フアン・ボルジア
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フアン・ボルジア (Juan Borja,2nd Duke of Gandia,1474年? - 1497年6月14日)は、スペインの2代目ガンディア公爵。ロドリーゴ・ボルジア(のちのローマ教皇アレクサンデル6世)と愛人ヴァノッツァ・カタネイの子。兄弟にチェーザレ・ボルジア、妹にルクレツィア・ボルジアがいる。スペイン語読みでは「フアン・ボルハ」となるはずだが、日本では「フアン・ボルジア」または「ホアン・ボルジア」が一般的である。イタリア語ではジョヴァンニ・ボルジア(Giovanni Borgia)。チェーザレの弟にあたるのか、兄にあたるのか、生年が諸説ある。
1493年、スペイン貴族マリア・エンリケス・デ・ルナと結婚し、2代目ガンディア公爵となり、テッサ公、サン・ピエトロ知事など多くの称号をアレクサンデルから授かった。
1497年6月14日、ピアッツァ・デッラ・ジュディッカ(ローマ市内のゲットー)近くで、何者かに暗殺された。テヴェレ川に浮かんだ彼の遺体から、30ダカットの金貨の入った財布が見つかったため、強盗の仕業ではないことがわかった。一説では、チェーザレの仕業ではないかと噂された。
妃マリアとの間に2子をもうけた。長男フアン・ボルハ・イ・エンリケス(フアン・ボルジア)は、3代目ガンディア公を継いだ。彼の子は、のちの聖フランシスコ・ボルジアと呼ばれる。長女フランシスカ・デ・イェズス・ボルハはバリャドリードの修道院で尼僧となった。
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