ビラール・ペロサM1915短機関銃
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正式名称 | オフィシネ・ディ・ビラール・ペロサ |
全長 | 595mm |
銃身長 | 297mm |
重量 | 7.9kg |
口径 | 9mm |
装弾数 | 25発×2丁 |
発射速度 | 約1200発/分 |
製造国 | イタリア |
製造 | 不明 |
ビラール・ペロサM1915短機関銃は、1915年にイタリアで開発された短機関銃である。
正式名称はオフィシネ・ディ・ビラール・ペロサで、ビラール・ペロサとは通常イタリアの地名を指す。また本稿では銃器の特徴から短機関銃として説明する。
[編集] 開発経緯
第一次世界大戦の初期から登場した軍用機は当初偵察が主な目的として使用されていた。その為、他国の偵察機同士が遭遇すると当然戦闘状態になった。しかし開発初期の軍用機には固定武装である機銃を装備しておらず、他国の航空機同士の遭遇戦では、もっぱら機に装着されたフックで相手の戦闘機を引っ掛け落とすか、コックピットに軍用銃を持ち込み、互いに撃ち合うといった方法が取られていた。 初期に使用された軍用銃はボルトアクションライフルであったが、ライフル銃の場合は操縦しながらライフルのボルト操作(弾薬の装填と射撃)を行わなければならないこと、ライフル銃自体が大きく取り回しが非常に不便であったため、その内に航空戦ではライフル銃に変わり自動式拳銃が使用されるようになった。だが拳銃に関しても高速で飛び回る航空機を相手に命中させるのには飛距離や威力といった面で当然無理があった。
[編集] ビラール・ペロサM1915短機関銃の登場
当時、連合軍として参加したイタリア軍では他国と同じく航空機用の兵器として機関銃の搭載を思案中であった。しかし当時の機関銃とは俗に言う重機関銃のことを指し、全体的に非常に重く人一人が持って使用するなどは不可能であった。そこでイタリア軍は、拳銃弾を使用し、重機関銃よりはるかに軽い機関銃の研究を進めることとなった。
重量の軽い機関銃の開発に関しては第一次世界大戦以前からイタリアでは進められていたが本格的に開発が開始されたのは1914年頃で、その翌年の1915年には試作機関銃が完成、その後オフィシネ・ディ・ビラール・ペロサ(ビラール・ペロサM1915短機関銃)と命名され生産されるようになった。
特徴としては使用弾薬に9mmグリセンティ弾を使用、全体的に小さく銃本体を横に二丁並べその間にトリガーと2脚を装着させたような形状で、内部機関もそれぞれ独立していた。弾倉も25発入り箱型弾倉を上から垂直に装填する方式を採用し、発射時に安定するように銃前方にはハンドグリップが装着されている。機関部はオープンボルト式で射撃はフルオート発射のみで最大射程は約800mで有効射程は約100mである。また開発当初、ビラール・ペロサは航空用軽機関銃として開発され短機関銃としては考えられてはいなかった。(銃身部に二脚装備など支援火器としての性質が多かった)しかし一説にはビラール・ペロサは航空用機関銃としてではなく、イタリア陸軍の山岳部隊で使用する小型軽機関銃として開発されたとも言われ、開発経緯についてははっきりしていない所もある。 また後年では、ビラール・ペロサは短機関銃の特徴である弾薬に拳銃弾を使用していること、重機関銃と比べて遥かに軽量な機関銃であることから、史上初の短機関銃であるとされている。
[編集] その後
1915年から生産を開始したビラール・ペロサ短機関銃であったが、その後は前途多難な生涯を送っている。開発されたのが第一次世界大戦後期であったためか、この頃になると各国では航空機に固定用の機関銃が装着されるようになり、以前のようにパイロットが直接銃器を使用し撃ち合うといった場面は限りなく無くなってしまった。また実際使用してみても飛距離が短く威力が小さい短機関銃では、その後登場した新型航空機には全く歯が立たたなく、その為ビラール・ペロサは試作以降、殆ど生産されることなく生産を中止している。 一方、ビラール・ペロサは本銃のほかにバリエーションとして、カービン銃のような形態に似せ、折り畳み式銃剣やストックを装着させたビラール・ペロサM1918短機関銃を後に開発している。