フアン・カルロス・バレロン
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フアン(ファン)・カルロス・バレロン・サンターナ(Juan Carlos Valeron Santana, 1975年6月17日 - )は、スペイン国カナリア諸島ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア出身、リーガ・エスパニョーラのデポルティーボ・ラ・コルーニャに所属するスペイン代表のサッカー選手。身長184㎝ / 体重71㎏。右利き。ポジションはMF。
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[編集] プレースタイル
中盤から変化自在の長短パスで味方の得点機を演出し、試合をコントロールするプレーメーカー。 パスセンスは世界でも指折りの実力者。 また、ドリブルを得意とする選手であり、スピードは無いが巧みなボールコントロールとコース取りで相手に脅威を与える。
[編集] 人物
1995年、地元の2部クラブ、ラス・パルマスでデビューを飾る。RCDマヨルカ在籍時の1997年に参加したU-21欧州選手権では活躍を見せてタイトル獲得に貢献。
その後、アトレティコ・マドリードを経て、2000年にデポルティーボ・ラ・コルーニャへ移籍。トップ下の選手としてチームの躍進に貢献。UEFAチャンピオンズリーグベスト4、リーガでも毎年優勝争いに絡むなど、一時代を築き上げた。
「スペインのジダン」とも評されている。代表ではラウール・ゴンサレスの控えという立場が多かったが、先発起用を巡って議論が起きたこともある。
2005-2006シーズン、第20節のRCDマヨルカ戦で左膝の前十字靭帯を断裂。全治6~8ヶ月と診断された。
デポルティーボサポーターに最も愛されている選手であると同時に人格者で知られ、地元のカナリア諸島やアフリカのガーナのサッカースクールに多くの寄付をしている。ラウールとのポジション争いの真っ只中にいるときでも控えで構わないと公言する謙虚な性格は、闘争心に欠けるという批判を受けることも少なくない。しかしながら本人は「サッカーが出来れば幸せ」というスタンスを貫いている。名将ハビエル・イルレタに「もう少しだけ試合に情熱を注げば世界最高の選手になれる」、と評されたことは彼の穏和な性格をよく表している。
[編集] クラブ
- 1995-1997 ラス・パルマス 54試合 / 2得点
- 1997-1998 RCDマヨルカ 31試合 / 4得点
- 1998-2000 アトレティコ・マドリード 65試合 / 7得点
- 2000- デポルティーボ・ラ・コルーニャ 164試合 / 13得点
[編集] 代表
46試合 / 5得点
- 1998年11月18日 イタリア代表戦でスペイン代表デビュー。
- 2001-2002 2002 FIFAワールドカップ・日韓大会 - ベスト8
- 2003-2004 EURO2004・ポルトガル大会 - 1次リーグ敗退
[編集] タイトル
- 1996-1998 U-21欧州選手権 - 優勝
- 2000-2001 スペイン・スーパーカップ - 優勝
- 2001-2002 コパ・デル・レイ - 優勝
デポルティーボ・ラ・コルーニャ - 2006-2007 |
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