ビル・ディッキー
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ビル・デッィキー(William Malcolm "Bill" Dickey,1907年6月6日-1993年11月12日)はアメリカ合衆国ルイジアナ州出身の元野球選手、監督。右投左打。ヤンキース第2次黄金期を支えた名捕手であり、背番号8はヨギ・ベラと共に永久欠番。
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[編集] 経歴
1928年ヤンキースと契約し、メジャーデビュー。優れたリードと強肩を武器にレギュラーとなり、打撃面でも翌1929年から1934年まで6年連続打率3割以上を記録した。1936年には捕手史上最高打率となる.362を記録。この年から1939年まで4年連続の20本塁打100打点でチームの4年連続世界一に貢献した。ルー・ゲーリッグ引退後の1940年からは正式な任命こそなかったが実質的なキャプテンとしてチームを牽引。1944年から2年間は第2次世界大戦に応召。1946年復帰後には監督も兼任したが、リーグ3位に終わりシーズン終了後に現役引退、監督も辞任した。
1949年に一塁ベースコーチ兼捕手コーチに就任し、自身の背番号8を継承したヨギ・ベラの守備を徹底的に鍛え上げて、メジャー史上屈指の捕手に成長させた。1954年野球殿堂入り。1972年にベラも殿堂入りしたことで、球団は背番号8を2人の永久欠番とした。
[編集] 特筆すべき点
- 捕手として13年連続100試合以上出場はアメリカン・リーグ記録。好リード、強肩とともに闘争心も盛んで、1932年には本塁でのクロスプレーから相手選手と殴り合いに発展。相手選手の顎の骨を折り、30日間の出場停止と1000ドルの罰金処分を下されている。
- ワールドシリーズには8度出場し、7度の制覇を経験している。
- 1933年にシカゴで開催された第1回オールスターゲームにも出場。カール・ハッベルの連続三振をストップさせる安打を放っている。
[編集] 獲得タイトルなど
- オールスター出場:11回(1933年、1934年、1936年~1943年、1946年)
[編集] 通算記録
試合 | 打数 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 得点 | 打点 | 四球 | 三振 | 盗塁 | 打率 | 出塁率 | 長打率 | OPS |
1789 | 6300 | 1969 | 343 | 72 | 202 | 930 | 1209 | 678 | 289 | 36 | .313 | .382 | .486 | .868 |
カテゴリ: アメリカ合衆国の野球選手 | ニューヨーク・ヤンキースの選手 | 1907年生 | 1993年没