フィリップ・マールハイネッケ
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フィリップ・コンラート・マールハイネッケ(Philip Konrad Marheineke 、1780年5月1日 - 1846年3月31日)は、ドイツの神学者・哲学者。ヘーゲル学派の人物として知られているが、研究者によって右派か、中央派かは、分かれるところである。
ハノーファー近郊ヒルデスハイムの生まれ。ゲッティンゲン大学で神学を学ぶ。1805年にエルランゲン大学の員外教授に指名される。1807年にハイデルベルクに移住。1811年にベルリン大学の哲学の正教授に就任。1820年からは、シュライエルマッハーと共に教会の説教者として活躍する。当初はシェリングに影響されていたが、ヘーゲルが著名になってからは、ヘーゲルの門下生として活躍していった。そして、ヘーゲル右派の代表的な人物としてみなされるようになった。マールハイネッケは、ヘーゲル哲学の伝統的な考え方によって、教会におけるすべての教義を説明しようとした。こうした姿勢は、新しいキリスト教の形式を生み出し、ヘーゲル主義的キリスト教論の礎となった。この考えは、当時ドイツの哲学界を独り占めしていたヘーゲル学派の面々に様々な影響を与えたといえる。
マールハイネッケは、こうした考えのキリスト教の教義学を「学問としてのキリスト教の教義基礎論」として出版した。1819年の第1版では、シェリングの影響の元でかかれたものであったが、それ以降の版のものは、ヘーゲル学派のメンバーとして、ヘーゲルの考えに沿ってキリスト教の定義づけに変わってきている。最後の版である第3版は1847年とマールハイネッケの死後に刊行されたものであった。
特にマールハイネッケはキリスト教の信条研究に優れており、「キリスト教の信条」は彼が残した傑作である。「信条学の制度」「ドイツ宗教改革の歴史」「ドイツにおける宗教改革の出現と拡大」なとがあり、宗教改革に関しての著作もある。