要な教会のうちの1つである。2つの袖廊をともなった2つのクワイヤ(聖歌台)を持つバシリカ聖堂がある。4つの角にはそれぞれ尖塔が立っている。西のクワイアは回廓とクリプトによって重要な機能を担っている。
建物全体の設計は幾何学的な概念に基づいている。建物全体は正方形であり、回廊、聖堂、クワイヤ、尖塔の高さや寸法は、それぞれ1:2の比率になるように設計されている。 また、司教ベルンバルトは本堂の柱をNiedersächsischer Stützenwechselスタイルで飾った。四角い柱と丸いアーチが交互に現れる。壁には通風と採光を兼ねたアーチ・ウインドウがある。(少しイスラム調の装飾だが、イスラム文化とは直接は関係ないと思われる。)
[編集] 天井画
教会本堂の天井には13世紀に書かれた天井画が残されている。 クワイアと回廊に描かれたこの天井画(1230年頃)は、聖ミカエル教会で最も重要な見所であり、イエス・キリストの系統樹が表されている。 ドイツでは国立美術館クラスでも14世紀より古い絵画はめったに所有されておらず、この時代のこのような巨大な絵画は例外的で世界遺産指定の理由の一つとなった。第二次世界大戦中は、この天井画の書かれた天井板は外され、安全な場所に保管されていた。建物自体は爆撃を受けており、天井画以外の装飾品はほとんど失われている。
[編集] ヒルデスハイム
メジャーなガイドブックには書かれていない街だが、きれいな旧市街がある。 北ドイツ特有の木骨レンガ構造の美しい建物が並ぶ。 世界遺産が二つもあり、その他にも美しい教会や中世の城壁などが残されている。 ヒルデスハイムはハノーファーとゲッティンゲンを結ぶ幹線上にある大きな街なので、交通の便は良い。
英語版en:St. Michael's Church, Hildesheimを一部翻訳、参考。著者en:user: 81.203.43.63ほか。
[編集] 登録基準
この世界遺産は、世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの。
- (ii) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠となるもの。
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