ビッグマウス
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BIG MOUTH(ビッグマウス)は、上井文彦率いる個人事務所。プロレス興行を主としている。
かつての関連会社であり、プロレス団体であるビッグマウス・ラウドに関しても、この項目で述べる。
なお、現在上井氏が行っている興行はUWAI STATIONの項目で述べている。
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[編集] ビッグマウス概要
2004年10月、長年新日本プロレスで執行役員を務めた上井が新日本を退社。原因は草間政一社長との対立だと言われている。そして、同年11月、「本当のストロングスタイル」(公式Webサイトでは(「真の~」と表記)を作りたい、という上井の信念から「ビッグマウス」を立ち上げた。
ビッグマウスには怪我からの長期離脱もあり、新日本との契約を満了していた村上和成と、新日本のホープと言われていた「上井の秘蔵っ子」柴田勝頼が移籍。また、後の目標として上井は、それまでK-1と武藤敬司が行っていた「WRESTLE-1」の名を使い、団体の枠を越えたプロレストーナメントを行うことを発表した。
2005年8月4日、「上井さんのご祝儀興行」(前田日明の発言)であるWRESTLE-1一回戦を両国国技館で開催。全日本プロレス、NOAHなどの団体が協力し、現在10月に代々木第一体育館で行われた二回戦まで実現しているが、プロレス誌での谷川貞治インタビューによるとジャマールがWWEに復帰したことや各団体フロントの流動的な移籍などにより継続が不可能になったため次回開催がなくなった。
2005年1月、リングス崩壊以降プロレス界から離れていた前田日明がスーパーバイザーに就任することを発表。前田は「本当のストロングスタイルを作りたい」という上井の信念に共感して、総合格闘技でも通用するプロレスラーを作るとコメントした。ところが前田は翌年1月、ビッグマウス及びビッグマウス・ラウド(以下・BML)から撤退したと報じられ、それについての説明を目的に2006年2月に行われるBML徳島大会に来場。
[編集] ビッグマウス・ラウド
BIG MOUTH LOUD(ビッグマウス・ラウド 以下BML)は、ビッグマウスの関連会社。プロレス団体として活動している。2005年8月10日に立ち上げ、ビッグマウスから契約満了移籍した村上和成が代表取締役社長に就任した。
[編集] 前田日明との提携時代
前田日明と関係が深い真樹日佐夫(空手家・劇作家)、常々前田日明の大ファンだと公言していた横峯良郎(横峯さくらの父)らが顧問を務め、プロレスの再認識とリアル・プロレス後に必死プロレスを信念に掲げている。命名者は前田で、日本語に直訳すると「大ほら吹き」と訳される。
2005年9月11日に後楽園ホールにて旗揚げ。メインイベントは同社の契約選手である村上と柴田の一騎打ちとなった。また、プロレス界から離れていた船木誠勝が同興行に登場し、復帰を宣言。その他、前田が言っている「総合で通用するレスラー」を作ることに協力することも同時に宣言した。
しかし、2006年2月26日 新生ビッグマウスラウド旗揚げ記念大会・徳島興行で前田日明と船木誠勝がビッグマウスラウドを脱退。今後はUWF再興(前田は「スーパーUWF」と表現)に努めると発表。前田はビッグマウスラウドのために未完成だったUWFスタイルを世界最先端まで進化させた「スーパーUWF」というスタイルを行うならば離れるつもりはなかったが、上井は「(前田の提唱する)独自スタイルは出来ない」と最終的に答えたため、この提携解消に至った。
上井は、「ひょうきんプロレス」のドン荒川や「イス大王」栗栖正伸といった従来(昭和)のスタイルを確立・保持している選手を参戦させていることなどから、前田の進化や最先端といった未来志向とは正反対の方向性であり、決別は当然の結果であった。
[編集] 前田日明との提携解消後
2006年3月19日新日本プロレス両国国技館大会において、棚橋弘至vs柴田勝頼戦が発表されたが、この試合自体については新日側が上井の携帯電話に「柴田棚橋戦決まったから」と許可を得ず留守電で勝手に決めたことで上井は激怒、ボイコットに出た。これにより新日本とBMLは絶縁すると思われたが村上は社長として、新日本現場監督の長州に完全決着という名での対戦を求めた。絶縁と復縁、対抗戦という定石のアングル展開である。元新日本のベテラン選手の試合、みちのく・バトラーツ提供試合を除けば、村上が返り討ちにあう試合と、柴田のシングル戦以外に目玉がなく、厳しい現状のためやむを得ないアングルと考えられる。結局新日管林副社長の口から絶縁に近いものが言い渡され、新日とBMLの関係は終焉を迎えた。
その後3月の自主興行では、原学をバトラーツから強引に引き抜いたため、因縁が発生したというアングルを組むも、通常通りのタッグマッチであり単なる円満移籍であることを裏付けた。メインイベントは柴田vs門馬秀貴であり、上井はこの試合後ビッグマウスの新たなテーマは「必死プロレス」とした。
続く4月の興行では「現状を知るため、当日までカードの発表を行わない」とし、ファンなどから「無謀」「BMLは終わった」と大きな批判を呼んだものの、第一試合でXとして発表されたレスラーがウルティモ・ドラゴンであったこと、セミの村上・健介組、メーンの柴田対中嶋勝彦など意表を突いたマッチメークが組まれた。
[編集] BML分裂
前田との深い関係から敬遠していたレスラーが参戦するようになったが(佐々木健介、鈴木みのる、高山善廣など)、前田の指摘にある上井の「浮気性」と、「村上と柴田が家賃を払えていない」ことに象徴される資金の不安定さがつきまとった。また、2006年に最高顧問であった人物がスキャンダルにより逮捕となったことなど、一連の負の連鎖が収拾できないまま団体は窮地に陥った。 団体名の通りにプランを吹聴してアングルを展開することは、新日本プロレスで行われてきたことであり、参加選手や試合内容を新日本のデッドコピー以上のものにすることが求められていた(当の上井自身はプロ格DXのコラムにて「ほらを吹く余裕はない。必死なプロレスをやっていく」と話している)。
団体の資金難に、社長の村上が臼田・原を従えZERO1-MAXへ参戦するものの、上井・柴田との軋轢がこの頃から明らかになっていく。
そして迎えた8月20日後楽園大会、村上社長の独断オファーで新日本プロレスの永田裕志選手やZERO-1MAX勢を参戦させたが大会後8月21日付でエースの柴田が退団、上井総合プロデューサーも離脱した。村上も夕刊紙取材に対し「上井さんに重大な裏切りがあった」とコメントを出すなどBMLは分裂し、これにより第一期BMLは終焉を迎え、村上・臼田・原の新生BMLと上井・柴田による上井プロデュース興行に完全に決別、それぞれの道を歩むこととなった。 なお10月8日の後楽園ホール大会を予定していたが、既に使用料を支払っていたものの村上氏らBML勢は不参加を表明、上井氏は「何人集まってくれるか分からないが、最後の博打を打つ」と述べ、後に「UWAI STATION」として行う予定だったが実際は12月3日へと延期された。
[編集] 新生BMLとしての再出発
興行を打てなくなったBMLは負債を背負ったまま、事実上のファースト・オン・ステージ傘下となり(正式には別会社)、プロモーション会社として再出発する。まずはGPWAに加盟し、すでに参戦していたZERO1-MAXでの活動を活発させると共にプロレスリング・ノアにも参戦、またバトラーツやフーテン・プロモーションなどへ選手を派遣しながら2007年春の復活興行を目指している。なお、復活興行ではファースト・オン・ステージが運営を行うことを中村祥之社長が明言している。
[編集] 所属選手
- 常連選手
[編集] かつて所属していた選手
[編集] 外部リンク
- 公式サイト(06/11 リニューアル)
- ビッグマウス・ラウド公認ファンサイト
- 村上和成ブログ「今週のビッグマウス・ラウド」
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